第16回:酒場サルーンと女性たち その16
■ビッグ・ノーズ・ケイト その1
もちろんビッグ・ノーズ(デカ鼻)はあだ名で本名はメリー・キャサリン・ホロニーという立派なものだ。だが、誰も本名などで呼ばないのは西部の慣わしだ。ケイト・エルダー、ケイト・フィシャー、メリー・カミングス・ハロニーなどの自称、他称よりも、ビッグ・ノーズ・ケイトとして知られていた女傑の娼婦だ。
生まれは旧ハンガリー王国で、1849年11月7日とはっきりしている。と言うのは、ケイトは中産階級の出で、父親がハンガリー(現在、スロヴァキアのノヴァ・ゼムキィ)で尊敬されていた医者であり、また医療関係の優れた教育者であったから記録がハッキリしている。
1860年に、ホロニー博士は家族を引き連れアメリカに移住した。ケイト10歳の時だ。場所はアイオア州のデヴァンポートで、そこにはドイツ系入植者が数多く住んでいた。ハンガリー人の中高層はドイツ語をよく話した。ホロニー医師が入植地のデヴァンポートで信頼され、安定した生活を営んでいたと思われるのだが、どんな理由からか、ビッグ・ノーズ・ケイトは16歳の時(1866年)家出をするようにセントルイスへ移っている。そこで、歯科医のサイラス・メルヴィンと結婚し、男の子を儲けている。しかし、夫のメルヴィンも息子も、当時全米で大流行していたイエロー・フィーバー(黄熱病)に罹り、死亡している。
その後、ケイトはウルスリン修道院に入っていたことは分かっているのだが、いくばくもなくセントルイスのマダム・ブランチェ・トリボーレの娼婦の館に身を置いている。短期間に歯科医の妻、そして子供を産み、夫と子を亡くし、修道院から娼館へと変身しているのだ。修道女から売春宿へと実に極端な変身だ。ケイトは揺れ動く感情の量がとてつもなく多かったのだろうか、でも一度売春婦に身を落とすと、あとはその職業を続け、西部を渡り歩くことになる。
ビッグ・ノーズ・ケイトはカンサス州のダッジシティへと移り、ワイアット・アープが妻のネリー・ベッシーにやらせていた娼館へと流れた。その当時、もちろん売春は合法だった。町の有力者、シェリフが娼館を経営するのはよくあることだった。

決して美形とは呼べないが、デカ鼻のケイトと
呼ばれるほど、特大の鼻の持ち主ではない
現在もダッジシティーの一角に西部開拓時代を模した観光用のサロン・バー、雑貨屋、鍛冶屋、旅籠などの構築物が軒を連ね、その中に娼館も建てられている。そこにケイトが足を踏み入れたのは1874年、彼女が25歳の時だった。
ビッグ・ノーズ・ケイトが西部史に名を残したのは、彼女がドク・ホリデイ(Doc Holiday)と連合い、彼に最後まで連れ添ったからだ。
ドク・ホリデイはドクター、医師ではなく、歯科医だった。加えて、西部の辺境ではかなりの教養を備え持っていた。ビッグ・ノーズ・ケイトも当時の西部辺境を流れ歩いていた人間にしては古典的教養があったとドク・ホリデイの従姉妹、カレン・ホリデイ・ターナーが書いている。ドク・ホリデイは相当ヨーロッパ的素養があり、ビッグ・ノーズ・ケイトと知的会話を交わすことができ、それが二人を強く結び付けていたのではないかという。
だが、身内が書いた伝記の類は常に身贔屓が多いものだ。ドク・ホリデイはヤサオトコではあったが、アル中ギャンブラーでギャンブル・サロンを渡り歩いていたし、ギャンブル・サロンは往々にして娼館を兼ねていたから、女性関係(娼婦とのだが…)が華やかだったろう。早く言えば、誰が娼婦に高い教養を求め接触するものか、と言い切って良いと思う。娼婦たちは飢えた男どものセックスの吐け口でしかなかった。

ドク・ホリデイ、歯科医学校卒業時の写真
<クリック→晩年のドク>
ともかく、二人が出会ったのはテキサス、フォート・グリフィンにあるジョン・シャンシーのギャンブル・サロンだったと、熱心な好き者西部史家が確定している。そこで、ドク・ホリデイは店お抱えのギャンブラー、ディーラーをやっており、ケイトの方はサロン・バーの女給兼娼婦をやっていた。
フォート・グリフィンからの逃避行は、まさに西部劇を地で行く派手派手しいものだった。ディーラー兼ギャンブラーのドク・ホリデイは、地元の雄で、遊び人のエド・ベイリーがイカサマをやるのを見つけ、再三注意警告した。それに対し、エドは怒り、テーブルの下で拳銃を抜いた。その動きを察したドクは、ナイフでエドの胸を突き刺し、エドを殺したのだ。
サロンにいた目撃者は、ドクの正当防衛だと証言したが、フォート・グリフィンの保安官補は一応裁判にかけるべくドクを逮捕し、サロン、娼館の一室に監禁したのだ。フォート・グリフィンに正保安官もおらず、拘置所もなかったからだ。地元の連中は、ボス的な存在だったエド・ベイリーを殺したドクをリンチンかけるべく集まり出したのだ。
ここがケイトの面目躍如たるところだが、町外れにある小屋に火を付け、暴徒の注意をそちらへ逸らしたのだ。暴徒たちが消火に躍起になっている間に、ドクとケイトは、ケイトがあらかじめ盗んでおいた馬でまんまとフォート・グリフィンを脱出し、カンサスはダッジシティーに舞い戻ったのだった。
ダッジシティーのホテル(Deacon Cox's Boarding House)に、Dr. and Mrs. J.H. Holidayの名で投宿している。
ドク・ホリデイはダッジシティーで歯医者を開業したが、ギャンブルとアルコール漬けだったようだ。ケイトとドクは仲睦まじいとはとても言えない、派手な夫婦喧嘩、痴話喧嘩を再三繰り返し、暴力沙汰に及ぶこともあり、ホテルから追い出されかねないほどだったという。
社会的制約のないところでの夫婦の結びつきは、個々のエゴがモロに現れるものらしい。いくら西部の無法者と娼婦のカップルとはいえ、ドクとケイトはジョージア州のヴァルドスタ(Valdosta)で正式に結婚している(ドクの従姉妹カレンが書いた伝記より)。
この強烈な個性を持つ二人組は派手な喧嘩を繰り広げながら、コロラド州のトリニダッド、ニューメキシコのラスベガスへと渡り歩いた。ラスベガスに2年ほど滞在し、ドクは昼間は歯医者、夜はギャンブラーの生活をしていたが、アルコールの度が過ぎ、歯医者業も賭博師業も泥酔の中だったようだ。この時期にドク・ホリデイは肺病の症状を表し始めている。一方のケイトは、ダンスホールで女性に飢えた男どものダンスのお相手を務めていた。
そして、1880年の終わり頃、アープ兄弟に誘われるようにドクとケイトはアリゾナのツムストーンに移っている。そこでドク・ホリデイは、“OK牧場の決闘”に加わることになる。
第17回:酒場サルーンと女性たち その17 ■ビッグ・ノーズ・ケイト その2
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