第23回: 30歳、さすらいの途中。(後編)
更新日2002/09/26
アミーガ・データ
HN:ROMI(ロミ)
恋しい日本のもの: 『家族』『根っこ』
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キャンピング・カーに乗り込んで、ドイツ人の恋人とともに、ユートピアを探す旅。まるで70年代の映画に出てくるような設定だが、彼からのプロポーズの言葉だけは現実的なものだった。当時のROMIは、21歳になったばかり。結婚というのはもっとロマンチックなものだ、と思っていたから、抵抗があった。「いろいろ面倒だし」なんて理由、アリ? ちゃんと、自分なりの理由を見つけたい。考える時間が欲しい、そう答えて、ふたりはモロッコへ渡った。
イスラムの文化、アラビア文字……。そこはROMIにも、ヨーロッパの数ヶ国語に堪能な彼にも、はじめての完全な異文化だった。知らない世界の中に、ふたりだけ。もう少しで、結婚への理由が見つけらるかもしれない。ROMIは、車を降りた。ひとりでサハラ砂漠に沈む夕陽を見ながら、答えを出してくる。また、スペインで合流しよう。
数日後、答えを胸にスペインへ戻ろうとした彼女を国境で待っていたのは、意地悪な出入国管理官だった。バックパックひとつを背負ってビザもない彼女を怪しんで、長時間にわたって尋問した結果、強制出国の処分にしたのだ。これは、スペインへの出国は認めるが、その後1週間以内にスペインも出なければならないというもの。連絡を受けた彼が迎えに来たとき、もう結婚のことは吹っ飛んでいた。
相談したスペイン警察の勧めもあり、ROMIはいったん帰国することに。日本へ向かう飛行機の中で、リベンジを誓った。拒否されたからには、また行ってやる。待ってろよ、スペイン!
帰国後すぐ、スペインへの留学手続きを開始。2週間後には、学生ビザを手にスペインへ渡っていた。マラガで彼と合流し、1年間、大学で学びながらアンダルシアの各地でロック・クライミングを楽しんだ。彼女は、当時をこう振り返る。「どこでも行ける根がない生活、明日の見えない人生が、楽しかった。……今はもう、できないかもしれない」
ビザを取得したので、もう結婚を焦る必要もない。翌年は、すっかり身についたアンダルシア弁を矯正すべく、スペイン中央部のサラマンカで大学の聴講生となった。こうして丸2年をスペインで過ごした後、突然、彼がアメリカに行きたいと言い出した。でも彼女には、アメリカという場所はピンと来なかった。話し合った結果、とりあえず1年間別々に過ごすことに。彼はアメリカへ行き、ROMIは古巣のマラガへ戻った。
約束の1年後、彼が再びROMIを、一緒にアメリカへ行こうと誘った。そのセリフが、これ。「やっぱさ、結婚しちゃおうよ、楽ちんじゃん」 ら、楽ちん? またしても、ちっともロマンチックでないプロポーズ。しかし資金は尽きている。ROMIに残された選択肢は、結婚してアメリカへ行くか、ひとり日本へ戻るかのどちらかだった。
「私はそのころにはユートピアはないんだ、どこに行っても同じだと思うようになってたんだけど、奴はアメリカにまだ希望を持ってたのね。それに私は、日本にいたときは違う国に行けば日本にないものがあると思ってたんだけど、逆に日本にはあるものが外国にはないこともわかったし」 結局、ROMIはひとり日本へ戻ることを選んだ。
日本では大手商社に就職し、貿易事務に携わる。途中、スペイン語を活かした仕事に就くため会社を変えたが、4年間ほど会社勤めをした。その間、やはりユートピアはなかったとアメリカを後にした彼が日本へやって来たが、そのころには結婚を考えるというよりは、とても仲の良い友人という関係になっていた。彼は心から根無し草の生活を愛している。だけど彼女は、そろそろ根を張った生活をしたかった。
日本の生活は、楽しかった。ここには「根っこ」がある。ビザの問題で頭を悩ませる必要はないし、生活で不自由することもない。人種差別を受けることもない。キャンピング・カーではなく、マンションの一室で便利で快適な生活をしている。でも。何かが足りない、のだろうか? 日に日に、スペインに帰りたくなってきた。
職を探したが、なかなか見つからない。いまスペインで労働ビザを取得するというのは、本当に困難なことなのだ。ちゃんとした企業が雇用を保証してくれても、それだけでは許可が下りないのが現状である。ROMIはいたたまれなくなり、2001年2月、学生ビザを取得して再びスペインへ戻ってきた。不法滞在は、したくないから。とくにこの国では。
それでも職は見つからない。スペインとは縁がないのじゃないか、そんな気もしてきた。その夏、なにかが見つかるんじゃないかと思って、キリスト教の三大巡礼道のひとつであるサンティアゴの道を歩いてみた。パンプロナからスペインの北部を西へ西へ、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指して約800kmを歩き続ける。1ヵ月後、ゴール地点となるのカテドラルに入ったとき……。なにも見つかりはしなかった。
それならそれでいい。答えがないならなくていい。流れに逆らってたって、もうちょっと悪あがきしてやる。巡礼を終えた彼女は、マドリードに移る。それから1年が過ぎた。
つい最近、ROMIは30歳の誕生日を迎えた。友人たちは結婚し、子どもを作り、地に足をつけた生活をしている。「でも私は未だに宙ぶらりん。中学のときからずっと同じ。なにかを探して、見つけられなくて、焦ってる」
今回私がインタビューを申し込んだときも、彼女はどうしようか迷ったのだという。「『スペインに移住を決めた』って書いてあるじゃん。でも私、本当に移住を決めたのかな、って。なんで自分がここまでスペインにこだわっているかも、わからないし」
そんな彼女の悩みを、私はそのまま書きたかった。"ビザの問題"なんてちっともロマンチックじゃない理由で結婚に踏み切った私の、すぐ隣に彼女はいる。彼女の悩みは、私が直面できなかった悩みである。それは、なにかを決めたひとが、どこかで折り合いをつけたり諦めたり、あるいは切り捨ててきた部分かもしれない。世の中、割り切らなきゃいわゆる"先"へ進めないことって、たくさんありそうだから。
インタビューの最後に、彼女はふっ切れたように笑った。「ま、いっか。最近はそう思うようになったんだよね。見つからないのなら、ずっと探してようって」「それに、やっぱり好きみたいなんだよね、スペイン。だから、この国で生きてみようって思ってる。っていっても、いつも通り"なんとなく"で、理由はこれからみつけるんだけどさ」
あと2、3年して32歳になったとき、奥田民生が『さすらい』を歌った歳に、私たちはどこにいて、どんな歌を歌っているのだろう。突き抜けた明るいメロディを奏でていたいような気がする。この、屈託のないマドリードの青空の下で。
第24回:どこだって、都。あなたとなら(前編)