第484回:山の遭難事故について
私たちが馴染んだ山、ロングスピークで遭難事故がありました。ロングスピークはロッキー山脈の東側にある、フォーティーナーズ(1万4,000フィート以上)の一つで、姿かたちが良く、しかも孤高なので、どこからでも良く見える魅力的な人気のある山です。
そこでアメリカの軍人10名がトレーニングのための登山をし、その内二人が高山病で動けなくなり、ヘリコプターで救助されたのです。この軍人グループには軍医も同行していましたし、強力な無線を持っていましたから、すぐに最寄りの軍事基地からヘリコプターを呼ぶことができ、人命には異常はありませんでした。
ロングスピークは山登り自体、難しいものではありません。ただ、行程が長いので、元気の良い、エネルギーに溢れる若者は夜中に登り始め、朝日を山頂で見て降りてきますし、私たちのようなご老体は途中でキャンプし、行程を2日に分けて登ります。
遭難した軍人さんたちを見ると、皆大変なマッチョで丸太のような腕と分厚い胸板、そのままプロレスのリングに上がれそうな体格の持ち主ばかりです。装備も私たちとはとても比較にならないくらい立派なものですし、平地でのトレーニングも充分以上に積んできたようなのです。
しかも、お医者さんまで同行するという念の入れ方ですから、準備や装備、体力に問題はなかった…と言って良いでしょう。さらに天候も良く、ヘリコプターで救出しなければならない事態になるとは、思いもよらなかったことでしょう。
ヒマラヤの登山は、高地順応、酸素と寒さの戦いだとよく言われます。コロラド・ロッキーはエベレストの半分くらいの高さで、せいぜい4,200-4,300メートルの山ですが、それでも高山病に罹る人は罹り、それが呼び水となって命を脅かすことになります。
高山病に罹りやすいかどうかは、筋肉マッチョ、タフガイであるかどうかにかかわらず、実際高いところに登ってみるまで分かりません。誰でも時間を、日にちをかければある程度順化しますが、個人差が激しいと言われています。ともかく、ヘリコプターの救援をあおいだのですから"遭難"になるでしょう。
街中では問題にならない小さな怪我や病気でも、山では深刻な事態になることがあります。ちょっとした切り傷、自力で降りてこられる程度の捻挫、打ち身などは届出ませんから数に入らないでしょう。
統計上の"遭難"は一応助けを求めたモノだけの件数ですが、9月9日に発表された日本の夏山(7月と8月だけ)の遭難件数はなんと660件、753人、死者及び行方不明者48人に及びました。これはなんでも新記録だそうです。
この救援に要した地元警察、救助隊の延べ人数は3,508名、ヘリコプターは229回も出動しています。これが夏の2ヵ月だけのことです。野次馬根性で、1年間でどのくらい"遭難"があるのか調べたところ、平成24年1年間で1,988件の遭難事故、遭難者総数は2,465名、死者および行方不明者284名と小さな戦争並みに怪我人、死人が出ているのです。
年齢別に見ますと、60代が30%近くを占めています。40代、50代、60代、70代の中年、老年者が遭難事故の82%を占めていますから、壮健な20代、30代の事故は少ない(比較の問題ですが)と言えます。もちろん、この数字は退職して"サーテト、山でも登るか"と山歩きを始めた人数が圧倒的に多いからでしょう。
従って、遭難事故の原因も転倒、滑落が50%と足元がオボツカナイ中年、中高年、老齢の特徴を現しています。それに続き、道に迷う、疲労、病気が原因になっています。すぐにお気づきでしょうけど、この中に自然、いわば気候の急変とか、大雨による渓流の急激な増水、雷、火山噴火、雪崩のような自然災害の要因が極めて少ないことです。数年前の御嶽山噴火のような遭難事故はありません。ですから、自分で防ぐことができる事故が遭難に繋がっていると言って良いと思います。
日本の夏山の事故だけから遭難事故全体について述べるのは飛躍し過ぎかもしれませんが、遭難の半数が単独またはグループで来ていたけれど、別行動をとった登山者なのは特徴的です。
これほど遭難が多くなったのは、登山人口が急激に増えたからでしょうけど、ウチのダンナさんの意見では、一つには皆携帯電話とGPSを持ち歩き、気軽に救援を要請するようになり、装備、道具に頼る傾向がはっきりしていると言うのです。
古臭い意見ですが、一昔前なら、打ち身、軽い捻挫程度なら、添え木を当て縛り何とか自力で降りてきたであろう程度の怪我でも、携帯電話で簡単に救援を呼ぶことができるようになったのが遭難件数が数字の上で増えた最大の要因でしょう。
ちなみに、ヘリコプターのチャーター料金は1時間45万円から50万円、救助隊は地域によって異なりますが1日50万円から100万円かかります。
だいぶ前のことになりますが、スニッフル山へ違うルートでアプローチし、途中であきらめていた時、頂上から降りてきた中高年の山男に会いました。ウチのダンナさん、彼と立ち話をし、「自分たちにはとてもこの北壁から登ることはできず、あきらめて山稜を眺めている…」と言ったところ、その男性、相当な山岳家でヒマラヤ、ヨーロッパ・アルプス、南米、極地を渡り歩いていることを後で知ったのですが、その大ベテランの彼、「いや、それで良いのではないか、ここまで来てこの山の壁を見ることができるのは幸運なことではないか」と言ったのです。
その通りなのです。山の麓にキャンプし、夕陽に染まる山々を眺めるだけでも良いのです。そんな所に行くことができ、そんな景色を見ることができるだけでも人生を祝福したくなります。山羊みたいなダンナさんが、彼の言葉に感銘を受け、「オイ、俺たチャー、二人で一緒にこうしてこんな景色を目の当たりにするだけで十分だな」と呟いていました。そんなことを言い出すようになったのは、さすがの山羊ダンナさんもやはり歳なのでしょうね。
山に入る以上、遭難の可能性は常について回ります。私たちは今まで運が良かっただけなのかも知れませんが、年々歳をとり体力が衰えていますから、これからも今までのように幸運に恵まれるとは限りません。それでも、年齢と体力に合った山歩きを続けていこうと思っています。
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