第39回:Guilin (2)更新日2006/12/21
中国に来て初めて一息つけた思いの汽車の旅を終え、桂林の駅に降り立った。上海や北京のような大都会とは違って、規模はそれなりにあれども人ごみはそれほどでもなく、道行く人の顔も穏やかで、一見しただけでもバックパッカーには把握しやすいサイズの街であった。
とりあえず駅のすぐ脇に隣接された観光案内所の周辺にあるバスチケット売り場で、この後向かうベトナムへの入り口となる、南寧行きのバスチケットを購入する。中国のバスというのは、とにかく各社乱立状態で、値段もバラバラといった感じが多い。そういうわけで、ここでも同じ桂林-南寧行きのバスの値段が、すぐに隣あったチケット売り場同士でまったく違ってたりしたのだが、まあ細かいことは気にしてもしょうがない。
とにかく安いものをということで、買う店は適当に決めたのだが、チケットは桂林、柳州、南寧という漢字を、鉛筆を使ってサラサラッと紙切れに書いてくれただけのものであった。いくら細かいことを気にしてもしょうがないとはいっても、これではさすがに不安になってくる。「本当に大丈夫なのか?」と尋ねると、まったく平然とした顔で大丈夫だとニコニコしている。
英語の話せない、この人の良さそうな女性の伝えてくれることを精一杯に理解すると、とりあえず出発の日の夕方6時に、このチケット売り場前へ来いということらしかった。どうしたものか分からないが、何度尋ねても大丈夫だというので、内心騙されたかもしれないなと思いながらも、そのチケットをバッグにしまいこんだ。
駅から程近いところにあるホテルに宿をとり、散策がてら街中へ出た。ときおり街影から顔を覗かせる、キノコのようにニュキニュキと地面から突き出ている山々の姿がどうも気になった。今までに見たことのないその景観に気持ちは逸ったが、もうすでに夕暮れも近づいていたこともあって、とりあえずそれらを訪れるのは翌日にし、長い汽車旅の疲れをとるために、この街のメイン通りである中山中路へ向かった。
川が周りに多い街であるだけに、川魚を売りにしているレストランが多いらしく、我々も漓江エビや鯉料理に漓泉という地ビール、そして刀削麺を注文した。桂林名物の麺といえばビーフンというのが相場だが、この山西省名物の刀削麺というのも、日本ではなかなかお目にかかれないが結構いける麺である。
大根のような形をした麺の元になる塊を、ぐらぐらと煮だった大鍋に向かって、包丁でシャッシャッと削っていく。折りたたんでは伸ばしというようないわゆる中華麺や、打って伸ばしてトントン切るうどんとは違って、削る麺なので、なんとも微妙な歯ごたえと麺のうねりが独特の風味を醸し出すのだ。テーブルに並んだ品々の味には素直に満足できたが、なによりも沿岸部に比べると値段がずっと安く、そのことが同じ中国でもずいぶん遠くに来たもんだなあと実感させてくれた。
腹ごなしをした後は、中山中路にずらりと並ぶ露天を冷やかしてみた。いろんな店で軒先に出している品の値段を尋ねてみたりしたのだが、この街の静けさと同じく商売のほうも上海などに比べるとずっと穏やかで、ここが同じ中国なのだろうかというほどに、値引き交渉も断って店を離れる際の呼び止め方もあっさりしたものだった。なんでも桂林という街を含めたこの地域は、国内に1,500万人以上はいるといわれる、中国でも最大規模の少数民族である広西チワン族が多く住んでいるということなので、そういったこともこの街の人の穏やかさには関係しているのかもしれない。
昼の明るいうちはまったく気がつかなかったのだが、日が暮れてくる頃になるとこの街のイメージはガラッと別のものに変わった。どういう風に変わったのかというと、上海などに比べるとまだまだ発展途上の地方都市というイメージであった桂林が、夜になると街全体がクリスマスのイルミネーションか、ディズニーのイルミネーションパレードかというような、明かりの洪水で溢れかえるのだ。
このあたりのド派手好きというのは、アジア人の特徴とでもいうのか、欧米暮らしが長くなってくると、ニューヨークのタイムズスクエアーという特別な場所を除いては、基本的に欧米では見ることができないものだなと実感する。青い目をした彼らには、この派手な光の洪水がチカチカするという話も聞いたことがあるが、とにかく水墨画のイメージと穏やかな人柄のこの桂林ですらも、やはりアジアのネオン好きの血が騒いでしまったというところだろうか。
ちなみに桂林市内には、漓江、桃花江、杉湖、榕湖、桂湖、木龍湖という2つの川と4つの湖があり、これを両江四湖と呼んできた。そして水位の違うこれらすべてを、新しく作った運河で繋ぎ、そこで毎晩ライトアップされるという光の世界が、新しい桂林の夜の見所とされている。確かに杉湖に映える、ライトアップされた日月双塔の金と銀の姿は美しいが、ライトアップされたその場所を歩いていると、なんだか桂林という場所に対して個人的に勝手に作り上げていた水墨画の世界のイメージを壊されるような、なんとも奇妙な感覚を味わった。
-…つづく
第40回:Guilin
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