第46回:占い師マイオンと従者の青年
夏の暑い盛りのことだったと思う。凄まじい様相をした中年女が『カサ・デ・バンブー』にやってきた。厚く塗りたてた化粧、それも幼稚園児がデタラメに色を混ぜ、線を引いたようなドギツイ口紅、ピンクを通り越して赤に近い頬紅、そしてパンダを逆にしたように白壁の顔に目の周りは真っ黒、マスカラはコールタールでも塗ったくったとしか思えない御面相だった。
ボサボサの茶色の髪の毛には、色とりどりの小さなリボンをばら撒いたように付けていた。服装もジプシー風、インド風、ヒッピー風をない交ぜにしたようなもので、配色やバランスなど薬にしたくもないファッションだった。まるであり合わせの布切れを適当に体に巻き付けているかのようだった。それに加え、総計100を下らない腕輪と首飾りを付けていた。しかし、スペインの中年女性には珍しくデブではなかった。

『カサ・デ・バンブー』のあるロスモリーノスは城壁の裏側にある
私は彼女を何度か旧市街で見かけていたし、私の散歩ルートでも出会い、“ブエノス・ディアス”程度の挨拶を交わしていた。と言うのは、私の早朝散歩は、『カサ・デ・バンブー』のある崖から石ころのビーチに一旦降り、200メートルばかりのビーチを渡り、南に突き出すような岩山に登り、その岩山の稜線を城壁向って回り、裏の丘から『カサ・デ・バンブー』に降りてくるというコースで、その岩山というか突き出た岩の丘のテッペン近くに高さ1メートル、幅2、3メートル、奥行き3メートルばかりの洞窟が口を開けており、そこに占い師のマリオンと青年が住んでいたからだ。
その洞窟はイビサの旧市街に比較的近いこともあり、夏のハイシーズンは常に誰かが住んでいる、ナカナカ人気のあるスポットだった。私もバックパッカー時代なら、そんな洞窟に勇んで転がり込んだと思う。洞窟が空き家の時、そこに入り込み、暫しの間座ってみたが、洞窟の中から眺める地中海の青さと沖にかすかに浮かぶフォルメンテーラの島影の景色は、洞窟の入口が絵画のフレームとなり、絶景と呼びたくなるほどのものだった。
問題は、強い西陽が当たることと、水場がないことだろうか。ほとんどの居住者は入口に布を下げたり、あり合わせの棒を立て天蓋を張ったりして、太陽を防ぐ工夫をしていたようだ。
マリオンは20代の青年と、その洞窟でひと夏を過ごしたのだった。マリオンは首から長方形のダンボールの厚紙に“占い師、マリオン、手相、星占い”と悲しくなるほど、下手糞な字で書き、胸に下げて旧市街のバール、レストラン、テキヤ街を徘徊していた。そして、いつも摩訶不思議な存在の若者が影のようにマリオンにつき従っていた。食料を買うくらいの収入は占いで稼いでいたのだろう。
そのマリオンと従者の若者が、少し遠慮がちに水を分けてもらえないだろうかと、空のコカコーラのリットル瓶を数本差し出したのだ。もちろん、当方に異存があるはずもなく、いつでも好きなだけ水を使ってくれと、『カサ・デ・バンブー』に隣接した私のアパートの庭にある散水用の蛇口の場所を教えたのだ。
マリオンはバルセロナの街娼地区、その当時まだジャン・ジュネ(泥棒日記の作者)の世界がそのまま残っているかのような“バリオ・チノ”界隈でよく知られた名物占い師だと、カタラン人の客から聞いた。酔った客が面白半分でマリオンに手相を見てもらうのだろうか、そこでも、イビサと同じように首から小さな看板を下げて娼婦のタムロするバールを回っていたということだった。
当初、コカコーラのリットル瓶だったのが、いつかバケツを持込んで洗濯をするようになった。それを見た上の階のギュンターが3階のテラスから、スペイン語で、「お前たちはそこで何をしているのだ!」と、興奮するとドモル癖を存分に発揮して、「ここの庭に入ってくるな!」と、大声で怒鳴りつけたのだ。
実際、ギュンターは素晴らしく通るバリトンの声を持っていた。マリオンと青年は文字通りポカーンとして、応える術がない態だった。私は、『カサ・デ・バンブー』から降りて行き、「ギュンター、俺が許可したんだ、彼らが使う水の量など知れたもんだし、問題ないんじゃないか?」と言ったところ、ギュンターはすぐに庭まで降りて来て、顔を突き合わすように物凄い剣幕で、ますますドモリながら、「この庭は、お前のモノではなく、4軒のアパート共有のものだ(これは本当にその通りなのだが、実際に庭の世話をしていたのは私だけだった)。それに夏の水枯れが何時起こるかもしれない。彼らが庭に入り込み、水を自由に使うのを許したら、イビサ中のホームレス、ジプシーが全員、すぐにもやって来ることになるぞ…云々…」と、ブチマケたのだった。
このような議論、小さなことを全体に演繹する手の論争は、相手にするだけ時間の無駄だ。イビサ中のホームレス、ヒッピー、ジプシーがここに水をもらいに来るワケがない…などと反論したところで不毛の論争に終わるだけだ。
私は、マリオンと青年を『カサ・デ・バンブー』の勝手口に連れて行き、カルメンおばさんに彼らにいつでも水道を使わせ、水を与えるように言ったのだった。カルメンおばさんも、しょうがないなぁ~という表情を見せながら、お前がそう言うならそうしましょとばかり、「シー、シー」と応えたのだった。
今、思い起こすと、マリオンに付き従っている青年、耳が隠れるくらい長く縮れた髪、顔全体を覆うばかりのヒゲ面だったが、彼の声を聞いたことがないような気がする。オシではないかと想像していたほどだ。目が意外というべきか、澄んでいて綺麗だった。ヒゲを剃り、髪をそれなりにカットし、着た切りスズメの汚れ切った服装を何とかすれば、相当イイ男に変身できるのになぁと思ったりした。
マリオンがビーチで身体を洗い、彼が塩を落とすためにリットル瓶の水をマリオンの頭からかけてやっているのを目撃したことがある。そして、ボロ布のようなタオルでマリオンの身体を拭いてやっていた。
シーズンが終わりに近づいた9月末か10月初めに、そのミステリー青年が一人で勝手口に現れ、小さな広口瓶にケッパーを一杯詰めたのを持ってきた。マリオンに言いつかって来たのだろう、その時も黙って瓶を差し出し、そそくさと引き上げて行ったのだ。マリオンと彼からのお礼なのだろう。その岩山には白く可憐な花を付けるケッパーの低いブッシュがたくさんあり、花が開く前の蕾を酢漬けにするととてもおいしく、グルメと呼んでもいいくらいの食材になるのだ。彼らは、朝早く、岩山を巡り、ケッパーを摘んでくれたのだろう。
2、3日後、私は恒例になっている散歩のついでに洞窟を覗いたが、そこはもう空き家になっていた。

城壁内にはこのような石門や通路がたくさんある
-…つづく
第47回:マッチョの国のトイレ・バス事情
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