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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第921回:イエローブック、ブルーブック、レッドブック、そしてグリーンブック

更新日2025/10/16 

 

イエローブックと言えば、電話帳で職業別のことです。これは日本でも同じでしょうね。ブルーブックは、アメリカで販売されている車の査定価格が車種、年式ごとに詳しく載っている、中古車を買う時のトラの巻のことです。

この辺までは特別アメリカ通でなくても知っているでしょうけど、レッドブックは婦人雑誌『American Women's Magazine』の名前です。それとは全く関係はありませんが、『毛沢東語録』も赤い本と呼ばれていましたね。赤は共産党系の色ですから、ひと昔前までと条件を付けた方が良いのかしら、アメリカ国内でのロシア人(ソビエト)、ウクライナ人の共産党の党員名簿などもブラックリストならぬレッドリスト、レッドブックと呼ばれていたようです。

消防車が赤いのは、日本もアメリカも同じです。そこで消防士を訓練するテキストも、レッドブックと呼ばれています。

グリーンブックとなると、知っている人はかなり少なくなるのではないかしら。2018年に同じタイトル『グリーンブック』で映画化され、少しは、そんなものがあったんだと知った人もいるでしょう。

元本は1936年にヴィクトール・ユーゴ・グリーンが書いた『The Nigro Motorist Green Book』(黒人ドライバーのためのグリーンブック)、いわば黒人が旅行をする時、どこそこの町での何々ホテル、モーテルは黒人でも泊まれる、レストランで食事ができると克明に調べ上げた、黒人もしくはカラード(有色人種)専門のガイドブックです。
 
アメリカ南部の州で1930年代どころか大戦後まで、ホテル、レストラン、バスや汽車の待合室、トイレ、ドラッグストア(ソフトドリンクやアイスクリームなどをカウンター越しに売るスナックのような店舗)は、厳然と白、黒に分けられていました。
 
1930年に入ると、北部に住んでいる黒人に中間層というのか小金持ちが増え、モータリゼーションの波が及び、車を持つようになり始めました。そこで、自分の車で我が故郷、南部の町や村を訪れ、まだそこに住んでいるお爺さん、お婆さん、親類を訪問しようと動き出したのです。黒人を法的に差別できる“ジムクロー(Jim Crow)法”が十分以上に生き渡っている地域では、北部で育った黒人は南部に旅行し、散々な目に遭っていたのです。

そこで、ヴィクトル・ユーゴ・グリーンさん、フランスの文豪の向こうを張ったわけではないでしょうけど、アメリカ黒人の歴史に名を残す『グリーンブック』を書いたのでした。

打ち明けて言えば、私自身、『グリーンブック』を見たのはインターネットの復刻版(1940年版)で、本物を手に取って見たわけではありません。でも、安くあげるためでしょうか、紙も印刷もわら半紙に高校新聞のような活字で印刷された、粗末な造本のように見受けられます。
 
オリジナル版はニューヨークから南下するドライバー向けでしたが、徐々に範囲を広げ、全米、カナダ、メキシコ、カリビアン諸島、バーミューダまでカヴァーするようになり、黒人、有色人種のための旅行バイブルになったのでした。
 
『グリーンブック』は、確かに黒人にとってはとてもありがたい本でしたが、そんなガイドブック、どこそこのホテル、レストランは黒人客を受け入れるなんて情報を持たなければ自由に旅行ができなかったこと自体信じられません。それが1964年まで続いていたのです。

その時代にウチのダンナさん(色つき有色人種、モンゴロイドです)と一緒に気軽に旅行などできなかったのです。それもつい最近、戦後も戦後、20年経ってからでもジムクロー法、セグリゲーション(Segregation;白黒分離)が合法だったと知ってショックを受けました。

1964年の市民運動の結果、表向きには全米どこへ行っても公式的にはセグリゲーションはしない、できないことになってはいますが、偏見を持つことを禁止することはできません。意識改革は常に時間がかかるものです。今では、黒人立ち入り禁止の劇場、コンサートホール、ホテル、レストラン、リゾート、海水浴場、列車、飛行機、ゴルフコースなどなど、表向きには存在しません。
 
最高裁の判事プレシー・ファーガソンが宣言したように、“分離していても同じだ”というのは治世者の欺瞞で、黒人専用の場所、地区は白人のそれと比べ、比較にならないくらい狭く、汚いのが現実でした。

表向きに黒人がどこのホテル、レストラン、待合室に出入りできるようになってからでも、例えばレストラン、コヒーショップなどでウェイトレス、ウェイターが注文を取りに来ない、置いてけぼりを食らうのはよくあることでした。
 
当時、すでに世界的な音楽家で尊敬を集めていたデューク・エリントンですら、彼のバンドを率いて南部を公演旅行する時、コンサートホールに黒人も入れることを条件に付け加えなければなりませんでした。それでいても、ホテルは黒人専用に泊まらなければならなかったそうです。
 
今のようにインターネットのない時代、どうやってこんなにたくさんの情報を集めたのか不思議でした。その種はグリーンさん、郵便配達をしていて、アメリカの郵便局は最大の黒人雇用主でした。兵役に就いたことのある退役軍人を優先的に雇っていましたから(グリーンさんは第一次世界大戦の時、兵役に就いていました)、グリーンさんの同僚が配達地区の情報を与えていたことのようです。

また、グリーンさんが旅行代理店を開いてからは、読者から膨大な情報を得ていました。初めは一件につき1ドル、その後5ドルのお礼をし、瞬く間に全米をカヴァーする黒人ガイドブックにまでになったのでした。1949年版には、小説家のマーク・トウェインが序文を書くほどになっています。

どのくらい売れていたのか、週刊誌的興味で調べたところ、1937年の初版は25セント、16ページで通販だけでした。今この初版本は希少価値が出て、オークションで大金を積んでも手に入らないそうです。1949年には80ページに膨れ上がり、1万5,000部売れています。話題になり、重宝された割りに発行部数が少なく、これではグリーンさん、とても財を為せなかったでしょうね。

グリーンさんはマーティン・ルーサー・キングらの市民権の盛り上がりを見ることなく、1960年に亡くなりました。しかし、彼の作ったユニークな黒人専用のガイドブック『グリーンブック』は、21世紀になってからも評価され、多くの街の博物館で展示されています。

-…つづく

 

 

第922回:アメリカの伝統? シューテング

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えていました。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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