■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)
第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)
第10回:半分のオレンジ(前編)
第11回:半分のオレンジ(後編)
第12回:20歳。(前編)
第13回:20歳。(後編)
第14回:別嬪さんのフラメンコ人生(前編)
第15回:別嬪さんのフラメンコ人生(後編)
第16回:私はインターナショナル。(前編)
第17回:私はインターナショナル。(後編)
第18回:ナニワのカァチャンの幸せ探し(前編)
第19回:ナニワのカァチャンの幸せ探し(後編)
第20回:泣笑的駱駝(前編)
第21回:泣笑的駱駝(後編)
第22回:30歳、さすらいの途中。(前編)
第23回:30歳、さすらいの途中。(後編)

■更新予定日:毎週木曜日




第24回: どこだって、都。あなたとなら(前編)

更新日2002/10/03
 
アミーガ・データ
HN:MARTA(マルタ)
1971年、バルセロナ生まれ。
1998年よりスペイン生活、現在5年目。
バルセロナ在住。

この連載の話をいただいたとき、まず『移住を選んだ12人のアミーガたち』を紹介したいと強く願い出た。スペインに来てからというもの、私は毎日、彼女たちからパワーをたくさんもらっている。なにかを選んだから強く、選ぶまでのもどかしさを知っているから優しい。スペインで出会った彼女たちは、本当に魅力的だ。

今回、12人目のアミーガとして、私はMARTAという友人に登場を願った。彼女はスペイン人であり、現在生まれた街に住んでいる。一見、テーマとの一貫性がないようにも思われるのではと不安だったのだが、インタビューを終えて、確信した。彼女以上に、このテーマの締めくくりにふさわしいアミーガはいない、と。読者のみなさんにも、そう感じていただけたらいいな、と願いつつ、最終回のはじまり、はじまり。テケテン。


MARTAの故郷は、バルセロナ。地中海交易で古くから発展した都市で、スペイン東部カタルーニャ地方の中心地である。温暖な気候に輝く地中海、フランスに近く洗練された文化、ダリやガウディなど奇才を輩出する革新的で開かれた雰囲気……などがあり、公用語はカタルーニャ語(カタラン)。


MARTAの両親はともに、カタルーニャ地方のタラゴナに近い小さな村の出身。サッカーでは地元チームF.C.バルセロナを応援し、宿敵レアル・マドリードとの試合では絶対に負けるなと大声援を送る、典型的なカタラン人である。ところが当時の為政者フランコは、カタラン語を含む地方文化を抑圧する。それは、たとえば個人の苗字や名前ですら、地方の伝統的な表記から中央風のものへ強制的に変更させるほどの厳しさであった。


だが彼女が4歳のとき、フランコが死亡。スペインの民主化が進むなか、カタランは公用語として認められ、カタランのテレビ放送や出版が始まった。MARTAが通った小学校では、授業はすべてカタランで行われ、標準スペイン語(エスパニョル)は週に1度のクラスで学んだという。いまは彼女の子どもたちが、同じような環境で育っている。テレビも新聞も、カタラン。朝の挨拶は「ブエノス・ディアス」ではなくて「ボン・ディア」。ひいきのサッカーチームは、F.C.バルセロナ。「マドリードには、行ったことないですよ(笑)」


現在の外見からも想像できるのだが、MARTAはおとなしい性格の少女だったという。勉強はあまり得意じゃなく、家族で行く山登りが好きで、いつかスイスに行くのが夢だった。子どもが好きで、義務教育後は保母になるための専門学校へ。そこで5年間学んだ後、大学に進み、障害児教育の勉強を続ける。そして卒業を控えた3年生の冬、運命の男性と出会った。


「最初はね、なんか雰囲気が良いな、と思いました。楽しいなー、って」 21歳のまじめな彼女にそんな印象を与えたのは、日本人K。彼は、バルセロナの大学院へ留学中だった。友人の友人が主催したというパーティでふたりは出会い、食事をして、ダンスをして、電話番号を交換したのだという。

KにMARTAの第一印象を訊くと「どうって、このままよ。えらい可愛らしいなぁ、て。話し方とか、雰囲気とか」とサラリと言い切った。このときインタビューは昼食の時間に突入したころだったのだけど、思わず「ごちそうさま」と言いそうになってしまったぜ。


とにかく最初から、ふたりにはお互いに惹かれあうものがあったのだ。言葉や国境の壁は、なんの問題にもならなかった。実は当時、Kはスペイン語が上手ではなかった。大学院の授業は、英語で行われていたのだ。しかし一方のMARTAは英語が苦手。意思の疎通も、うまくできない。そこでふたりは、はじめてのデートのときに書店に立ち寄り、英語‐スペイン語の辞書を買ったのだそうだ。こうして交際は順調に進み、やがてKが日本に戻る日が近づいてきた。でも、なんせふたりはすっかり愛し合っていたのだな。


迷いは、なかったという。MARTAにとって未知の日本がはじめての外国生活の舞台となることも、「好きなひとと一緒に引っ越すのだから、楽しいなぁ、と思っただけ」なのだと。愛こそがすべて、であるのだよ。

MARTAの卒業式の2日後に、ふたりは結婚式を挙げることとなった。日本からやってきたKの両親とは、結婚式ではじめて顔をあわせた。Kの両親は彼女を見て、言葉は通じなくともその素直で優しい人柄を感じ取り、すぐに納得してくれた。MARTAの両親も、同じようにKを認めてくれていた。言葉や国籍は、たいした問題じゃないのだ。

こうしてふたりは周囲の祝福のなか、バルセロナの教会で誓いのキスを交わした。出会ってから約1年が経った頃だった。それから新婚旅行としてスリランカとモルディブに立ち寄ったあと、ふたりは日本へやってきた。

 

 

第25回:どこだって、都。あなたとなら(後編)