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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第198回:ラグビー・ワールド・カップ2011 決勝へ

更新日2011/10/20

デヴィッド・カーク(NZ)
ニック・ファージョーンズ(豪) 
フランソワ・ピナール(南ア) 
ジョン・イールズ(豪) 
マーティン・ジョンソン(イングランド) 
ジョン・スミット(南ア)
 

歴代のラグビーW杯6大会、優勝チームのキャプテンたちである。さて、7番目にくる名前は、果たしてリッチー・マコウ(NZ)なのか、それともティエリ・デュソトワール(フランス)なのか。

リッチー・マコウ(Richard Hugh McCAW)は間違いなく、現在世界中のラグビーを知る人たちの中で、最も有名な名前である。1980年の大晦日、NZのオアマル生まれの30歳。

10年前の2001年11月17日にアイルランド戦で代表デビューし、今回のW杯予選プールのフランス戦で、オール・ブラックスとしては初の100キャップを取得した。

準決勝までで102キャップとなり、戦績は90勝12敗。キャプテンになったのは2004年、23歳のときで、キャプテンとしては65のテストマッチに出場している。

まさにスーパースター。NZの新聞、メディアで彼の姿が登場しない日はなく、現在はニュージーランダーたちの心の支えと言うより、少しうがった見方をすれば、彼らの依存症の対象とさえ言える。オープンサイド・フランカーで、背番号は7。187cm、106kg。

一方のティエリ・デュソトワール(Thierry Dusautoir)は、寡黙な仕事人タイプ。フランス人の父とコートジボワール人の母を持つ、1981年11月18日、コートジボワールのアビジャン生まれの29歳。私は、個人的に大好きな選手だ。

5年前の2006年6月17日のルーマニア戦で代表デビューを果たす。現在は49キャップを取得、NZとの決勝が50キャップ目となる。

試合中は常にヘッド・キャップを着用しており、タックルに次ぐタックル。言葉よりもそのプレーの姿勢でメンバーを引っ張っていくタイプで、その点はマコウと同様である。

フランスの高度な教育機関として知られるグランゼコールのひとつ、ボルドー国立高等化学物理学校の学位を取得しているインテリの一面も持つ。ブラインドサイド・フランカーで、背番号は6。188cm、95kg。

マコウはオープンサイド、デュソトワールはブラインドサイド、ともにフランカーでトイメン、正に真っ向勝負の位置で戦う。

さて、今回の3位決定戦のウエールズ対豪州、決勝戦のフランス対NZ。ともに、奇しくも唯一NZがW杯で優勝している、今から24年前の第1回W杯と同じカードになった。

今大会、フランスとNZは、予選は同じプールAで既に対戦しており、その時は37-17(トライ数5-2)でNZが快勝している。

NZは予選プール、トーナメントを通じて安定した勝ち上がり、前出のフランス戦を除き、すべてトリプル・スコア以上の点差をつけている。最大のライバルと言われた豪州戦も相手をノー・トライに抑え20?06と危なげなくゲームを制した。

一方のフランスは、よく決勝まで勝ち上がって来られたと思える乱丁振りで、予選プールではNZは疎かトンガにも敗れた。もし、そのトンガがカナダにランキング通り順調に勝利していたら、フランスは予選プールで沈んでいたのだ。

これはどうしたものかと準々決勝のイングランド戦を見てみれば、今までのゲームにないようなテンポの良い攻撃で19?12と勝利を掴む。

ところが準決勝、相手のウエールズが前半20分前にレッド・カードを受け、その後1時間のゲームを15人対14人という絶対的なアドバンテージをもらって戦いながら、結果は9-8というぎりぎりの勝利。

しかも、人数的に優位に立った後で相手に1トライを献上し、自軍は全体を通してノートライ。実力の伯仲する八段同士の将棋指しが、飛車落ちの相手に辛勝するような形になってしまった。

「これがフランスらしささ」と言われればそれまでだが、NZとは対照的な、何とも危なっかしい勝ち上がりである。

だからNZの方がかなり優勢。と見るのも間違ってはいないが、そう簡単にいかないのが、この2ヵ国の対決である。前出の第1回W杯決勝戦こそ、29-09とNZが圧勝しているが・・・。

第4回W杯の準決勝のゲームでは43-31、第6回W杯の準々決勝で20-18と、いずれもフランスが勝利しているのだ。また、いずれもNZが圧倒的に有利だと言われていたのに拘わらず、である。

今回のW杯も含めた対戦戦績はNZの37勝、フランスの12勝、1つの引き分けである。しかし、フランスは摩訶不思議なチーム。まったく不甲斐なく弱々しいゲームと、とんでもなくテンポの良い手がつけられないような勢いを持つゲームを、ひとつのW杯で見せてしまう。

NZはとにかく慌てないこと。バタバタし出すと、フランスを調子に乗らせ、彼らのラグビーに巻き込まれていってしまう。前後半の入り10分ずつに、落ち着いて自分たちのラグビーが出来れば、24年間ただひたすら待ち望んでいたニュージーランダーたちの、悲願を叶えることが可能になる。

過去6回すべてのW杯優勝チームは、予選から全勝してきたチームだ。予選で2ゲームを落として決勝に上がってきたフランスが優勝するとすれば、それは前代未聞のことになるのだが。

決戦は10月23日(日)午後9時(日本時間午後5時)キックオフである。

-…つづく

 

 

第199回:ラグビー・ワールド・カップ2011  そして閉幕

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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