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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第822回:エライジャ君の悲劇

更新日2023/10/12


エライジャ君は音楽が大好きで、仲間と一緒にバイオリンを弾いていました。またギターも中々上手に弾いていました。彼はプロの演奏家ではありませんでしたが、老人ホーム、幼稚園などに出向き演奏していましたし、動物、主に野良犬や野良猫にまでバイオリンを聴かせていたと言いますから、ナイーヴなくらい優しい心の持ち主だったのでしょう。彼は両親とデンバー郊外のアウローラ地区に住んでいました。

夜の10時頃、彼は自宅近くのコンビニから徒歩で帰る途中、突然パトカー2台が急ブレーキを踏むように止まり、警察官3人が車から飛び出してきて、エライジャ君を取り押さえたのです。これは多くのアメリカの州で義務付けらているボディカメラ、警察官が逮捕時の現場検証のために胸に付けているカメラで撮影され、それを一般に公開する義務があリます。

その映像があったおかげで知ることができたのですが、良くトレーニングされたお巡りさん、一人は至近距離で銃を構え、二人はアメリカンフットボールのタックルをかますように体当たりし、後ろから首に腕を回し、グイと締め上げ(これはプロレスリングでさえ禁止されている禁じ手だそうです)エライジャ君にのしかかるように歩道にうつ伏せにし、後ろ手に手錠を掛けたのです。エライジャ君、“息ができない!”と叫び、同時に吐いてしまったのです。

アレッ? こいつ息をしていないぞ、ヤバイぞと思ったのでしょう、そのお巡りさん救急車を呼んでいます。15分後にパラメディック(救急医)が現場に到着し、強心剤を打ち、救急病院へ運び込みましたが、エライジャ君、意識を回復することなく、3日後にその病院で亡くなりました。
 
この事件は2019年8月24日のことです。そして、今になってやっとこの事件に関与した警察官3人と救急医に有罪の判決が下ったのです。

エライジャ君は身長170センチ、体重60キロでアメリカ人男性の標準以下の小柄で細身の黒人でした(今のご時世ではアフリカ系のアメリカ人と呼ぶべきですが…)。逮捕された時、ヘッドフォンで大好きな音楽でも聴いていたのでしょう、お巡りさんが急に現れ、「止まれ! 床に伏せろ!」と怒鳴りつけながら拳銃を抜き、彼に向けているのに、一体何が起こっているのか分からない様子でした。第一、ヘッドフォンを両耳にかけていたので何も聞こえなかったのでしょう。また悪いことに、スエット・ジャージのフッドを頭に被っていましたから、ますます怪しいと思われたのでしょう。

立派な体格のお巡りさん、あっさりエライジャ君を歩道にねじ伏せ、お巡りさんは彼の上に乗りながら首を絞め、うつ伏せにし、逮捕の形体を取って殺してしまったのです。

今、その映像を見ると、お巡りさんの方が異常に興奮し、何が何だかさっぱり分からないエライジャ君を一方的に締め上げている状況が見て取れます。お巡りさんの方にしてみれば、怪しい人物は銃を持っている可能性もあるので、過激で行き過ぎた逮捕劇になったのかもしれません。そこには職務質問という、あって当然のプロセスがなく、いきなり暴力に打って出るアメリカ的な体質があります。

しかも、エライジャ君には全く逮捕歴、犯罪歴がなく、当然のことですが、ピストル、ナイフなどの凶器も携帯していませんでした。

このような事件、警察官の“行き過ぎた”暴力で殺される黒人の事件が相次いで何件も起こっています。アメリカで、お巡りさんであることは、命を賭けたとても危険な仕事です。それは分かります。最近、警察官が胸に付けたボディーカメラで容疑者逮捕の様子がテレビにドンドン流れるようになり、それを観ると、お巡りさんが異常なまでに緊張、興奮しているのが観て取れます。

相手がドラッグ関係あるいは下町若者ギャング団の場合、まず100%近く武器を持っているでしょうから、お巡りさんが現場やアジトに乗り込む時、やられる前にやれとばかり、いつでも発砲できるように身構えるのが、生きながらえる道なのでしょう。それにしても、発砲事件が多過ぎます。そして、その相手のほとんどが黒人なのです。

近年、一つの社会運動になってきた『黒人の命も大切だ(Black lives matter)』には充分な理由があります。
 
エライジャ君の葬儀、それに今になってやっと警察官の行き過ぎを認めた判決の下った日に、エライジャ君の音楽仲間が集まってバイオリン・アンサンブルを演奏しました。彼の音楽仲間、20人ほどいたかしら、その80%は白人で、さらにその70-80%は若い女性でした。観衆と言っても良いかしら、花束を手にしてエライジャ君追悼に200-300人が集まっていました。その6割方はやはり白人で、もうブラックパンサーのような暴力革命、過激な闘争は影を潜め、静かな、しかし根強い『黒人の命も大切だ』運動が広がっているようなのです。
 
それは私の希望的な見方かも知れませんが、非暴力の社会運動が、これからもっともっと発展していけば良いなと願っています。

 

 

第823回:持てる国と持たざる国

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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