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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第126回:鉄工所のフォアン叔父さん

更新日2020/07/16

 

フォアン(Joan)は一昔前のイタリア映画から抜け出てきたような、下町の頑強オヤジそのものだった。背は低く、その分肩幅が異常に広く、胸も厚くがっちりした身体に、ポマードでオールバックに固めた黒髪、手入れの行き届いた口ヒゲ、クルミを丸ごと砕けそうな顎、どこから見ても身体や顔から精力が溢れ出ているのだった。

フォアンの鉄工所へは、我が大家のゴメスさんの紹介で行った。

『カサ・デ・バンブー』の冷蔵庫は、カウンターの内側の壁一面に据え付けられた建物の一部で、それに大きな4枚の木製のドアに真鍮のハンドルが付いた前時代的なゴツイ代物だった。昔は氷を入れて使っていた冷蔵庫に、コンプレッサーとモーターを外付けして電動の冷蔵庫にしたものだった。カウンターの下で時々思い出したように震え、回り出すベルトドライブの機械があった。モーターとベルトで繋がっているコンプレッサーの鉄の台座が錆付き、ガタがきていたのをフォアンに新しく作って貰ったのだ。建設鉄材の卸しをしていたゴメスさんの口利きだった。

フォアンの鉄工所は中学校の教室ほどの大きさで、鉄工場のご他聞に漏れず、全体に薄暗く、現在進行形で使っている機械だけスポットで電灯が点くようになっていた。プレス、旋盤、溶接のほか、何のためのものか分からない機械類がそこらに据え付けてあった。

私が鉄工所に入って行った時、フォアンはゴツイ作業服に汚れた厚手のエプロン、ほとんど肘まで届く手袋、それにゴーグルという戦闘態勢のいで立ちで、高速回転しているグラインダーで火花と騒音を撒き散らしていた。仕事を終え、シャワーを浴び、清潔な普段着に取り替えてバールやカフェテリア、レストランを徘徊する姿しか見せない男の仕事場を覗くのは常に興味深いものだ。 

フォアンは私が持ち込んだ錆付いた台とフレームを見て、溶接部も剥がれてきているから、新しく作った方がよい、そこに置いておけと、クズ鉄置き場を指差した。そして張りのある大声で工員を呼び付け、私が持ち込んだフレームを造るように、何ミリの鉄を使えと、細かく指示を出した。その工員はフォアンより首一つ背の高い大男だったが、彼がフォアンの息子だとは、その時は知らなかった。

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シェリー・ブランデーのカルデナル・メンドーサ(Cardenal Mendoza)

その日の夕刻に、フォアンは冷蔵庫コンプレッサー/モーターの台座フレームを持ってきてくれた。私はここスペイン、イビサでは職人に仕事を依頼すると、とんでもなく時間がかかることを体験させられていたし、時間がかかっても、職人が来てくれ、仕事を終えてくれれば儲けモノであることを知っていたから、たとえゴメスさんのお声がかりとはいえ、フォアンがその日のうちに鉄のフレームを仕上げてくれたことに感動さえした。しかも、据付けにまで手を貸してくれ、硬いゴムのショックアブソーバーを取り替えるべきであること、ベルトのテンションはどのくらいにすべきだと、忠告、教授してくれたのだった。料金もはじめは受け取ろうとせず、いくらだったか忘れてしまったが、押し付けるように渡したのだった。もちろん、店で最高級のコニャック、カルデナル・メンドーサ(Cardenal Mendoza;サンチェス・ロマテ社の高級シェリー・ブランデー)を何杯かご馳走したが…。

フォアンはシーズンに何度か、「冷蔵庫がマジメに動いているかどうか観に来たゾ」と言いながら、ブラリと立ち寄ってくれた。私の方も、買い物ついでに時折フォアンの鉄工所を覗きに行ったりした。

確か9月に入り、イビサのピークシーズンが過ぎ、やっとの思いで、先が見えてきた頃、フォアンが三つ揃いのスーツをバッシと着込み、ネクタイを締め、まるでマフィアのボスのようないで立ちで現れたのだ。しかも、彼はガールフレンドと呼んだものか、愛人と言うべきか、ドイツの大女を連れて来たのだった。

それが、アルプスの少女ならざる、ババリア(ドイツ南部・バイエルン地方)の元少女ハイジ(Heidi)だった。ハイジはフォアンより首半分は背丈があり、小さな卵型の顔に小さい灰色の目、薄い唇の顔、頭をその大きく、頑丈そうな身体に載せているのだった。顔の小ささのせいか、余計に身体の大きさが目立つのだろうか、バーンと張った肩、大きな胸、ウエストがないまま横に広がった巨大な腰、その割りに細く、すらりと伸びた脛、彼女に剣と盾を持たせたら即アマゾンの女剣闘士になる体格なのだった。何だか、フォアンが愛人兼女性ボディーガードを引き連れて歩いているようにさえ見えるのだった。

彼らは公然とした不倫旅行、バルセロナにレヴューだか、ショーを観劇に行った帰りだった。男女間の不思議な光景はイビサで相当見てきたつもりだったが、この二人ほど不釣合いなカップルは見たことがなかった。フォアンの奥さんは、彼の母親に見間違うほど年老いた風貌の灰色髪を後ろにキツク締めた、イビサの中老年女性の典型、背の低い太った人だった。ニ、三度、フォアンの工場で見掛けただけだが、イビセンコ(イビサ語)しか話さないのか、全く毛色の違う私と何をどう話せばよいか分からなかったのか、挨拶を交わしただけで会話らしい会話はなかった。

フォアンとハイジは半ば公然と出歩き、年に何度か一緒に旅行をしていた。フォアンの奥さんを哀れむ気持ちが沸いたにしろ、それは彼ら夫婦のことだ、私には関係のないことだと割り切るより他なかった。

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『カサ・デ・バンブー』からの眺望

昼間、フォアンが働いている時、ハイジが一人で『カサ・デ・バンブー』に来るようになり、私が訊ねもしないのに、「フォアンは可愛そうだ、あんな何事にも興味を示さず、趣味もない家政婦のような奥さんと一緒に暮らさなければならないのだから…」と言った時、アレッ、モノには色々な見方があるものだと感心したことだ。

ある時、ハイジが別の愛人を連れてお店に来たことがあった。アラブ首長国連邦の“水大臣”の男だった。艶やかにでっぷり太った御仁で、身を金とダイヤモンドでキンキラキンに飾り、ウエイトレスのアントニアだけでなく、洗い場のカルメン叔母さんにも100ドル札でチップをばら撒くような男だった。傍で見るのも見苦しい嬌態とはあのことだろうか…。ハイジは自分の歳を忘れたかのように、キンキラアラブ氏にベトベト纏わり付くのだった。そこへ偶然、フォアンが現れたのだった。

私は秘かに、フォアンがハイジにビンタを張るなり、アラブ氏を殴り倒し、修羅場を演じてくれることを期待していた。しかし、あれほど完璧に自分の世界に没頭し、一方を無視できるものだろうか、私はハイジがフォアンを“オトモダチ”とアラブ氏に紹介するものと思っていたところ、店に足を踏み入れたフォアンを、ハイジはチラッと横目に捕えただけで、全く無視したのだった。 

私は、甘い辛いを知った上での中年の男女関係だから、互いの事情を認め合えば良いではないかと思ったが、紹介し合うなどは問題外の様子なのだ。アラブ氏はイビサに2、3日しか滞在しないのだから、何もフォアンと鉢合わせするような状況を作る必要はない、イビサにレストラン、バーはゴマンとあるのだから、フォアンの行きそうもないところにアラブ氏を連れて行けばいいではないか、よりによって私のお店に来ることはないではないかと、ハイジのズボラを憎んだ。

フォアンはそのままキッチンに直行してきて、“アイアイヤ~”と額に手を当て、「何たる御乱行!」と明るく冗談交じりに嘆くだけだった。私は彼にコニャックの大杯を奢り、「さあ、これで景気、元気つけて、アイツらのテーブルをヒックリ返して、ハイジを張り倒してこい!」と、エールを送ったのだが、フォアンは表面ではアッケラカンとしていても、やはり傷ついたのだろう、コニャックをグイと呑み干し、キッチンの裏口から、「俺は、これからもっと若くて綺麗なのをリーゲ(ligue;浮気、ナンパ)してくるぞ!」と、逃げるように去って行ったのだった。

男女の機微に疎い私の理解を超えた次元のことなのだろう、その後、フォアンとハイジは何事もなかったように連れ立って『カサ・デ・バンブー』にやってくるのだった。

ここでイビサ情報センターのギュンターに登場してもらう。ギュンターの情報網は、イビサに住むドイツ人の100%、イギリス人、北欧人の80%くらいはカヴァーしている。ギュンター曰く、という条件付情報では、「ハイジはハンブルグのキャバレーのホステス、セミプロの娼婦上がりだ。アラブ氏ともそこでイイ関係になった。今に見ていろ、泣きを見るのはフォアンだ…」という解説だった。

ギュンターの予想をヨソに、私がイビサを離れるまでの十数年間、フォアンとハイジは一緒に店にやって来続けた。

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イビサ情報通のドイツ人
グンテル(GUNTER)



 

 

第127回:カタランのもう一人のフォアン

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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