第533回:書く手段の変遷と文章の関係は…
先週、学会のついでに両親の家に寄ってきました。私の母はアルツハイマー、父は少しボケてきたジャンクコレクターで、これから先が大いに思いやられる状態です。彼らはバカデカイ家に住んでいますので、それだけジャンクが多く、父はモノを捨てることができない性格の上、近年、自分の兄弟、姉妹が次々と亡くなりましたから、そこから遺品とも、ガラクタともつかぬモノをゴッソリと自分の家に運び込んできます。
中西部の家はトルネード(竜巻)のための地下を持っています。トルネード警報のサイレンが鳴ると、地下室に避難するためです。ところが、実家のは地下室の避難所とは程遠い、総地下で、大きな寝室もあれば、暖炉付きのサロンや居間もあり、もちろん台所(冷蔵庫、ダブルのシンク、電子レンジも完備、ウチより遥かに豪華です)、トイレ、シャワー、それにちょっとした図書室もあり、一家族5、6人が十分に住めるようにできているのです。それだけ器が大きいということは、ガラクタ、ジャンクの置き場所がフンダンにあるということで、地下に足を踏み入れると、田舎のリサイクルショップに迷い込んだような気分になります。日本のドンキホーテのお店を想像してもらえれば当たっているでしょうか。
そこにもう半世紀は使われたことがないタイプライターを数台見つけました。今のパソコンのようにタイプライターはかなり個人的な所有物で、みだりに貸し借りしないもので、私のローヤル、あなたのレミントン、ブラザー、否オリベッティが最高だとか、やかましかったことです。ともかく自分の使い慣れたモノ、自分の指に馴染み、使い易いタイプライターは、それだけ愛着も強くなります。
高校の授業にタイプの時間もあり、指の位置、押し方、強さ、いかにポンと叩くようにキーを押し、離すか、キーを見ずに書類だけを見ながらタイプを打つ訓練を受けます。実社会で、少なくともアメリカにおいてですが、どのような仕事についても、タイプを正確に早く打てるかどうかは最低限の条件でした。
私は言葉が好きでしたし、ピアノを弾いていたので(習わされていたと言うべきでしょうか)、タイプの授業では先生よりも早く打つことができました。1分間に120~150字を打てたと覚えています。そんなこと、たいした自慢にもなりませんが…。タイプ全盛の時代でした。長ったらしい修士論文や博士論文も何度もタイプして、仕上げたものです。
その当時から、偉い文学者もタイプライターを使っていたようですが、実際に手書きの原稿と、いきなりタイプされた文章とでは違いが出てくる…という批評を読んだことがあります。
タイプライターが標準化し、広がったのは100年ほど前のことですから、それ以前の小説家はすべて手で、羽根ペンで、それから鉄のペンで(ペン先は金)、そして万年筆で書いていたのでしょう。昔の羽根のペンで書かれた書物は、なるほど、芸術的な美しさがあるものだと、感心させられます。
日本や中国の毛筆で書かれたモノを見ると、その内容は分からなくても、それだけで絵画のように見えます。問題は、あまりに崩して流れるように書いてある毛筆は、普通の人に判読できないことです。私のところにチョイチョイ持ち込まれる古い日本語、広東語、北京語の文書は、家に持ち帰り、ダンナさんに見てもらいますが、彼でも、「ウーム、コリャなかなかの達筆だ…」と言うばかりで、読めないことも多いのです。
電動タイプライターは衝撃的でした。キーを軽く触るだけでバシバシと文字を打つことができるうえ、おまけにメモリーが付いているので、思いっ切り早く打っても、タイプライターの方で後を追ってくるように、文章が完成していくのには驚かされたことです。
タイプライターの欠点は間違えて一文字でも打ってしまうと、それを後戻りさせ、その文字だけ打ち直すことができないことです。そこで、スペルを間違えたところに壁を塗るように白い塗料でマニュキアのように塗り、文字を消し、その上に打ち直さなければならないことです。そんな修正箇所が1ページに幾つもあると、内容にかかわらず、なんだか汚らしい原稿になってしまうのです。唯一の解決策は、またはじめから打ち直すことしかありませんでした。
ワードプロセッサーなるものが出たのは、電動タイプライターのすぐ後で、狭く細長いスクリーンに打った文章が出てきて、その映し出された範囲では修正が効き、ヨシ、スペルも文章もこれで間違いなしと判断したら、一つのキーを押し、タイプするものでした。
コンピューターが出てきて、何ページもの文章を保存でき、何度でも修正、添削ができるようになったことはまさに革命的で、私のようなシゴトをしている者にとっては神様の恩恵です。これなくして面倒な事務仕事を処理できないし、論文や簡単なレポートですら書けない…と思っていたところ、私の事務所にくる生徒さん、「先生、まだパソコン使っているの~?」とモノモウスのです。
彼ら、彼女らはもっぱらタブレット、iPhoneだけですべてを済ませているようなのです。そして、あの小さなスクリーンに映し出されたタッチスクリーンのキーボードを恐ろしい速さで打つのです。しかも、軽く抱えたタブレットを両方の親指だけで、往年のタイプチャンピオンの私が10本の指でこなしていた速さを、あっという間に追い抜くようなスピードで文章を打つのです。彼らの秘密の半分は、自分がよく使う単語をタブレット、iPhoneに記憶させ、頭のの文字を打つだけでその単語が出てきて、単語すべてのアルファベットを打たなくてもいいことのようです。それにしても呆れ果てるスピードです。
作家のへミングウェーは太い指でタイプライターを叩き、ブンガクを創作していましたが、そのうちタブレット、iPhone を駆使して書かれた偉大な小説が世に出るかもしれませんね。
第534回:消えゆく地上有線電話
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