第375回:流行り歌に寄せて No.180 「悲しくてやりきれない」~昭和43年(1968年)
歌詞もメロディーも、しんしんと胸に沁みてくる名曲である。当初発売される予定だった、ザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングル『イムジン河』が、発売自粛になっていなければ、この曲は間違いなく生まれていなかった。(『イムジン河』については、私にも少なからず思い出があるので、後日またこのコラムに書いてみたいと思っている)
いろいろな政治的な要素も絡まり、レコード会社が自粛を決定してしまったため、急遽次の曲を作るよう加藤和彦は要請を受けた。要請というよりも強要だったようである。当時パシフィック音楽出版の会長の石田達郎(後のニッポン放送・フジテレビジョン社長)に、会長室に外から鍵をかけられ、3時間缶詰状態にされて作曲させられたという。
最初は何もイメージが湧かずに、室内のウイスキーなどを眺めていたが、そのうちに『イムジン河』のメロディーを譜面に書いて、それを逆から辿ったりしているうちにモチーフを掴み、ギターを弾きながら15分もかからずに曲が完成したとのことである。さすが、ドノバン・加藤和彦である。
この後も、また驚く話である。当時パシフィック音楽出版の専務だった高崎一郎が「作詞はサトウハチロー先生にお願いしよう」ということで、加藤和彦とともにサトウハチローのお宅にタクシーで駆けつけ、作詞を依頼したという。それまで加藤と一面識もないサトウと繋いでしまった高崎の手腕は見事と言うほかない。
そして一週間で出来上がってきた歌詞なのだが、実のところ依頼した側には違和感があり、レコーディングも気が進まなかったという。ところが、実際に歌を入れ出すと実に歌詞とメロディーがしっくりと馴染み、しみじみと胸に届いてきたのである。またひとつ、ここでもサトウハチローの鬼才ぶりが発揮された。
「悲しくてやりきれない」 サトウハチロー:作詞 加藤和彦:作曲 ありたあきら:編曲 ザ・フォーク・クルセダーズ:歌
胸に しみる空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか
白い 雲は流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか
深い 森のみどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も 続くのか
私は今まで、それぞれまったく別の3組のアマチュアバンドによるこの曲の演奏を聴いている。別々ではあるが、みな一様に、バンドのメンバーが何かかなり屈託した思いがあるときに取り上げて歌っているようで、人が打ち拉がれた際に、ふと歌いたくなる曲なのだろう。
自分も、行き詰まり、やり場を見つけられなると、ふと口をついて出てくる。「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない」3番とも、このフレーズの前の歌詞は、自然の情景を描きながら、自分の心情を吐露し、後の歌詞は、その持って行き場を探してもがいている。サトウハチローらしい、難しい言葉を使わずに深い意味を持たせる世界だと思う。
さて、フォークルのこの曲を聴き終わったとき「でも、何とかなるかも知れないな。いや、何とかしなければいけないな」という思いが、私はふとよぎる。それは編曲のありたあきら(作・編曲家、小杉仁三の別名)による後奏で使われる優しいヴァイオリンの音色が、塞いでしまった心を癒すように響くからかもわからない。
サトウハチローと加藤和彦による作品は、もうひとつ『泣いて泣いて』という曲があるが、レコーディングができないままだった。しかし若いシンガーソングライターの村上紗由理が平成28年に、EPレコード盤にカヴァー録音をして、世の中に出ることになった。素敵なことだと思う。彼女はなかなか魅力的な活動をしているようで、これからも注目していきたい。
さて、『悲しくてやりきれない』は夥しい数の人々によってカヴァーされているが、今回聴くことができた、映画『あやしい彼女』の劇中での多部未華子の歌唱は、ストレートで優しく、この曲の持つ世界を素直に表現しているように感じた。
-…つづく
第376回:流行り歌に寄せて No.181 「長い髪の少女」~昭和43年(1968年)
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