日暮里・舎人ライナーの車両は小さい。駅も小さい。エスカレーターは短く、デパートなら1本で上っていくところを、狭い踊り場で折り返して2本を乗り継ぐ。天守閣への隠し通路のようである。私たちがホームに上がると、先ほど見上げた電車が発車していった。しかし慌てることはない。列車は平日の日中でも8分間隔で、隣のホームには次に発車する電車が待っていた。もちろん一番前に行く。日暮里・舎人ライナーは完全自動運転である。ゆりかもめと同じで運転士はいない。運転席であるはずの場所が展望席である。「これはいいなあ」とH君が言う。
先頭は展望席。
気持ちがはやるせいか、発車までの8分が長い。正面のガラスの向こうには、できたての真っ白なコンクリート軌道がある。それを見てH氏が、「かなりお金をかけて作ったんでしょうね」と言った。「地下鉄よりは安上がりだったはずだよ」と私は応えた。このルートは当初、地下鉄として発案された。しかし、費用と収益の見込みが合わないとして、新交通システムとなった経緯がある。「LRTではダメだったんですか」とH君。いい質問だと心の中で褒めつつ、「渋滞した道に路面電車じゃ、車線が減ってもっと混雑するよ。路面電車は信号待ちをするから遅いし、遅ければ誰も乗ってくれないだろうし」と解説した。
そんな話をしているうちに、正面のカーブの奥から上り列車が現れて隣のホームに納まった。いよいよこちらが動き出す。自動運転の列車はスムーズに走り出し、ぐんぐんとスピードを上げていく。意外にも力強い加速である。高層エレベーターを横向きに走らせたような感じ。座っている私たちには心地よいが、ラッシュ時に立っている人には厳しいかもしれない。列車はまず左90度のカーブを通過。細長い雑居ビルやマンションの谷間を通り過ぎていく。屋久橋通りという道の真上だ。日暮里・舎人ライナーはここから全区間が屋久橋通りに沿っている。
上り列車が到着。
常磐線を越え、京成線を越えて次の駅は西日暮里。同名のJRの駅からは少し離れている。この辺りは東北線から常磐線への短絡線もあって線路だらけだ。高いところを走っているから、それらの線路が全部見える。どれも気になって仕方ない。
西日暮里を出ると、軌道は真っ直ぐ北へ向かった。屋久橋通りは東京都市計画道路放射11号線として計画的に作られた道である。人工路だから一直線で、埼玉県に入ると第二産業道路という名で引き継がれる。地元の車だけではなく、国道から溢れたトラックなどもこちらを通る。故に混雑が激しくなったというわけだ。地元以外のクルマのおかげで、バスに乗っても渋滞で進まない。なるほど、これでは鉄道が欲しくなる。いま、この電車は屋久橋通りのクルマを追い越しているわけで、その様子を眺められたらどんなに優越感があるかと思う。
ビル街を進む。
真下は見えないけれど見晴らしは良い。軌道は5階建てのアパートと同じくらいの高さにあって、視界を遮るものがほとんどない。西日暮里を出ると高層ビルは姿を消し、住宅と低層ビルばかりになった。屋上の風景がおもしろい。家族構成がひと目で分るほどの洗濯物を干している家や、屋上にガラクタを溜め込んでいる家がある。今までは道路から死角になった場所だが、日暮里・舎人ライナーのおかげで乗客の視線にさらされる事態になった。覗くこちらも悪趣味だが、ちょいと油断しすぎである。一方、屋上に庭園を作った建物や、盆栽のコレクションを並べた家もある。ようやく観客を得て、当主は満足していることだろう。
赤土小学校前駅の周辺は、駅名になった小学校だけではなく、学校らしい建物がいくつも見つかる。小さな建物の屋根ばかり続く景色の中で、学校の横長の建物が目立っている。暮らしやすい地域だから子供が多いかもしれない。次の熊野前には首都大学の荒川キャンパスもある。ここは都電荒川線と接続している。都電のおかげか、周囲にはビルが目立ってきた。展望席からは真下が見えないから、都電のかわいい電車が見られない。
「都電があるってことは、学習院へ行けるよね」とH君。彼の自宅は池袋だ。都営交通の一日乗車券を持っているから、都電と都バスを乗り継げば追加の電車賃なしで帰れるだろう。「帰りは都電に乗ろうか、俺は王子か大塚でJRに乗り換えればいいし」などと話す。
盆栽コレクションを覗き見。
車窓右手に高層ビルがひとつ。ADEKAと書いてある。後に調べたところ、樹脂や油脂などの化学製品を製造する会社だった。この地で創業して90年の老舗である。建物の高さが業績のグラフを示すわけではないとはいえ、無数の町工場のなかから飛びぬけて成功した会社らしい。その目立つ建物をやりすごし、再び前方に向くと川を渡る。まずは隅田川を渡って足立小台に停車。この駅は中州のようなところにあって、発車すると荒川を渡る。渡り終えたところが扇大橋である。
日暮里・舎人ライナーはわずか9.7キロの短い路線である。すべて平地を走るけれど、風景は単調ではなく、むしろ見せ場の多い車窓である。その前半の名場面がこの扇大橋越えであろう、東京の南側で暮らしてきた私は、東京北部の地理に弱い。荒川と隅田川がこんなにくっついているとは知らなかった。いや待てよ、小学校の郷土地理として学んだような気もする。元々は隅田川が荒川で、荒川の治水のために新しく水路を作って、こちらが荒川になった。つまりこの広い荒川は人工河川である。そういえば利根川も元は荒川に注いだ流れを銚子へ誘導した。日本の川は大陸の河に比べると小さい。けれどあちらは自然にできた河。こちらは人が造った川である。世界に自慢できる事業だ。
荒川を渡る。
その荒川を銀色の電車が渡っていく。軌道には側壁がないので、川の風景がすべて見渡せる。小さな建物の無数の屋根を見物していた後だけに、こちらの気持ちまで大きくなりそうな眺めである。日暮里・舎人ライナーにとって扇大橋は名所のひとつ。しかし、この橋こそ、この先に住む人々にとっては難所だった。東京都市計画道路放射11号線のボトルネックとなっていたのである。今まで渋滞していたバス通りを、日暮里・舎人ライナーは10分足らずで駆け抜ける。難所から名所へ。私のような通りすがりよりも、ここで暮らす人々の感動は大きいだろう。
「この高さなら夜景もきれいだろうね」と私はH君に言った。そうだ、今日は感じたことを声に出しても聞いてくれる人がいるのだった。
-…つづく
第242回~の行程図
2008-242koutei.jpg