第378回:流行り歌に寄せて No.183 「エメラルドの伝説」~昭和43年(1968年)
ザ・タイガースとザ・テンプターズ。GS全盛時代に、彼らはライバルグループとして、その人気はほかのグループを大きく凌駕していた。 CM出演も、そのライバル熱を煽るように、ザ・タイガースが 「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートはメイジ」と横並びで踊るように歌えば、ザ・テンプターズは「ヤング・モリナガー!」と歌い弾けながら、大きな滑り台を滑り落ちて見せた。
基本は、ヴォーカルのジュリーとショーケンに人気が集まったが、「トッポの歌、最高よ」「カッコイイのは、なんたって大口くん、ヒロシに決まってるんじゃない」など、他のメンバーのファンも根強く存在した。
当時、ザ・タイガースのファンだった私には、ザ・テンプターズのステージ衣装姿がとても窮屈に感じられた。多くのグループと同様、王子様スタイルに身を包んでいる彼らの姿に無理があると思ったものだ。 もっと泥臭い雰囲気を持つ、不良の仲間たちのように見えた。当時私の住んでいた名古屋市の港区の地域も、いろいろな人たちがごった煮のように混在していて、不良を生み出すには最適の環境と言えた。しかし、それとも違う不良性だった。
その頃から6、7年が経過し、高校を卒業して上京をした。そしてある日、上野駅から国電の青い車両の列車に乗り、北の方向を走り続けたとき、ふとザ・テンプターズのメンバーの故郷がここらへんであることを思い出した。そして、中学の時にはよく理解できなかった雰囲気を、車窓を通じてだが、はっきりと身に感じることができた。「あっ、この空気感なんだ」
松崎由治(ヨッチン)リーダー、ギター、ヴォーカル。 埼玉県大宮市出身。
萩原健一〈本名:敬三〉(ショーケン)ヴォーカル、ハーモニカ。与野市出身。故人。
田中敏夫(ブル)ギター、キーボード。大宮市出身。故人。
メンバー全員が、埼玉県の京浜東北線の沿線の出身である。すでに、5人のメンバーのうち3人はこの世の人ではなくなっている。
「エメラルドの伝説」 なかにし礼:作詞 村井邦彦:作曲 川口真:編曲 ザ・テンプターズ:歌
先ほど「泥臭い」という言葉を使ったが、ザ・テンプターズは当初、ローリング・ストーンズやアニマルズのようなブルースを基調にしたロックバンドを志向していたという。 また、アマチュアバンド時代、大宮のダンスホールで演奏する際、当時所属していた女性ヴォーカルが体調不良のため出演できなくなり、最初はインストロメンタル演奏をしていたが、会場からは大変な不評だった。そこでリーダーが、ホールのクロークをしていた中学生の少年に急遽ヴォーカルを依頼し、彼がステージで歌ったところ、拍手、喝采、大いに受けた。その少年がショーケンだったという「伝説」も残している。
彼らは、ほかのGSにはあまり見当たらない、既存の歌謡曲の作家ではなく、メンバーが作った曲でレコード・デビューを果たしている。デビュー曲の 『忘れ得ぬ君』、2曲目の『神様お願い』は、リーダーの松崎由治の作詞・作曲によるものである。確かに、両曲ともに英国のバンドの影響を色濃く受けていることが分かる。
この路線が長くヒットを続けられるかどうか不安に思ったフィリップス・レコードが、大変な売れっ子であったなかにし礼と、新進の作曲家である村井邦彦に、3曲目を託したのが、この作品である。
この作品以降、一部のものを除いて、ザ・テンプターズは、一気に歌謡曲路線に入ってしまったと、多くのファンは嘆いているという話を聞く。けれども、それはかなり後になってよく言われ出したことで、当時のファンのほとんどは、彼らが出したものにはすぐに飛びついていたのだろうと、私は推測する。
それはさておき、この『エメラルドの伝説』は、彼らにとってバンド史上最大の46万2,000枚を売り上げ、オリコンの週間チャートで頂上を極めた唯一の曲となった。
ヨーロッパの幻想的な風景をイメージしたイントロには、弦楽器の他にホルンとオーボエという二つの金管楽器が使われているという。川口真の大変に凝ったアレンジである。 そして、骨太のベースラインとギターのいななきのような音をバックに、当時まだ18歳にもなっていなかったショーケンの、伸びのある高音が絡みつくように響いていく。確かに、ファンの心を鷲掴みにするような魅力のある曲である。
あれから半世紀が経過し、ショーケンは亡くなった。あの万年不良と呼ばれた男の遺作となった大河ドラマの配役は、高橋是清だった。頷けるような、あまり頷けないような、微妙な心持ちがする。
-…つづく
第379回:流行り歌に寄せて No.185 「ちょっと番外編~テープレコーダー購入」~昭和43年(1968年)
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