第471回:流行り歌に寄せて No.266 「結婚しようよ」~昭和47年(1972年)1月21日リリース
私が高校1年生の3学期、ちょうどこの曲が発売された頃だが、所属していた柔道部の先輩たちが、試合で大敗し(私は試合に出ていない)「気合を入れ直すために、柔道部全員坊主! 明日までにできるだけ短く刈り込んで来い!」という命が下った。
誰が言い出したことか、今では思い出さないが、私はこの言葉を真正直に受け止めて、その日学校から帰ると、すぐに行き付けの理髪店に行って「できるだけ短く刈ってください」とお願いした。「一番短いのと言うと、五厘刈りになるけれど、大丈夫かい?」と理髪店のご主人に訊かれたが、私は「もちろんです」と答え、数分後にはマルコメ味噌のCMの男の子のような青々とした頭になっていた。
家に帰ると、母は嘆いて「いくら何でも、そんな頭にしなくても…」とこぼし、父も「それじゃあ、囚人だな」と呆れていた。
翌日、さすがに寒いので学帽を目深に被り通学し、放課後に武道館に入ったところ、他の柔道部員の姿を見て驚いてしまった。一番短い人で三分刈り、ほとんどか五分刈り以上で、中にはスポーツ刈り風にして誤魔化している先輩もいる(五厘、三分、五分刈りは、それぞれおよそ1.5mm、1cm、1.5cm)。
「K、思い切ったがや、おまえ」と先輩に言われ、「でも、できるだけ短くということではなかったのですか?」と聞き返すと、「そうだけれど、やっぱ、あんまり短いのはカッコ悪いでよう」と答える。話が違うでしょう、そもそも負けたのはあなたたちなのに、と思ったが、口にはできなかった。
当時は、野球部を除くスポーツ部の生徒も、皆髪を長く伸ばしていた。バスケ部のエースなどは、長髪にバンダナを巻き、女子生徒たちの人気の的になっていた。そんな生徒たちの中で、一人だけ青い頭をしている。ただでさえモテない男が、それにさらに念を押す行為をしてしまった。
放課後になると、なるべく人に会わないようにして、すぐ武道館に入り、稽古に打ち込んだ。皮肉なことに、この頃が一番熱心に練習をしていた気がする。肩まで伸びなくても良いから、せめて普通の坊主頭になりたかった。
この『結婚しようよ』の発売後2週間足らずの1972年2月3日から13日まで、日本で最初の冬季オリンピック、札幌大会が開催され、その閉会式からわずか6日後に“あさま山荘事件”が起きている。そんな時代のことだ。
「結婚しようよ」 よしだたくろう:作詞・作曲 加藤和彦:編曲 よしだたくろう:歌
僕の髪が 肩までのびて
君と同じに なったら
約束通り 町の教会で
結婚しようよ mmmm
古いギターを ポロンと鳴らそう
白いチャペルが 見えたら
仲間を呼んで 花をもらおう
結婚しようよ mmmm
もうすぐ春が ペンキを肩に
お花畑の中を 散歩にくるよ
そしたら君は 窓をあけて
エクボを見せる 僕のために
僕は君を さらいにくるよ
結婚しようよ mmmm
雨が上がって 雲のきれ間に
お陽様さんが 見えたら
ひざっこぞうを たたいてみるよ
結婚しようよ mmmm
二人で買った 緑のシャツを
僕のおうちのベランダに 並べて干そう
結婚しようよ 僕の髪は
もうすぐ肩まで とどくよ
私がマルコメ頭を、クラス・メイトからからかわれている頃、よしだたくろうは、順調に髪を伸ばし、この年の6月、軽井沢の聖パウロ教会で『六文銭』のメンバー、四角佳子と実際に結婚してしまった。(四角佳子は、『六文銭』に入る前は、同じ西野バレエ団出身の、金井克子、原田糸子、由美かおる、奈美悦子とともに、志麻ゆきの名前で日本テレビの『レ・ガールズ』に出演していたことがある)
よしだたくろうは、『広島フォーク村』出身の、メッセージ性の強い、いわばプロテスト・フォークの旗手として、多くのファンに認識されていた。この曲が出される前年の昭和46年(1971年)8月8日、あの第3回全日本フォークジャンボリー、いわゆる中津川フォークジャンボリーの狂熱のライヴは、オールド・フォーク・ファンの間では伝説のように語り継がれている。
このステージで、『人間なんて』を2時間近くも歌い続けたと言われたたくろうが、その半年も経たないうちに、実にあっけらかんと「僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束通り町の教会で 結婚しようよ」と歌ってしまったのである。
ファンは戸惑ったに違いない。当然離れて行く人も多かった。今回調べてみると、「これがフォークとニューミュージックとの分岐点になった」「学園闘争に敗れた人々が、政治から個人生活へと目を移し替えていった」「この曲が、その後のニューファミリーという概念を作り出した」などなど、この曲について、実に多くの人が見解を述べている。
『結婚しようよ』が、その後の日本の音楽シーンに多大な影響を与えたと言うことは間違いなさそうである。
ところで、音楽そのものとは違う話になるが、いろいろな見解の中で、
「肩まで髪がのびたら結婚しようという、今まで考えられなかったプロポーズの方法をとっているのはユニークで斬新だが、そうは言っても、恋愛が成就すれば当然結婚をするという流れが、70年代には確かにあった。その点、80年代以降に出現する、恋愛の発展系が即ち結婚であるとは限らないと言う考えとは、大きく違う」
という指摘があったが、その時代を生きてきた人間として、確かにそう思う。
また、生涯の結婚相手は、死別でない限り、原則的に一人である。という考え方を、当時私たちは教えられ、またそう信じてきたが、そうではない例が、圧倒的に増えてきた。離婚をして再婚するということが、全く珍しいことではなくなっている。
さらに、私たちの子どもの世代を見ていると、結婚というものを意識しないで、ずっと長くお付き合いしているカップルの数も大変多くなってきた。
そう言えば、昔は電車の中などで、華やかな結婚式場の広告を何枚も見かけたが、最近は目にすることはない。この半世紀で、結婚に対する考え方は大きく変わっている。さらに半世紀先は、いったいどんなふうになっているのだろう。
-…つづく
第472回:流行り歌に寄せて No.267 「夜明けの停車場」~昭和47年(1972年)1月25日リリース
|