第15回:酒場サルーンと女性たち その15
■アニー・ロジャース、あるいはデラ・ムアー、またはマウド・ウィリアムス
彼女もまた数多くの名前を流れた土地と時代毎に使い分けている。ここではアニー・ロジャース(Annie Rogers)で通すことにする。酒場の女、娼婦らは自分の過去を断ち切ろうとするのだろうか、頻繁に名を変える傾向がある。流れ着いた町毎に、新しいニックネーム、源氏名を使う。顧客らもアザ名で呼びたがる。
アニー・ロジャースが生まれた年は珍しくはっきり判っている。1880年にテキサス州エルパソで生まれたのは確かだが、幼年時代、少女時代のことは例によって例の如くはっきり分かっていない。アニーはプチットで可愛らしい少女だった。
アーカンソー州のメナの娼館で働き始めたのは15歳になる前だったから、早熟というのか、貧しい環境がそうさせたのか、天性備わった妖婦だったのか、早くから何が男どもを惹きつけるか熟知していたようだ。
そして、テキサス州のフォートワースの娼館に流れ、その後サンアントニオのファニー・ポーターの元で娼婦業に励むようになったのは1899年頃と見られている。そして、ファニー・ポーターの店でワイルドバンチのメンバー、キッド・カーリー (Kid Curry) ことハーヴェイ・ローガン(Harvey Logan)と知り合い、懇意になり、アウトロー街道を突っ走ることになる。
娼婦業よりアウトロー業の方がアニーに向いていたとも言える。キッド・カーリーと一緒に行動し始め、アウトロー稼業が時に緊張感を強い、一仕事終えた後の開放感、してやったりの感覚は一度味わうと抜け切れないもののようだ。アニーはカーリーとのコンビがすっかり板に付いてきた。
二人は息抜きのためだろうか、テネシー州へと逃れ、そこでラウラとベン・キルパトリックと合流している。これは偶然ではなく、前以ってそこで落ち合う約束をしていたことのようだ。4人でヒト働きしょうと企んでいたのかもしれない。
アニーがナッシュヴィルの銀行で高額紙幣を砕こうとしたところ、その紙幣の番号が盗難したものであることがバレて、その場で逮捕されたのだ。それが1901年の10月4日のことだ。その紙幣はカーリーが列車強盗で奪ったものと足がつき、アニーが逮捕されたとの報を掴んだカーリーは即トンズラを決め込んだ。

Della Moore using alias of Annie Rogers
何歳の時の写真か分からないが、おそらくファニー・
ポーターの娼館で働き始めたこ頃のものだと思われる
アニーは実刑を食った。釈放されたのが1902年の6月18日だから、カーリーとの銀行強盗の従犯としても刑が軽い。実質禁錮8ヵ月の刑で済んだのは、アニーがカーリーを売ったからだと言われている。今も、アメリカでは司法取引が公認されている。それが証拠には、アニーが出獄した後、カーリーと再会していない。
一方、カーリーは動きを読まれ、逮捕されている。だが、これがカーリーが根っからのアウトローたる所以なのだが、まんまと脱獄しているのだ。その後、再度逮捕されたが、その時も脱獄しているのだ。
エッタ・プレイスの章で、ブッチ、サンダンス・キッズ、それにもう一人、カーリーが南米の南端リオ・ガジェイゴの銀行を襲撃したと書いたが、どうもそのもう一人がカーリーであるとするには無理があることに気がついた。と言うのは、リオ・ガジェイゴにブッチ、サンダンス、エッタが家を借りたのは1905年のことで、その時点で、カーリーは追跡者と対決し殺されているのだ(1904年、コロラドにて)。

キッド・カーリー (Kid Curry) ことハーヴェイ・ローガン(Harvey Logan)
釈放後のアニーの足取りは掴めていない。確かなのは、サンアントニオのファニー・ポーターの店で娼婦業に舞い戻っていることだけだ。
その後、アニーは学校の先生になって慎ましく暮らしたと信じている史家もいる。
そして、1926年、46歳で独身のまま静かに息を引き取ったというのだ。
小回りが効き、状況判断の素早いアニーなら、アウトロー稼業も娼婦業も若さあってのことだと見切りをつけたのかもしれない。サンアントニオの娼館、ファニー・ポーターの店での花として、またキッド・カーリー(ハーヴェイ・ローガン)とのアウトロー・ライフで一瞬の輝きを見せたアニーは見事に歴史、西部史から掻き消えたのだ。
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