第28回:自由が丘一番街界隈
更新日2004/06/10
私の店は、自由が丘の駅から広小路通りに入り直進し、バス通りを越えしばらく行った所を左に折れた小路の一角にある。この小路はL字型になっていて、その界隈は、最近ではあまり使われていないが、昔から「一番街」と呼ばれている。
若い人を対象にしたWEBでは、エルジガオカなどと紹介されているこの小路だが、アナログ指向の私にとっては、一番街と言った方がピッタリくる気がする。たてが約25メートル、横がおそらく20メートルに満たないこの一角に、現在23店が軒を連ねている。
もちろん、ビルの2階3階にある店を含んでの数だが、すべてが飲食店で物販店は1軒もない。その大雑把な内訳は、スナックが最も多く過半数の12軒、和風の居酒屋が3軒、ショット・バー2軒、そして、やきとり屋、鮨屋、パブ、ワイン・カフェ、クラブ、お好み焼き屋が各1軒ある。
飲食業界は、やはり移り変わりが激しいものかも知れない。私が店を始めてから約4年半が経過したが、この一番街だけで、その間に開店された店が(私の店は除いて)10軒、反対に店を閉められたのは13軒、移転されたのが2軒。この期間の中で開店と閉店が行なわれた店もある。
昨年は、古くから営業を続けてこられたスナックが何軒か店を閉められた。個人的にも大変お世話になっていた方々なので、とても寂しい思いがする。
いつのまにか、お洒落な街というイメージで語られるようになった自由が丘だが、この一角にはその言葉は、あまり当てはまらない。昔ながらのスナック街の風情を残し、酒飲みの郷愁を誘うような不思議な空間である。
「一番街」の名前の通り、自由が丘では最も古い部類の繁華街で、今はまったくそんなことはないが、昔は一般の人にはちょっと入りにくいような、少しこわもての雰囲気を持つ一角だったようだ。竹林の庭を持つ日本料理の店もあったという話も聞いたが、今ではなかなか想像することが難しい。
私の店のビルの向かいにあるビルはかなり年代物だが、昔からクラブやスナックが多かったらしい。このビルの上の部分一面の壁には、今でも往年の華やかさを物語るような「夢のパラダイス」という大きなネオンサインが、外されずに残っている。
今のように多くのビルがあまりなかったのだと思う。当時は駅の方からも、きっと極彩色に光っていたであろう、そのネオンサインがはっきりと見えたに違いない。
今では塗料もはがれ落ち、電球もだいぶ外れていたり、電線がむき出しになっていたりで、もし通電すれば、まちがいなく漏電を起こし、一瞬のうちにビルは火事で燃えてしまうだろう。
けれども、私たちは時々話すことがある。「もういっぺんでいいから、あのネオンサインに灯をともしたいね」
それには、きっと多くの工事費用や、いろいろな方面の許可がいることだろう。だれがそのお金を出し、申請手続きをするかということになれば、おそらく話はそこで止まってしまう。それでも仄かな夢は持ち続けたい気がする。少なくとも勝鬨橋をもう一度跳ね上げるよりも、実現性は高い話だと思っている。
「一番街」は狭い一角なので、たいがいの店の人の顔をお互いが知っていて、いつも「おはようございます」「お疲れさまです」のあいさつの言葉が飛び交う。
ある程度なじみの間柄になると、たとえばある店のスナックのママなどが「ねえ、オールド・パーの新しいボトルの在庫ない? ちょうど切らしちゃったのよ」と行って来られたり、また他の店の店員の方が「1万円両替できませんか」などと訪ねて来られたりする。
私の方もときどき、ライムを借りに行ったり、煙草を分けてもらったりすることがあって、ある種隣組の付き合いをしていると言ってもいい。また、私は開店以来、この界隈のいろいろな店の方々から、励ましの言葉や、適切なアドバイスをいただき続けており、それは今日もまったく変わらない。いくら感謝しても、足りない思いだ。
表で出会したときには、よくこんな会話になることがある。
「うちはここのところさっぱりなのよ、ひまでひまで、もうどうしようかと思って。マスターの所はどう? 入ってるんじゃないの?」
「とんでもない。本当によくないですね。うちはカウンターから外が見えるんですが、昨日なんか、表はお客さんより野良猫の往来の方が多かったぐらいですから…」
「そう、やんなっちゃうわね」
たいがいは、お互いの店がいかに暇であったかという「ひま自慢」が多い。私の店では現実の話で、誇張をしているわけではない。けれども、もし前日にある程度お客さんが入ってくださったとしても「忙しい自慢」をすることは決して肝要ではないし、実際にそんな話をする店はない。
自分の店にお客さんがあまり来てくださらなかったとき、他の店も同じようだったと言われると、「うちだけではなかったんだな」と少しホッとして、気分の転換を図ることができる。
これは消極的な考え方かも知れないが、最近では、そんな思いをいくたびか繰り返すことによって、店というものは何とか続けていけるものなのではないか、という思いがしている。
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