第94回:私の骨折り人生
更新日2007/04/26
先日、実に久しぶりに胃の検診を行なった。会社に在職中に、定期健康診断を受診したのが最後だから、約9年ぶりにバリウムを飲んだことになる。相変わらず旨いものではないが、前日の夜から飲み食いしていないので腹が減っているからなのか、意外とゴクゴク飲めてしまうものなのが不思議で、「ああ、この感触だったなあ」と思い出しながら、一気に呷ってしまった。
それにしても、その後の動くベッドの上でレントゲン写真を撮られるのは、我々は何とか我慢できても、高齢者の方々にはかなり苦痛なのではと思ってしまう。最初に発泡剤を飲まされた上に、飲み難い異物を飲まされ、ゲップを出すことを止められた末に、硬いベッドの上で、文字通り七転八倒を強いられるのである。
私の順番の前の人は、70歳を優に超えた紳士だったが、肘と膝を擦り剥いて、少なからぬ鮮血を流しながら撮影室を出ていらした。そう言えば、会社時代、手すりをつかみ損ねて肋骨を折ってしまった人がいるのを思い出した。検診も、満身創痍の覚悟がいるのかも知れず、健康の診断のためにケガをしてしまうというのは、矛盾のある話である。
私は、昨年に4年前の入院以来久しぶりに血液検査を行なって、γ-GTPが300くらいあり、これは明らかに酒量の問題と診断を受けたが、その他の箇所に別段悪いところはなさそうだ。幸いなことに、昔からあまり病気に縁のある人間ではなかった。今も重い風邪などは、もう10年以上ひいていない。
物心のつく前、確か4歳くらいのことだったか、大腸カタルというのに罹ったことがある。どこかの駄菓子屋さんに行って、くじ付きのチューインガムを買い、それが3、4回続けてくじに当たったらしい。今も変わらないが、当時はさらに浅知恵だったので、それを全部飲み込んでしまった。
当たり前のように、とんでもない腹痛を起こし、両親は慌てて医者に診せたと言うことだった。全く覚えていないが、かなりの重症だったようで、今でも母親に、「あの時は肝を冷やした」と言われている。
その後は、以前書いたことのあるポリープの他は、病気で入院したことはないが、私は骨を折ったことは多い方だ。ラグビーなどで肋骨にひびが入るのは茶飯事として、他は肩の鎖骨を今まで3回折ってしまっている。
最初は、小学2年生の冬、知り合いの家に遊びに行ったとき、4つくらい年長のお姉さんが仰向けで両手両足を上に上げたところに、私の両手両足を同じように乗っけて高く上げてもらった際、バランスを崩して落下した。
かなりの激痛を感じて病院に行ったら、左鎖骨が骨折していた。その時は、手術台で石膏のギブスを巻いてもらった。あれはかなり堅くなるもので、数日後小学校に通学できるようになった時、「鉄人28号のように強いよ、いくら殴られても平気だから」と友達に触らせていた。
後で、「K君のギブスに絶対触れてはいけない、もし触った子は前に出なさい」と担任の先生に言われ、みんなが怒られる前に自分が必死に謝っていた。ギブスを切断するとき、電気ノコギリを使用したのだが、あのウイーンという音は今でも忘れることはできない。ギブスだけでなく、身体まで切られてしまったらどうしようと、とてもとても不安だった。
その次は、高校1年生の柔道部の夏期合宿1日目。何人かが馬になり、その上を飛び越えて回転受け身をするという稽古中である。確か5人の馬だった。私は、「飛べた!」と思った瞬間、右肩を畳に預けてしまったらしい。このときも激痛が走る。
顧問の柔道講師が、私の肩に触れた瞬間、「こりゃ、折れとるわ。まぁよぉ、私の知り合いの接骨医紹介したるで、はよ行かなかんがあ」とキングズ・ナゴヤで宣った。練習の士気が殺げることが何より申し訳なかったが、早急に接骨医に車で向かった。
接骨医には学校から聞きつけて母親も駆けつけてくれていた。今度は右肩の鎖骨骨折なのだが、折れた骨同士がかなり離れてしまっていたようだ。母は心配のあまりだろう、診てくれた接骨医に余計なことを言った。「ちゃんとした外科の先生に診てもらわなくていいんでしょうかね」。当然のように、その若い接骨医は気色ばんだ。「私を信用できないなら、どちらにでも行ってください」。
結局はその接骨医に任せ、夏休みを右手が動かないまま自宅で過ごし、ようやく骨が付いて落ち着いた頃通院したとき、彼はポツリと言った。「よく、くっついたものだなあ」。母親が懸念したことは誤ってなかったのである。
実際、あまりよい形で付いているとは言えず、私の右肩は左に比べ下がっているようになり、その後証明写真などを撮影するたびに、映写技師に指摘されるのである。「もう少し、右肩上げてください」。
最近では、5年前の自転車事故。店帰りの路上で飛び出してきたバイクとの接触を避けようと急ブレーキをかけ前のめりに転倒した。また右肩鎖骨を今度はかなり複雑骨折してしまった。年をとっているものだから治りがたいへん遅く、お客さんにはとても迷惑をかけてしまうことになった。今でも申し訳なく思っている。
ただ、ひとつだけラッキーなことがあった。高校の骨折以来30年続いた右肩下がりが治ってしまったのだ。担当の女医さんには、「そんなことはないはずですが」と言われたが、自分では実感できるのである。写真屋さんで気苦労することがなくなった。けれども、写真屋さんで写真を撮る機会も、もうなくなってはいるのだが。
第95回:栄冠が君に輝くために