第638回:世界遺産が地域をダメにする
アメリカ人が定年退職し、まず何をするか、したいかのトップランキングに挙げられるのは、国立公園巡りでしょう。ホテル、モーテルに泊まり歩くよりも、キャンピングカー、トレーラーで回るのが一般的かもしれません。私たちが訪れた国立公園、グランドキャニオン、イエローストーン、アーチスなどで、定年組にたくさん出会いました。
その中の半数くらいは、数年かけて、すべての国立公園を回るつもりだと語っており、スタンプ帳にそこを訪れた証明、記念になるのでしょう、マメにスタンプを押していました。それに、定年組には国立公園老人パスを20ドルで買うと、生涯、61ヵ所ある国立公園(National Park)、129ヵ所の国定公園(National Monument)が入場無料になる役得があるのです。
入園料にバラツキがありるものの、15ドルから30ドルですから、かなり大きな特権です。おまけにキャンプ場も大型割引が適応されます。アメリカの貧しい老人社会保障政策をそんな形でカバーしているのかもしれませんね。
アメリカの国立公園は、アメリカが世界に誇れる数少ないものの一つです。4人の大統領の顔を巨大な岩に刻んだ、なんともアメリカ的なマウント・ラッシュモア(Mount Rushmore National Memorial Park;National Monumentです)のように、人工的なところもありますが(しかし、これが大人気で、私たちが訪れたときの賑わいは、まるで日曜日の表参道さながらでした)、中西部にある国立公園は広大な自然の中にあり、その中を車で回るようになっています。公園内にキャンプ場もあり、キャンピングカーが並び、奥の方にはテント専用のところが設けられていて、何日か静かに過ごすことができます。
パークレンジャーがいるインフォーメーションセンターの建物は、その土地に似合うよう、丸太小屋風だったり、南西風のアドベ風だったり、ティーピー風だったりし、そこに小さな博物館も併設されています。マ~、程度の問題かもしれませんが、その土地の自然に溶け込むように造られています。
国が膨大なお金を注ぎ込んで国立公園を保護、管理しています。トランプ大統領のように、固定公園であったインディアンの聖地、“ベアー・マウンテン”を外そうとするようなことも例外的に起こりますが、歴代の大統領は国立、国定公園を保護しています。
国立、国定公園は日本の公園、パークというイメージからかけ離れた広大な地域であることが多く、それらはすべて国の土地です。ですから、公園内に2、3の例外はあるにしろ、営利事業のホテルやレストラン、土産物屋などはありません。したがって、醜いものの典型である縦長のノボリ旗をたなびかせているような光景は公園内に存在しません。
そこに、世界遺産なるものをユネスコが作り出しました。そのように世界遺産として指定し、守らなければならない人に知られていない遺跡や記念物がたくさんあり、指定され、破壊から免れているコトもあるでしょう。でも奇妙なことに、アメリカ、ヨーロッパで、「なに? 世界遺産? そりゃなんだ、何を今頃、金を出さないで指定するだけの世界遺産って何なんだ?」と、ほとんど話題ににもなりません。
ところが日本では、世界遺産巡りのように、どこそこが世界遺産に指定された…というとワ~ッとばかりに押しかける現象が生まれているようです。一度だけ、世界遺産になったとは知らずに、知床半島に出かけて、酷い目に遭ったことがあります。バスが駐車場に近づくにつれ、ノボリ旗が立ち並び、土産物屋さんが軒を並べ、まるで浅草の仲見世とはまで言いませんが、田舎祭りの夜店のような光景が続いていたのです。
私たちは、大昔、イビサ島に住んでいたことがあります。そのイビサ全島が世界遺産になりました。それで、イビサへの観光客が増えたというようなことはありません。アメリカ国内で世界遺産は24ヵ所あります。すべてがアメリカ国立公園、国定公園、もしくは州立公園とダブっています。
欧米人が世界遺産に見向きもしないのは、具体性、早く言えば、金を出さないなら口を出すなということに尽きるでしょう。
観光客を集めて得をするのは、旅行会社とごく一部の関係者だけで、地元の人に益するとところは殆んどないと言ってよいでしょう。逆に一時期ブームになり、賑わうだけのことで、長期的にみれば、その土地を観光で侵食されるだけに終わるでしょう。
まだ、世界遺産を返上したところはないようですが、じきに「もう止めた」「世界遺産なんて、何ほどのこともない」と、地元の人が取り消しを要求するケースが出てきても驚きませんよ。
私たちが「コロラド・ナショナル・モニュメント」(Colorado National Monument;国定公園に相当するのかしら)の後ろ、西側の高台に住んでいることは何度か書きました。一周道路はマラソンコースほどの長さですが、とてもキツイ登り降りがウネルように続き、途中に十何ヵ所の見晴らし台があり、そこから長短のハイキングコースがたくさん出ていて、1日、半日、お弁当を背に散策するのに、手ごろな峡谷です。小型のグランドキャニオンです。
この「コロラド・ナショナル・モニュメント」を格上げして国立公園(ナショナル・パーク)にしようという運動が谷間の町に興り、町の商工会議所、主に観光業、ホテル、レンタカー、レストランなどが中心になって、アワヤというところまで行ったのですが、反対運動に遭い、没になりました。その反対運動の核になったのは、地元の住人でした。私たちの住むグレード・パーク(コロラド・ナショナル・モニュメントの西に広がる台地)の住人は、全員こぞって反対派でした。というより大反対でした。
というのは、崖を削って造った狭く曲がりくねった道路のどこにでも車を止め、記念撮影に余念がない観光客は交通渋滞を作るだけでなく、非常に危険だ、見晴らし台にそれだけの駐車スペースがない、トイレもビジターセンターにしかない、 公園を聖域としているビッグホーンシープやアンテロープ、ミュール鹿などの野生動物に悪影響を与える、それに彼らが残していく膨大な量のゴミの処理などなど、何千、何万台もの車を連らねてやってくる国立公園巡りにとても対応できないからです。
自転車やクロスカントリーランナー、ハイカー、クライマーならいくら来てもらっても大歓迎ですが、入り組んだ急峻な谷、奇岩だけの比較的小さなナショナル・モニュメントはハナから大量の観光客を受け入れるようなところではないのです。
「コロラド・ナショナル・モニュメント」は知る人ぞ知る、小さな国定公園が相応だと思うのです。
流行の兆しが濃厚な世界遺産、一体世界遺産に指定されたから、それが何なのだ、雑踏にまみれるだけのことではないか、歴史的な構築物、遺跡などの世界遺産になろうがなるまいが変わらないではないか…と思うのです。世界遺産指定は、静かな佇まいを残した寺院、遺跡を散策する楽しみ奪っているように思われてなりません。
永平寺の雑踏、小旗を掲げた添乗員に付き従う人々の大半は、禅にも道元さんにも興味を持ったことなどないでしょう。もっとも道元さん、永平寺のようなハデハデしい大寺院を毛嫌いしていたのですが、三代目の義介が建てたとダンナさん入れ知恵をしてくれました。
本筋の道元さんの禅は、人里離れた山奥の宝慶寺で継承されているそうですが、宝慶寺は廃寺のようになっている…と、これまたダンナさん経由の知識です。禅に打ち込み、道元さんの教えを辿る人なら、世界遺産などに関係なく山奥の宝慶寺まで訪れることもあるでしょう。
宝慶寺が世界遺産などにならず、いつまでもヒナビタお寺であることを願わずにいられません。
-…つづく
第639回:家元制の怪 1
|