第791回:“State of the union”とは何ぞや?
日本にはないアメリカの習慣を翻訳するとき、往々にして頓珍漢な翻訳が現れます。
“State of the union”をGoogle翻訳で見ると、“労働組合の状態”と、まるで的外れの訳になっています。無理して説明的に訳せば、“アメリカ大統領の年次教書”とでもなるのでしょうか。
三省堂のコンサイス辞書、研究社の英和辞典では、さすがにそんな逐語訳的間違いはありません。偉そうに言わせて貰えば、インターネットの翻訳に頼らず、キチンと辞書を引きなさい! となります。
このアメリカの大統領が年始めに行う“年次、年頭の指針”発表演説(一般教書演説)は、一種の政治的なショーと言えなくもありませんが、とても興味ある、かつ面白い行事です。上下院議員全員、最高裁裁判官、判事がフロアの席にあり、2階の傍聴席には選ばれた招待客、ファーストレディー、各州の知事や時の人が占めます。そして、この情景はテレビの4大チャンネル(ABC、CBS、NBC、FOX)、PBS(アメリカのNHK的な公共放送)で実況中継されます。
ですから、誰も観ない国会中継と違い、アメリカ人誰しもが関心を払う、大きな政治ショーなのです。
ショーですから、目立ちたがり屋の政治家、特に女性の議員(男性の方は背広にネクタイ、せいぜい黒人はアフロな衣装程度)のすべてではありませんが、まるでアカデミー賞の授賞式に出る女優のようなハデハデファッションに身を包み、ヘアメイク、化粧もこれでもか! というほど決めているのです。
元々、政治家になる人、選挙戦を勝ち抜いて来たような人種は目立ちたがり屋なのでしょうね。ウチのダンナさん、「オイ、あんな自己顕示欲の塊みたいなヤツに政治を任せても良いのか?」と面白がっていましたが…。付け加えて「万が一、絶海の孤島で1、2年過ごさなければならない事態に陥っても、こんな奴らと一緒にいたくないな~」と宣っています。
ここでバイデン大統領の演説の内容について、それを分析しようというわけではありません。ただ、テレビで観た印象を書きつらねるだけです。バイデン大統領、インタヴューやプレスコンファレンスで、お歳のせいか、本来そんな話し方しかできないのか、もそもそ口の中で物言いし、ウチのダンナさんは、「何を言ってるんだ?」と、再三私に訊くくらいです。天才的な演説上手だったオバマ前大統領の比ではない…と思っていました。ところが、“State of the union”の演説では、実にはっきりとした発音で、メリハリがあり、しかも間合いの取り方なども上手にスピーチをやったのです。
後で調べたところ、バイデンさん、忙しい中1週間以上前から、演説のトレーナー、言語学者などを動員して、相当練習したことのようです。結果、準備した原稿をほとんど見ることもなく、感動的、記念碑的演説をしたのです。正確に数えませんでしたが、スピーチの途中で、スタンディング・オベーション(立ち上がって拍手をする)が50回以上あったと思います。もっとも、民主党の議員さんたちが率先して、拍手に立ち上がり、2階の傍聴席に陣取った招待客も同調したのでしょうけど…。それにしても、何度となく盛大な拍手でスピーチは中断されたのでした。
演説をする大統領の真後ろに副大統領のカマラ・ハリスと下院議員多数党の代表である共和党のケビン・マッカーシーが陣取っていて、大統領がテレビカメラに映っている時、必ずこの二人がバックに映ることになります。ですから、バイデンさんが老人の医療、成人病、高血圧や糖尿病の薬を大幅に補償すると、民主党の中でも左派の法案を推進すると言った時など、副大統領のカマラ・ハリスは立ち上がり、盛んに拍手をしますが、下院議員のスポークスマン、共和党のケビン・マッカーシーは苦虫を噛み潰したような表情で、憮然と構え、椅子から立ち上がりませんでした。これも政治的なショーの面白さでしょうか。
今回の演説の特徴は、カリフォルニア州で大量殺戮事件の時、素手で銃を持った襲撃者と闘い、銃を奪い、危ういところで多数の命を救った中国系の若者ブランドン・ツアイと、テネシー州メンフィスで警察官に殺されたタイレー・ニコルスの両親を招待し、彼らにスポットを当てたことでしょうか。
紹介された彼らは、多少テレながらも起立して満場の拍手を受けていました。他にも、ウクライナのアメリカ大使オクサーナ・マーカロヴァ、U2の歌手、作曲家で社会意識が強く、様々な人道支援を繰り広げているボノ、自宅で暴漢に襲われ、重傷を負ったナンシー・ペロシの旦那さんのポール・ペロシーなど、時の人がテレビカメラの焦点に当たりました。
『一般教書演説』は年初めの願望のようなもので、それが全部実現するとは、聴衆も、本人自身も信じてはいないでしょう。年が明け、今年は心機一転、これこれをするぞと決心し、それを表明するようなもので、初夢に願いをかけるみたいなモノなのでしょう。
それがたとえ政治的なショーであったとしても、全米に放映される価値がある…と思うのです。そのおかげで、少しでも政治的関心が高まるなら……。
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