第725回:民間療法のあれこれ
今は昔、なんて気取って今昔物語のような書き出しになってしまいましたが、私が大昔、初めて日本に住んだのは大阪郊外の吹田市でした。駅から歩いて5分~7分ほどの距離にあった戦前からの古い長屋の片隅を借りて住まいとしていたのです。そこの大家さん、吹田お婆さんのことは以前書きました。
英語のエの字も知らないお婆さんのおかげで、古き良き日本を知ることができたと思います。でも二度と口にしたくないのは“卵酒”です。私が風邪気味だと知り、お婆さん、温かい卵酒を大きなコップ満杯にして持ってきてくれたのです。これを飲んで暖かくして寝ると次の日の朝には必ず治っている…と、ジェスチャーと大阪弁で繰り返したのでした。
目の前でお婆さんが、私が特製の卵酒なるものを飲み込むのをジーッ見ているのですから、吐き出すわけにもいかず、ムッとくるのを我慢して飲み込んだのでした。あれは一体何なのです? あんなモノを飲むくらいなら、風邪で寝込んでいた方がマシです。その後、少しぐらい熱が出ても、風邪気味でも、吹田お婆さんには相談しませんでした。
プライベートの語学教室で英語を教えていたので、その話を生徒さんにしたところ、“卵酒”にも各家庭で秘伝があるらしく、生姜、ニンニク、蜂蜜を加えたり、ベースになるお酒も、日本酒、焼酎さらに銘柄など様々なバリエーションがあることを知りました。吹田お婆さんのは、きっと強力即効型の過激なタイプだったのでしょうね。
私のアメリカのお爺さん、お婆さんは、母方も父方もお百姓さんでした。いずれも町まで何十キロと離れた場所で暮らしていまたから、少々のことで町のお医者さんや薬屋さんに行くことができない距離です。父に電話して訊いたところ、お腹を壊した時、便秘、腹痛、胃のモタレなど、何でもかんでも“カストール油”(Castor Oil;ひまし油)一本槍だったそうです。
ド田舎のことですから、子供の時、擦り傷、切り傷などは絶えることなかったことでしょう。それらはすべて、台所やトイレ、床を掃除する時に使う家庭用の殺菌清掃剤“ライソール”(Lysol)を塗っていたと言いますから、ずいぶん乱暴な治療法です。頭痛?なんてしたこともないし、何のことか知らなかったとも言っています。
十数年、ヨット生活をしていた時、今思えば不思議なほど病気にならず、大怪我もせずに過しました。運が良かっただけなのかもしれませんが…。一度、私がクラゲに刺され、お腹から片方の脚まで無数のブツブツで腫上がったことがありました。ダンナさん、「俺のオシッコは、特別製で虫刺されに効くんだ…」と、嫌がる私に彼の特別製オシッコを塗ったことがあります。
虫刺されにアンモニア、という下知識があったのでしょう。後で調べたところ、オシッコのアンモニア含有量は非常に少ない上、虫、蜂、蟻によって毒性が異なるから、オシッコ療法は避けるべし、クラゲにはまったく効果なし、とありました。
スペインに住んでいた時、胃腸関係はすべて“マンサニージャ”(Manzanilla;オリーブの一種で辞書を覗くと“カモミール”、“カミツレ”となっています)、傷はそこいらに生えているアロエの肉厚の葉を折り、そのゼリー状の汁を塗る、魚の目、タコにはニンニクを擦り付けるという身近にあるものを使っていました。日光浴の時、かなり後になってから、ドイツ、北欧の真っ白ん坊が香料の入ったサンローションを持ち込みましたが、それまではオリーブオイルを全身に塗り、日光浴をしていました。
蜂蜜は昔から様々な効能があることが知られ、広く使われています。咽の痛みには蜂蜜にレモン、元気を出すには蜂蜜と蜂の足についてくる花粉“ポーレン”を暖めた牛乳に溶かして飲むなどなどです。しかし、ニュージーランドの“マヌーカ”(Manuka)蜂蜜ほど特別霊験アラタカに効果があり、しかもなんにでも効く蜂蜜はほかにないでしょう。
元々先住のマオリ族がニュージーランドの原生植物マヌーカの葉や幹の皮を薬用に、主に怪我の治療に使っていたものです。カリフォルニア大学の研究によると、マヌーカには抗生物質のようにバイキンを殺す働きがあり、その上、体内に抵抗力、免疫力がつくことが証明されたと言っていますから、マオリ族の民間療法は適切だったことになります。現代の科学で証明されようが、されまいが、マオリの人たちは昔からのマヌーカ療法を続けることでしょうけど…。
問題は、自然療法のマヌーカ蜂蜜の需要と供給のバランスが崩れ、マヌーカとさえ名乗れば何でも売れるところから、大量にニセモノが出回り出したことです。純正はラッパのマークの大正製薬…ではなくて、UMF(Unique Manuka Factor)と明記されたラベルを貼り付けるようになりました。なんだか、自然、民間療法も世知辛くなってきました。
リンゴ酢は世界中どこでも胃の持たれや胃痛に効果があるとされ、愛飲されてきました。私も子供の頃、スプーン一杯のりんご酢を飲んだ、飲まされた記憶があります。元々りんごはとても体に良い、ビタミンをたくさん含んだ果物ですから、一日一個のりんごを食べると、お医者さんを遠ざける《 “an apple a day keeps the doctor away” 》というコトワザがあるくらいです。日本では梅干しがあらゆる症状に使われていたようですね。あれだけ酸っぱくて、口がスボムほどですから、胃も腸もびっくりしてスボマルのかなと想像しています。
フランスの酢は特別で、“4人の泥棒の酢”として販売されているほどです。この4人の泥棒は17世紀、黒死病の時期に活躍? した窃盗団で、彼らは手と頭にこの酢を塗り、黒死病で全員死んでしまった館を荒らし回りましたが、決して黒死病に罹らなかったというお墨付の酢なのです。しかも糖尿病、食欲増進、精力絶倫、万病に効くというのです。この魔法の酢は“Vinaigre des quatre voleurs”として市販されています。この魔法の酢にマヌーカ蜂蜜を溶かして毎日飲んだら、一体どういうことになるのでしょうか?
漢方医療の盛んな中国には、百科事典ほどの厚さのある民間療法の虎の巻がありますから、半分は犀の角のような根拠のないデタラメ、迷信もあるにしろ、奇妙で面白く、しかもどことなく効きそうな妙薬もありそうです。
アメリカ版は『ヴァーモントの家庭医療』(Folk Medicine of Vermont)という家庭の医学の本があり、私の家にも一冊あったように記憶しています。日本にもたぶんに中国漢方を下地にした『大和本草』とか『花譜』『采譜』という古典がある…とダンナさんが入れ知恵してくれました。
私のお姑さんは、あと2週間で100歳になるというところで消え入るように寿命が尽きました。最後の数ヵ月まで三度の食事を楽しみ、好奇心もあり、人間、最後はこうありたいものだという見本のような生き方を通しました。彼女に特別な食べ物や飲み物、薬草など秘訣はなく、ただ何でもおいしい、おいしいと喜んで食べ、可能な限り歩き回っていました。
彼女は戦中、戦後ロクな食べ物のなかった時代に青春を過ごし、それから早くにダンナさんを亡くし、5人の子供を女手ひとつで育てあげ、更に健康で長生きしたのは、彼女の愚痴をこぼさない楽天的性格、現実を受け入れ、その中で喜びを見出していく肯定的な生き方をしたからだと思います。
最良の民間療法は、いつも肯定的に生きることなのかもしれませんね。
-…つづく
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