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第470回:流行り歌に寄せて No.265 「終着駅」~昭和46年(1971年)12月25日リリース

更新日2023/12/14


このコラムで3年前の同月、No.209で『恋の奴隷』をご紹介した際、最後の文章で……
昭和46年、1970年代年に入ってからも、今度は橋本淳と中村泰士が組み、『甘い生活』『川の流れのように』と曲調は変わっても、路線が保たれるような曲が続いていたが、その年のクリスマス、12月25日に発売された曲で、奥村チヨは大きくイメージを変えることになる。《次の奥村チヨの曲ご紹介の回まで続く》
…と書いたが、ようやくその続き文を書くことになった。

今まで、官能的、蠱惑的な歌手と言われ続けてきて、奥村チヨ自身、自分との価値観との違いに困惑しており、何とかそこからの脱却を計りたい思いでいた。実際、そんな「お色気路線」にも翳りは見えており、昭和44年、45年と連続で選ばれたNHK紅白歌合戦も、この年、昭和46年では選出されなかった。

そんな時、提示されたのが、駆け出しの作詞家である千家和也と、なかなか目の出ない歌手上がりの作曲家、浜圭介による『終着駅』だったのである。奥村は「この歌を歌わせてほしい」と、彼女が歌手になって初めて自ら願い出たと言う。

作詞家の千家和也(本名:村越英文)は、『恋の奴隷』のなかにし礼に師事し、この年の6月1日、ベンチャーズの曲を小山ルミがカヴァーした『さすらいのギター』の作詞家としてデビューをした。今までの小山ルミの歌の作詞の多くが、なかにし礼によるもので、弟子の千家に、「君、じゃあ書いてみなよ」と言って書かせたものだと言う気がする。

素人の私が言うのは僭越だが、2番の「肩抱く夜風のなぐさめは 忘れる努力の邪魔になる」という詞は、何かぎこちなく、こなれていない感じである。千家和也25歳、この後、多くのヒット曲を生み出す、その先駆けとなったのが、この曲だと言っても良いだろう。

作曲家の浜圭介(金野孝)は、昭和39年(1964年)牧宏次の芸名で、『波止場のロック』という曲で歌手デビューするがヒットせず、その後大木賢と改名をして再デビューしても、歌手としては成功しなかった。

昭和43年(1968年)、浜圭介のペンネームで作曲活動を始める。それでも歌手としての夢が捨てがたく、今度は浜真二の芸名で再々デビューをしている。いろいろと試行錯誤を続けているうちに、作曲家としての才は認められ、『終着駅』のヒットでその名を知られるようになった。

因みに、編曲家の横内章次は、この二人と違い、昭和ジャズの代表的なギタリストとして活躍した人であった。ジャズのオールド・ファンの中で、この人の名前を知らない者はいないだろう。作曲、編曲の才能もあり、多くの仕事を手掛けている。


「終着駅」  千家和也:作詞  浜圭介:作曲  横内章次:編曲  奥村チヨ:歌


落ち葉の舞い散る停車場は

悲しい女の吹きだまり

だから今日もひとり 明日もひとり

涙を捨てにくる

真冬に裸足は冷たかろう

大きな荷物は重たかろう

なのに今日もひとり 明日もひとり

過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない

愛という名のあたたかい 心の鍵は

最終列車が着くたびに

よく似た女が降りてくる

そして今日もひとり 明日もひとり

過去から逃げてくる

 

肩抱く夜風のなぐさめは

忘れる努力の邪魔になる

だから今日もひとり 明日もひとり

過去から逃げてくる

一度離したら 二度とつかめない

愛という名のあたたかい 心の鍵は

最終列車が着くたびに

よく似た女が降りてくる

*そして今日もひとり 明日もひとり

過去から逃げてくる*


(*くり返し)

 

浜圭介は、作曲家になっても、かなりの間、売れる曲を作ることができず、何かを掴めないかと、単身でアメリカ旅行に出かけた。その旅中、あるホテルの窓からの夜景を見ていた時、この曲ができたと言う。

その曲を受けた千家和也が、これは女性の肩の上に、落ち葉が降りかかるイメージだろうと感じ、詞を作っていったそうだ。

ところで、この歌で歌われる『終着駅』とは、一体どこの駅をイメージしたのだろう。日本列島、終着駅は、北はJR宗谷線の「稚内駅」から、南はJR指宿枕崎線の「枕崎駅」まで、かなりの数がある。

ただ、詞の内容から言って、北国という雰囲気であるが、さすがに稚内駅は寒すぎる気がする。北海道の、もう少し南の方か、東北、北陸辺りなのだろうか。

実はそのような特定の場所を考えたのではなくて、作者が、あるいは聴き手が、それぞれイメージする終着駅であれば、どこでも良いのかも知れない、それが実在しない駅であっても。

当たり前のことであるが、終着駅は、すなわち始発駅でもある。この曲ができて3年後、昭和49年(1974年)に奥村チヨと浜圭介は結婚する。その当時は、「大ヒット曲『終着駅』は二人の愛の始発駅であった」などと書かれた記事で、週刊誌は大いに賑わったという。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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