第297回:日本で相手をなんと呼ぶかが問題だ!
アメリカ人は割合気楽にどんな相手でも苗字ではなく、名の方で呼び合います。大学の先生同士でも、プロフェッサー・スミスとか、ドクター・ボンドとは呼ばず、名前の方を呼び捨てにします。「ハーイ、ジョン」とか「ハワーユー、ロビン」とやるわけです。会議の時なども、学長に対してでも、偉い老教授に対しても、ジャック、リック、トムと呼び捨てです。
生徒さんが先生をなんと呼ぶかは、その先生によります。ヨーロッパや東洋から来た教授は、生徒にドクターなになに、プロフェッサーなになにと呼ばせているようですが、私は逆にそんな肩書きは付けるな、グレースと呼び捨てにしてください…と生徒さんに言っています。
ところが、日本語の授業では、自然に生徒さんがグレース先生と私を呼び、私も女の生徒さんは「さん」、男は「クン」をつけて呼ぶ習慣が付いてしまいました。日本語の授業では、言葉だけでなく、日本文化も身に付いていくのでしょうか…、そうありたいものですが。
スペインで、孫がお爺さんを「リカルド」などと呼び捨てにしていることにショックを受けました。アメリカでさえも「グランパー何々」、「グランマー何々」と呼び、さすがに名前を呼び捨てにはしません。日本でも、いくら親しくても、お爺さんを孫が「オイ、甚平!」と呼び捨てにはしないでしょう。
ところがスペインやラテンの国々では、その割りに、肩書きにはうるさく、ドクター、プロフェッサー、弁護士ならリセンシヤードと必ず敬称肩書きを付けます。
プエルトリコの大学で教えていたとき、生徒さんが私を呼び捨てにしていたのを他の先生が聞きとがめ、「ちゃんと"ドクター"を付けて呼びなさい!」と叱っていました。私の方は、どう呼ばれようと私自身が変るわけでもないし、中身は同じだから、どっちでも良いと思っていたのですが、他の先生たちの立場もあるので、ドクターの敬称を付けて呼ばれることを受け入れてしまいました。
天皇家に苗字がなく、名前だけで呼ばれていると知り、それじゃ明治以前のお百姓さんと同じではないかと驚いたことがあります。
うちの仙人のよると"ヒロヒト"と呼び捨てにするのは、アメリカ軍が進駐してきてからのことで、戦争前、戦争中は大半の日本人はヒロヒトという名前すら知らなかったのではないか、アメリカが日本を占領してから、反軍事政権的な響きを持たせ、天皇は人間であり、天皇制廃止に持っていこうという意図があったのではないか…と、うがったことを言っていますが、アメリカ人なら、天皇だろうが、大統領だろうが、名前がそれしかないのなら、そのまま呼び捨てにするのは当たり前のことで、何の配慮もありません。わざわざ昭和天皇という年号では呼ばないでしょう。
さらに驚いたことに、西郷隆盛の「隆盛」という名前は、生前誰もタカモリとは呼んだことはないし、ほとんど人が知らなかったということです。
これも変なことに博学なウチの仙人の受け売りですが、隆盛は"イミナ"で(このイミナという漢字はマイクロソフトのワードに載っていません。死んでから呼ぶ名前で、生前には呼ぶのは不吉なこととされていた名だそうです)、このイミナは戒名とは別で、本名なのですが、生前には使わない、呼んではいけない名だと言うのです。西郷さん、生前は吉之助と呼ばれていました。
日本の歴史上の人物の名前で混乱させられるのは、幼名、元服してからの名前、それから、出世して次第に偉くなるに従い、名前をどんどん変えることです。おまけに勲位とか官位とかが頭に付き、そちらの方が一般に呼びならわされるようになってくると、歴史に余程熱を入れている人でない限り、誰と誰が一体同じ人なのか分からなくなってしまいます。
お相撲の世界では、まだ本名とは別に四股名(シコナ)があることは当たり前のことして受け入れられ、その四股名も出世するに従い、もっとアリガタイ、良い四股名に変更しても、誰も不思議に思いません。歌舞伎や落語の世界でも同じように偉くなるとどんどん名前を変えていきますね。これは一種の芸名ですから、西欧でもよく見られることです。
しかし、日本では字画かなにかの姓名判断などで、ごく普通の人が名前を変えることがかなりあるように思います。その際、親が付けてくれた名前をそのまま呼ぶと、それは改名前の不吉な名前だか、失礼にあたる、新しく付けた名前を呼ぶべきだ…と、日本の古いことにうるさい知人に教えられたことがあります。こうなると、もう何と呼んでいいものやら、カンベンしてくれ…と言いたくなります。
ウチのダンナである仙人が幼なじみの旧友と集まる時、苗字ではなく、名前や略称アダナで呼び合っていることに気がつきました。アキ、ケン、トッチャン、オカチン、周ちゃんと、たとえ相手がツルッパゲの爺さんでも、子供の時そのままの呼び方を使っているのです。
日本で、あの歳になって名前の方を呼び捨てにできるのは、そんな間柄だけではないかと思います。それが、高校、大学時代の友達になると、苗字の方を呼び捨てにしています。これが、社会人になってから知り合いになった人とか、仕事の関係の人ですと、相手の役職、社長、専務、部長、先生とやるのでしよう。
私の義理の弟は、かのマイクロソフトで働いています。少し前まで、ビル・ゲイツが会長に退く前まで、よく顔を合わせていたそうですが、社内の人は誰もプレジデント、社長と呼ばず、会社に入ったばかりの若い人でも、皆、ビルと呼び捨てにしているといっています。
日本語で何が難しいといって、敬語の使い方です。余程日本語がペラペラしゃべれる外人でも、よく戸惑い、間違い、不可能に近いくらい困難です。日本の上下関係、内、外の関係が分からず、相手の呼び方も、何と呼ぶかが判断できず、その下に付けるのは、「さん」「クン」「さま」にしていいのか、役職で呼ぶべきなのか、こんがらがってしまいます。
ウチの仙人に言わせれば、日本人でも敬語を正しく使える日本人はほとんどいないから、あまり気にするな、分からないときには、誰にでも丁寧語で話し、「さん」を付けろということになります。
相手をどのように呼ぶかは複雑な上下関係や日本的なウチ、ソトの関係に左右され、一つの文化を形造っているのは分かりますが、外国人にはとても高いハードルになっています。
第298回:プラスティックカードの世界
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