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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第67回:マジョルカの歌姫“マリア・デル・マル・ボネット”

更新日2019/05/09

 

大学時代に学生寮で生活した時、100人内外の寮生が“県人会”なるものを組織しているのに軽いショックを受けた。誰しもが持つ郷土愛は、自分の土地以外は全く受け付けない排他的でファナティックな愛国心に結びつかない限り、微笑ましいものだ。

元々、本州からの食い詰め者が移住した北海道出身の私には、歴史の拘束力が少ないのかもしれないが、本州のうんざりするほど古い県の人からバカにされ、酒のサカナにされたりもした。狭い日本で県人同士がツルム低廉な精神が、鼻についてやりきれない思いがした。

大学の途中でスコットランドに住む機会を持ち、東海岸のアバディーンという町に住んで驚いた。地図で見ると、スコットランドなど、一からげにしてイングランドと対比するだけの存在だと思っていたところ、この対イングランド・コンプレックスのある誇り高いスコットランド人は、彼らの地域の中でさらに、西海岸、東海岸、ハイランドと方言の中の方言が異なり、互いに自分の土地が最高だと言うのだ。もちろん、スコットランド的自虐、自笑を籠めてだが、諧謔的にではあるにしろ、自分自身を笑える精神は成熟した大人のものだ。

ヨーロッパを隈なく…と言ってもよいと思うが、主にヒッチハイクで、あるいは田舎の街道を歩いて旅行して、驚かされるのは地方性の豊かさだ。田舎文化が、そこここに根を張っているのを視るのは新鮮な発見だった。

イビサに棲み始めた当初、こんな小さな島、たかだか長い方で30数Km、狭い方で15Kmあるかないかの島の中でさえ、山ひとつ越えただけの村、岬を隔てた漁村がイチイチ固有の郷土愛を持ち、自分の土地の独自性を誇っていることに呆れたことだ。

サンタ・エウラリアの住人で、15Km離れたサン・アントニオに行ったことがない人はたくさんいる。飛行場近くのサン・ホセ村の住人の大半は、島の北の村サン・ミゲルを知らないし、知ろうともしない。豊かな地方性がある…と言えなくもないが、あまりに細分化され過ぎているのではという印象を強くしたことだ。

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サンタ・イネス村の教会、Santa Agnès de Corona

『カサ・デ・バンブー』の真上の階の一部屋に住むキカ(合気道好きのイビセンカ)が、サンタ・イネス(Santa Inés.)村のお祭りにマジョルカ島の有名なフォークシンガーが来るから、一緒に行かないか、と誘ってくれた時、全く期待せずに、覗き見と暇つぶしにと思って同行した。

サンタ・イネス村は幹線道路から離れた、イビサのヴァカンス狂騒から逃れた山の麓にあった。村といっても、イビサのどこにでもある漆喰を白く塗り固め、角が取れ全体に丸みをおびたチッポケな教会を隙間だらけに囲むように10軒ほど家が並んでいるだけだった。そんな教会の前に、決まりきったようにある小さな広場に不揃いの木のベンチが並べられていた。

広場を囲む家々は教会に遠慮するように背の低い平屋で、涼しげな松の古木が植わっていた。この村の人口は周囲の山地を含めても100人に満たないと思う。この広場からの風景はちょっとしたもので、夕陽の地中海を見下ろせるのだった。

教会に入る5、6段の階段を上った10畳ほど石畳がステージだった。その歌手はホッソリとした身体を白いゆったりしたドレスに包み、リュートとバラライカを足し、大きくした古楽器を抱えて現れた。ほとんど漆黒に近い濃い褐色の髪の肩を隠すほど長くし、すっきりとした目鼻立ちのとても美しい女性だった。

彼女がスツールに軽く腰を乗せ、古楽器を抱え、唄い出した時、最初の声が彼女の口、喉から出てきた瞬間から、ザワッと全身に鳥肌が立ったのだ。

私は音楽に感動すると、鳥肌が立つ性向がある。歳とともにそのような感動が薄くなっていったが、彼女の歌に私は鳥肌の連続波に襲われたのだった。

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Maria Del Mar Bonet(抱えているのがLaud)
『Breviari d'Amor』1982年、カバー写真より

彼女の名が“マリア・デル・マル・ボネット(Maria del Mar Bonet)”ということをコンサートの後で知った。歌はすべてマジョルカ語(イビセンコやカタランとほぼ同様)で歌われた。私には意味がほとんど掴めなかった。それでいながら、彼女の透明でよく響く声、語りかけるような唄い方、意表をつく旋律の流れ、中世さながらの古楽器(後で、この楽器はラウート=Laudと呼ばれていることを知った)の響きが、マイクやスピーカーなしで狭い広場に満ちたのだった。聴衆は80人もいただろうか…。

彼女を呼んだのはサンタ・イネス村のお祭り実行委員とでもいうのか、村の若者たちで、返事が来ることさえ期待せずに丁寧な手紙を送ったところ、マリア・デル・マル・ボネットから直接、お祭りで歌ってあげると返事が来て、招待した方があわててしまったと聞いた。

何でも彼女は当時すでにマジョルカ語で歌うシンガーとして非常に有名な存在だったし、パルマ・デ・マジョルカ(バレアレス諸島の州都)の大ホールやバルセロナのリセウを満員にする動員力もあり、パリでコンサートも行っていたし、この手の音楽ではあり得ないほどの成功を修めていたことを知った。

マジョルカやバルセロナのテレビには何度も出演していた。この小さなコンサートに来ていた人たちは、彼女の名前はもちろん、ほとんどの曲を良く知っていたのだと思う…私以外は。マリア・デル・マル・ボネットは、とてもじゃないがイビサの小さな村祭りに気楽に来てくれるような存在ではなかった。しかも、彼女自身で旅費などの費用を一切払ってのことだ。この野外コンサートの入場料などはなく、無料だった。

イビサの町の小さなレコード屋で、彼女のレコードを探したところ、探すまでもなく、何枚ものLPを出していることを知った。中にはフルオーケストラをバックにしているものもあった。

いつもシーズンの終わり頃、北海道の私の老母に、その当時かなり高額だった国際電話を掛けることにしていた。その時、母がいつものように眠れないまま深夜放送を聴くともなくつけっぱなしにしていたところ、マリア何とかいう人の歌が流れてきて、それがスペインだかマジョルカ島の人らしいけど、知っているかい、と言ったのだ。何でも老母は、彼女の歌を聴いているとよく眠れたと言うのだ。私は、それはマリア・デル・マル・ボネットに違いないから、すぐにカセットを送るよ…と約束したのだった。

世界地図で米粒ほどの大きさしかないマジョルカ島の歌声が、意味が全く分からないまま、日本の100歳近い老婆の耳朶を打ち、心に響いたことに私は驚き、大げさなくらいに感動した。

数年後、母は後2週間で100歳になるところで亡くなった。

-…つづく

 

 

第68回:イビサの合気道 その1

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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