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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第25回:人間としてのバッハという男 その3

更新日2022/05/12

 

バッハが当時の男として、とりわけ亭主関白、男尊女卑だったわけではない。逆に最初の妻マリア・バルバラを教会で唄わせようとしているくらいだ。当時、女性が教会の聖歌隊に加わることなどあり得ないことだったのだが…。

ハンブルグのカントル、オルガニストだったヨハン・マッテゾンは、すでに聖歌隊に旧弊を破り、少女を加えていたにしろ、テューリンゲンの田舎町では、女性が教会で歌うのは純粋な信仰心をかき乱す猥褻にも似た行為だった。

それほど、女性が人前で歌う、奏でるチャンスがなかった。いくら才能があっても、開花させる舞台が用意されていなかった。女性は大人になると同時に結婚し、赤ん坊を次々と産み、育てるためにある…と、バッハだけでなく、当時の男どもは皆そう思っていた節がある。     

バッハも時代の子であるから、自分の娘たちだけでなく、妻をもそう捉えていたのだろう。そうでなければ、矢継ぎ早に20人もの子供を作るはずがない。まるで女性、妻たるものは、赤ん坊製造機のようなものだった。『女大学』や貝原益軒の『家道訓』などが必要ないほど、カトリック、プロテスタントを問わず、妻たるもの、夫に仕える、そして赤ん坊を産み続けるのが自然、当然だとされていた。現代の恋愛感情、恋愛から結婚、育児に至る感覚をバッハに当て嵌めることはできないのだ。

日本でも事情は同じようなものだったろう。明治になってからでも、例えば夏目漱石は妻、鏡子について、「本当に女は妊娠ばかりしやがって、どうしようもない」などと友人に愚痴っている。誰が妊娠させたかを考慮していないとしか思えない言動だ。

私の母が結婚した時、父方の祖父の挨拶は、“3年して子無きは去れ”だったという。そんなことは心配御無用とばかり、幸い次から次へと続々と子を産んだのだが…。

バッハはタフだったが、それにしても、妻たちの体力も半端ではない。根っから頑丈な造りの女性だけが生き続けることができたのだろう。バッハは二番目の妻、アンナ・マグダレーナに13人の子供を生ませ、7人は成人することなく死んでいる。まるで可能な限り赤ん坊を作り、その内の半分でも育てばそれで良いと思っているかのようにさえ見える。もっとも、平均寿命が50歳以下の時代のことだ。女性は妊娠、子造り、子育てに消耗し、早死にしていた。幼児死亡率が非常に高い時代でもあった。

バッハの息子たちで一番才能があるとみなされ、バッハ自身特別目をかけていたのは、先妻の三男坊、ゴットフリート・ベルンハルト・バッハだ。数多い我が子の中で、至極当たり前のことのように才能あるゴットフリートをエコヒイキしていた。

ゴットフリートは父親ヨハン・セバスチヤンの肝いりが必要ないほどの卓抜した技量で試演をパスし、ミュールハウゼンの聖マリエン教会のオルガニスト、カントル職に就いた。ゴットフリートが20歳の時だった。

親心子知らずなのか、親は我が子に対し、常に盲目になるように運命づけられているのか、ゴットフリートは深酒し、怪しげなところに出入りし、あちらこちらに借金を重ねた。借金からのがれるように、ゴットフリートはザンガーハウゼンの聖マルクト教会のオルガニストの職に移った。

ゴットフリートのオルガン演奏は確かに素晴らしいものだったようだ。だが、ゴットフリートはそこでも以前にも増して酷い自堕落な生活に陥ったのだ。酒とセックスに溺れ、アル中の症状を示していた。バッハがこれほど気を配り、何通もの手紙を書き送り、借金の肩代わりをし、更正を図ったが、それも虚しく、ゴットフリートは24歳で他界した。バッハ自身が言うように、バッハ以上の才能に恵まれていた息子は、アルコールで潰れたのだ。

話は逸れるが、バッハ一族で音楽家とみなされている者は85名いる。その中で生前から名を知られたのはヨハン・クリスチャン・バッハだけだったと思う。ヨハン・クリスチャンは大バッハが50歳の時、アンナ・マグダレーナ34歳の時に生まれた。彼だけが国際的に、と言っても北西ヨーロッパに限ったことだが、活躍した。

プロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷で、そして、なんとミラノ大聖堂のオルガニストにまでなり、イタリアオペラを数多く作曲し、“オペラの母”という勲章まで授与されている。イギリスに渡り、ヘンデルの後継者とみなされ、同じ地位を得た。幼少モーツアルトがロンドンに来た時、モーツアルトの才能をいち早く認め、何くれと世話をしたのがこのバッハ、ヨハン・クリスチャンだった。その後、晩年を過ごしたパリでも彼の才能は枯れることなく、作曲、演奏を続けた。当時、バッハと言えば、このヨハン・クリスチャン・バッハのことだった。

No.25-01
ヨハン・クリスチャン・バッハ
アルプスの北、寒い国にはどんなゲージュツも育たないとされ、
イタリアが美術、音楽の大輸出国だった時代に、
このヨハン・クリスチャン・バッハだけが全ヨーロッパに知られていたようなのだ。

大バッハはヨハン・クリスチャンが幼少の時から彼の才能に気づいていた。“平均律クラヴィーア曲”の第二集はヨハン・クリスチャンのために書かれている。だが、大バッハはヨハン・クリスチャンが15歳になる前に死んでいる。ヨハン・クリスチャンはベルリンのフリードリッヒ2世の宮廷楽師だった20歳以上年上の兄のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの下に身を寄せたのだ。

大バッハの少年時代と似ている。ヨハン・セバスチャンが両親を亡くしてから、オールドルフのオルガニストであった兄、ヨハン・クリストフ・バッハの元に身を寄せたことはすでに書いた。

No.25-02
バッハの家系図
アメリカでは自分のルーツを辿るのが流行っている。
大なり小なり、家に誇りを持つか、自分を歴史上の著名人に
結び付けたがるのは日本人と同じだ。それに伝承を書き加え、製本したりする。
この家系図はバッハの孫娘が書き写したもので、元本は残っていない。
これによると、バッハ一族は16世紀中頃までハンガリーに住むパン屋だったらしい。
もちろん女性軍は無視されている。

教会のカントルにしろ、宮廷音楽家にしろ、テレマンやヘンデルは、例外中の例外の高給取りだった。普通のカントル、オルガニスト、宮廷のヴァイオリン弾きの給料は、それで家族を食べさせていける額ではなかった。独身ならまだしも子沢山のバッハは、我が子に食べさせるだけでも大変なことだったのは想像に余りある。

ヘンデルは相当な発展家で、数多くの女性たちと関係を持っていたが、生涯独身で通し、家庭を持たなかった。テレマンは最初の妻を産褥で亡くし、二番目の妻、マリア・カテリーナに9人の子供を産ませている。が、このマリア、聖母と同じ名前だが、聖母とは180度異なるマリアで、スウェーデンの将校と浮き名を流すは、ギャンブルに溺れるはで、大変な女だった。

9人の子供は、誰一人として音楽家にならなかったどころか、音楽に興味を示さなかったところから、マリアが生んだ子のほとんどは、テレマンの子ではない、と見るムキがいるくらいだ。テレマンは妻の情交を知ってか知らずか、妻マリアがギャンブルで作った莫大な借金を肩代わりし、86歳まで生きた。

-…つづく

 

 

第26回:バッハとセックス その1

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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