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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第28回:聖トーマス教会カントルという職業

更新日2022/06/02

 

代々引き継がれ、途切れることがなかった聖トーマス教会カントルの職は、誰からも高く評価され、尊敬される職務だと思っていた。メンデルスゾーンも聖トーマス教会カントルの職に就いていた。その時、彼は世間から忘れ去られかかっていたバッハをリバイバルさせた。

私が初めて『バッハ・フェスティバル』に行った時のカントルは、クリストファー・ビラーだった。丸顔にカーブした髪をセミロングとでも言うのだろうか、無頓着に伸ばし、口を大きく開け、まさに歌うようにトマナコア(聖トーマス教会少年合唱団)を指揮していた。

彼自身、トマナコア出身だったはずだ。とても親しみ易い感覚を身の回りに漂わせていたように思う。ライプツィヒの人たちにもオラが町の楽長さんとして親しまれていたように感じられた。ある年、ビラーさんが病に倒れ、カントルを辞めなければならなくなり、聖トーマス教会のオルガニストであったウルリッヒ・ベーメに替わっていた。

バッハの手紙をチェックしていて気が付いたのだが、1723年に聖トーマス教会カントルになってからも、ほとんどカントルという職名、肩書きを用いていない、使っていないのだ。それは聖トーマス教会カントルという職が、ケーテンの宮廷楽長から位落ちの役職だったからだろうか。それどころか、カントルと呼ばれるのを嫌っていたという証言がたくさんあるくらいだ。

バッハはライプツィヒに来た当初、“アンハルト・ケーテン宮廷楽長を現職として、ライプツィヒ市の合唱監督を兼任しているバッハ”と、なんとも長ったらしい肩書きを手紙の最後に付けているのだ。確かにバッハは、ケーテンのレオポルト候から永世宮廷楽長の称号を使ってもよいというお墨付きを貰ってはいたが、ケーテンからは一銭も貰っていたわけではない (ケーテン候レオポルトは1728年に34歳で亡くなっている)。

バッハは聖トーマス教会カントルという職そのものを毛嫌いしていたとしか思えぬほど、自分は単なる“カントル”ではないとばかり、ことあるごとに主張した。手紙や申告書にいつも長たらしい肩書きを書き続けている。確かに、ライプツィヒ市の仕事は彼が期待していたものとはかけ離れた酷い状態だった。ケーテンのレオポルト候の気持ちが、妻である皇女フリーデリケ・ヘンリエットの音楽嫌いが乗り移ったかのように音楽から離れてしまい、行き場のない、止むに止まれぬドン詰りの状態から逃げ出すように掴んだ仕事が聖トーマス教会のカントル職だった。

バッハには、少なくみても3人のボス、上役がいた。
一番目はライプツィヒ市参議会で、そこから僅かばかりの給与が出ていた。
二番目はライプツィヒ聖職者会で、そこが毎週の行事、ミサ、それにふさわしい音楽を決めるのだが、バッハの音楽を理解している牧師は少なかった。バッハの音楽は重すぎる、長すぎる、カンタータや受難曲はオペラ的に過ぎる、日曜日ごとに行われるミサや宗教的行事は私たち牧師の説教が主で、音楽は添え物でよい、バッハの音楽は私たちの説教の邪魔になるというわけだ。

そして、三番目はトーマス学校長で、彼が32人から50人もいた寮生と通学する生徒に対するカリキュラム、規約の全権を持っており、合唱や器楽の授業、練習の時間割りを決めた。

バッハは週変わりメニューのように毎週曲目を変えるカンタータを週日の午後3時間の練習で準備し、歌える、演奏できるようにしなければならなかった。それでも、校長がヨハン・マティーアス・ゲスナーのようにバッハの音楽を理解し、いつも市参議とバッハとの間に立ち、かつトーマス学校の体質改善に力を入れた優れた人物の場合はまだよかった。

奇妙にけち臭いライプツィヒ市議会と粘り強く交渉し、最悪の状態だったトーマス学校を建物だけでなく、質そのものを改善したゲスナーが去り(彼はゲッチンゲン大学の正教授に就任)、新任の校長はアウグスト・エルネスティという、多分に親の七光り的な男で、音楽だけでなく、あらゆる能力で前任のゲスナーに劣り、ことあるごとにバッハと対立するのを信条にしているような男だった。それはまるでバッハをやりこめ、引き落とすことだけが無上の喜びに見えるほどだった。無能で利己的な男を、バッハは上役に持ったのだ。

この時、バッハはミュールハウゼン時代の旧友で、時にロシア皇帝に仕えるゲオルグ・エルトマンに就職斡旋の労を問う手紙を書いている。本気でライプツィヒを去る気持ちを固めていたと思われる。

バッハがライプツィヒ市に雇われ、市の音楽監督の職に就いた時、聖トーマス教会、聖ニコライ教会にオルガニストがいた。それがゴットフリープ・ゲルナーという、音楽のレベルでバッハの足元にも及ばないが、その分だけ自尊心ばかり強く、自分が一度掴んだ利権にしがみつくタイプの卑劣漢だった。

バッハがオルガンを使い作曲するのに、ゲルナーの許可を得なければならなかったのだ。この奇妙な関係、バッハの下の地位オルガン弾きであり、同時に同僚でもある二人の対立が表面化したのは、大学構内にある聖パウロ教会のオルガニスト、音楽監督の地位を巡ってだった。ゲルナーはバッハがライプツィヒにやってくることを知るやいなや、その前に手を回し、大学当局と聖パウロ教会の音楽監督の地位を手にしていたのだった。

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大学内にある聖パウロ教会(St. Paulinekircgr)
旧東ドイツ政権が爆破、崩壊する前の建物
聖パウロ教会は聖ニコライ教会から徒歩で3分とかからない距離にある

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爆破される前の聖パウロ教会のオルガン

余談だが、聖パウロ教会は戦災に遭わず、聖トーマス教会、聖ニコライ教会とともに残った。ドレスデンが空爆で壊滅的なダメージを受けたのに比べ、80キロと離れていないライプツィヒの旧市街はほとんど無傷で残った。その聖パウロ教会を共産党政権、東ドイツ時代になってから1968年にダイナマイトで全壊している。

この由緒ある建物の基礎は元々1229年にドミニコ派の教会として建てられ、その後ルッタ―派に変わった時、マルティン・ルッターが1545年にここで説教をしている。1409年創立のライプツィヒ大学の構内、市の中心部に近くにあり、学生たちの自由化運動の牙城になっていたのが共産党政権にとって目の上のタンコブだったのだろう。党は建物が危険になったためと言っているが、それを信じる人はいなかった。

聖パウロ教会爆破に反対し、その後、再建運動に関与した人たちが大量に逮捕されている。私がバッハ・フェスティバルに通い始めた2000年になっても、高い塀で囲まれ工事中だった。執拗なドイツ人のことだから、ドレスデンの聖母教会(ルッター派の福音主義教会)で行ったように古い石を積み上げ再建するのかと思っていたところ、でき上がったのはウルトラモダンな教会だった。まるでアメリカの新興宗教の教会のようなのができ上がっていた。

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ドレスデンの中央にそびえる聖母教会
壊滅状態だったのを、一個、一個の石を拾い集めるように保存し、
それを使って再建された。2005年落成

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そして、2017年に落成した超モダンな聖パウロ教会

この聖パウロ教会をめぐる確執は尾を引いた。バッハがザクセン王、アウグストに三度手紙というのか上申書を書いている。決断に時間がかかり過ぎラチのあかないライプツィヒ市議の頭上を通り越し、直訴したのだ。この手紙を読むと、誰か法律家に手を貸して貰ったのではないかと疑いたくなるほど、具体的かつ法的権利を明確に提示しているのに驚かされる。バッハにこんな能力もあったんだ…と、バッハの実務的な能力の高さを知るのだ。

 

※追記:先週の第27回の本文中に、“バッハは妻や息子たちに捧げると表記した曲を作っていない…”と書いてしまってから、気になり調べたら、1720年、ケーテン時代に、9歳だった息子ヴィルヘルム・フリーデマンのためにクラヴィーアのための教則本『クラヴィーア小品集』を書いているのを見つけた。素人が思い入れで書くものには憑き物?の間違いを犯してしまった。お詫びを申し上げます。

-…つづく

 

 

第29回:地獄の沙汰も金次第

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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