第445回:偶然と運命 ~誰も未来のことなど分からない
私たちは誰でも、自分が生まれてくる場所や時間、ましてや人種、国籍などを前もって選ぶことができません。私がアメリカのミズーリー州の田舎に生まれたのも、自分で好き好んで選んだわけではありません。
ウチのダンナさんは、日本人(元と言った方が良いかしら)として、日本で生まれました。私たちが出会ったのは、戦後も戦後ですが、もし生まれる時代が少しずれていたら、戦争相手の国同士で、鬼畜英米とジャップですから、一緒に暮らすのはとても難しかったことでしょう。
戦後、日米がどうにか仲良くやってくれていますから、毎年のように日本に行くのに何の不便も(航空運賃は別ですが)ありませんし、二人でコロラドの山で暮らすことができます。これも考えてみれば、とても幸運なことです。
人は生まれた土地によって、運命は大きく左右されます。選ぶことができないのですから、持って生まれた条件の中で、より良く生きることしかできません。黒人の家族で黒人として生まれ育ったのに、薬で白人になろうとし、薬害で死んだマイケル・ジャクソンは例外でしょうけど…。
どこに住んでいるかでも、人生は大きく違ってきます。
私の妹の旦那さんが肺がんになり、苦しい闘病生活(抗がん剤治療はあんなに苦しいものなのですね)を続けています。しかし、彼自身、とても前向きな人ですから、癌になったことを嘆くのではなく、自分が恐らく世界で最高の治療を受けることができる都市、シアトルに住んでいること、そんな治療を金銭的な心配を一つもせずに専念できる幸運に感謝しています。
本当に彼の言うとおり、アメリカでは医療の質の差はとても大きいですから、どこの病院で、どの先生に罹るかで、命そのものが大きく左右されてしまいます。自分で自分の運命を切り拓く…と言えば聞こえはいいですが、絶対的に他の要因で、人生、自分の命が左右されてしまうこともあるのです。お金もなく、彼のような最高の健康保険に加入していない人、そして無医療に近いような地域に住んでいる人なら、とっくに死んでいることでしょう。
私の従姉妹二人と彼女たちの両親が立て続けに亡くなりました。その二人姉妹は、私の姉のような存在で、テーンエージャーの時にはとても憧れ、やることなすこと彼女たちの真似をしたものです。もっとも、私は彼女たちのお下がりの洋服を着せられていましたから、姿、格好まで似てしまうのは当然ですが。
その従姉妹は二人とも癌で亡くなりました。上の方の従姉妹は、様々な治療を試み、なんだか怪しげな東洋医学の治療を受けに、アメリカ中を駆け回っていましたが、癌に打ち克つことはできませんでした。下の従姉妹は、何度か抗がん剤治療を受けた末、これ以上の延命治療はいらないと、自宅で亡くなりました。
運命論からガン論?になってしまいましたが、周囲を見回すと、ガン関係の人がずいぶん多いことに気がつきました。それどころか、ガンだらけなのです。親戚、知り合いの"勝率"なんて言ったら道徳のないヤツと呼ばれそうですが、生存率と言い換えてもいいのですが、およそ50パーセントくらいです。それを高いと取るか、低いと思うかは、本人がどれだけオポティミスト(楽天主義と言うのかしら)であるかどうかで決まるのでしょう。
こんなことが気になり出したのは、やはり私が歳をとってきたせいでしょう。どこまで本気かどうか定かではありませんが、ウチのダンナさん、「そりゃ、オメー、こっちで病気を選らべない以上、死に方も限定されてくるわな。今まで医者をあまり尊敬しない生き方を続けてきたんだから、このまま突っ走るしかないじゃないか」と、かなり恐ろしいことを口走るのです。
私の親、兄弟、友達の間で、彼の有名な警句は、『誰も自分の未来のことなど分からない』というもので、暗にクヨクヨ将来のことを心配しても始まらないから、今現在をシッカリと充実させて生きろという意味なのでしょう。
それにしても、自分の未来に視点を起き、そこから現在の生活、生き方を充足させていくのと、将来のことは考えてもなるようにしかならないから、場当たり的に(と、彼は言っていませんが)現在を生きるのとでは、大きな差があると思うのです。
やはり、運命は自分の手で、意志で、築き上げていくものだと考える方が、積極的に生きる糧になるように思います。それがいかに限定されたものであっても…。
第446回:新聞の力~『ニューヨーク・タイムズ』の社説
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