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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第720回:アメリカ大陸横断の賭けとハイウエー

更新日2021/08/12


近年、私たちのキャンプも道具立てが多くなり、大中古のトヨタの四駆に目一杯テント、キャンピングチェア、エアーマットレス、バーナーが二つあるコンロ、仕舞には折りたたみ式の簡易ベッド(前線の兵隊さんが使うようなコット)、アイスボックス2台、それに水用のポリタンクを積み込むという重装備のカーキャンプになり、もうしばらく軽量テントを担いでの山奥キャンプから足が遠のいています。

そして毎回、呆れるのですが、マア~よくぞこんな山奥にまで道路を造ったものだ、一体誰が何のために…と感心させられます。山の中の道はおよそ金銀探しのため、どうにか車が入れるような幅があり、急な斜面をジグザグで、実際に金銀採掘のための大掛かりな機械類を運び上げ、また鉱石を運び降ろすために造ったものでしょう。それが今では、アウトドア愛好者に大いに利用されているのです。

私たちは特別急がない時は、距離が長くなり、時間も相当余計にかかっても田舎道を走ります。一体この田舎の町や村の人たちはどうやって生活しているの、と思うような鄙びたところを通り抜け、車を走らせるのですが、マアーどんな辺鄙なところでも人が住んでいれば、まず道路は舗装されていて、泥道や砂利道は余程の山に入らない限り存在しません。

なんとなく、アメリカはモータリゼーションの国、(良くも悪くも)車文化の進んだ国、だから昔から立派なハイウエーが縦横に走っていると思い込んでいました。ローマ人が2000年以上前に石畳の立派な街道を造ったように、アメリカ建国と同時に、国内に縦横にハイウエーが建設された…と思っていましたが、とんでもない、一応初めてアメリカ大陸を車で横断した記録は1903年のことですが、その時、馬に跨ったまま通れるような道なき踏みつけ道がほとんどで、駅馬車がやっとどうにか通れる街道しかなかったようなのです。

すでに大陸横断鉄道は1867年にユタ州のソルトレイクシティーの北のプロモントリー(Promontory Summit)で東と西の両方から競争するようにどんどんレールを敷いて来たセントラル・パシフィックとユニオン・パシフィックが出会い開通しています。この猛進は鉄道を敷設したら、その線路脇の広大な土地もその会社のものになるという法案が1862年に通り、スワッとばかりレールを敷いたからです。その時、約50万人の中国人が奴隷的重労働に酷使されています。

車の方は、なんせ舗装道路がなかったことですし、長距離瓦礫の山道を走れる車自体が存在しませんでしたから、とても遅れてしまいました。公式記録とは言えませんが、広く信じられている車での大陸横断は、前に書いたように1903年になってからのことです。ジュール・ベルヌの『80日間世界一周』はイギリスのクラブで、そんなことができるはずがない、否、やってみせると、”賭け“をしたのがきっかけでしたが、この車でのアメリカ横断もヴァーモント州のお医者さん、ホラショー・ネルソン・ジャクソン(Horatio Nelson Jackson)が、サンフランシスコで友達と90日以内にニューヨークに着いてみせると賭けたのがきっかけです。しかも掛け金はたったの50ドルでした。

このジャクソン先生、早速当時のお金で3,000ドルも払い、中古のウイントン社のツーリングカーを購入し、修理工としてセウォール・クロッカー(Sewall Crocker)を同行させています。このクロッカーさんは自転車屋で、手先が器用で何でも修理できる…できたそうですが、ともかく、その時代に自動車専門の修理工なんて存在しなかったので、自転車屋で間に合わせるしかなかったのでしょう。

そして、ウイントンの車たるや、馬車の御者の席の下にエンジンを取り付けただけの吹きさらし、良く言えば二人乗りのオープンカーですが、車輪は今のマウンテンバイクのファットタイヤ並みで、エンジンも2シリンダーの20馬力です。機械マニアのスッコトランド人アレクサンダー・ウイントンさん(Alexander Winton)が馬の要らないバギーとして造ったものですから、元々道なき道を長距離、アメリカ横断するようにはできていませんでした。最高スピードは30キロと謳っていましたが、それは理想的なコンディションでのことで、瓦礫の道では平均10キロにもならない、横を歩いている牛に追い抜かれそうなスピードです。

予想されたとおり、全く呆れるくらいよく壊れ、その都度、汽車と駅馬車で部品を送って貰っています。当時まだ信頼できるタイヤ、チューブがなかったのでしょう。パンクし続けボロボロになった車輪に丈夫なキャンバスをぐるぐる巻きにして応急タイヤの代用にしています。しかし、そうなるとショックを全く吸収できませんから、今度は車輪のシャフトが折れたり、トランスミッションが全壊したりで、よくぞ途中で諦めなかったとホトホト感心するくらい問題続きの旅で、おまけに車が泥に嵌ることが度々あり、近くの農家から馬を借りてきて引き上げたりしています。チョッと急な坂では、エンジンをかけながら交代で車を押しているのです。これでは一体車が人間を運んでいるのか、人間が手押し車のように自動車を運んでいるのか定かでありません。

何も娯楽のなかった時代、ジャクソンさんらが中西部から東部に差し掛かる頃には、馬の要らないバギーが村や町を通るというので、サーカスがオラが町にやって来る…ようなイベントにまでなり、歓迎を受けています。町を挙げて出迎え、歓送されている模様がウルトラローカル紙に載っています。

この変人二人は途中で拾った犬と伴に、サンフランシスコから63日12時間30分かかってニューヨークに到達しました。ジャクソン医師は賭けに勝ち50ドルを受け取りましたが、彼が使った費用の100分の1にもならなかったでしょう。でも、車の会社ウイントン社(Winton Motor Carriage Company)はその影響で爆発的に売れ行きを延ばし、セミトラックを100台?も売っています(基本的にハンドメイドですから、当時は100台でも大変なことだったようです)。

車はなんと言っても道路を走らせるものですから、道路が完備していないことには売りようが、使いようがないのでしょうね。彼らが走った3,000マイルの道路で舗装されていたのは150マイルだけでした。ウイントン社は規模を大きくし、エンジンも大型にして屋根付き4人乗りのモデルなどを発売しています。でも1930年にはゼネラルモーターズに買収されてしまいました。

このウイントン社製の車と、車好きなお医者さんジャクソンさんが、アメリカのモータリゼーションの幕を開けたのです。それから100年チョッとで、鉄道が廃れ、移動と貨物の輸送も車とハイウエー全盛の時代になりました。

今、アメリカで車を持たない生活は考えられないほどになっています。

-…つづく 

 

 

第721回:“地震、雷、火事、親父”

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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