第587回:“虚像的英雄”が成功の秘訣
アメリカ人にとって、あの時、自分がどこにいて、何をしていたか、はっきりと覚えている事件があります。ケネディー大統領が暗殺された時と、ニール・アームストロングが月に到達し、月面を歩いた時です。中年以上という条件が付きますが、おそらくアメリカ人なら誰でもが、あの時、自分がどこで、何をしていたかを鮮明に覚えていることでしょう。
両方とも、アメリカの家庭にテレビが浸透し、大きな事件をナマで見ることができるようになってからの事件です。これがラジオ放送だけなら、あれほどアメリカ人の心に焼き付くことがなかったと思います。
お母さんが、まだ専業主婦として家事、育児に明け暮れていた時分、流れ出る涙を拭こうともせず、泣き腫らした顔で、「ケネディー大統領が殺されたわ…」と言ったのを覚えています。下の妹、弟たちが騒いでいるのを、震えるような涙声で、「静かにしなさい! 私たちの大統領が殺されたのよ!」と、きつく叱ったのをはっきり覚えています。
もう一つの大事件、人間が初めて月に行き、そこを歩き、月から地球を眺めた事件?です。これは前もって実況中継が組まれていて、1969年7月20日のことですが、多くの職場でもその瞬間をテレビで観るための時間を作っていました。
私の田舎の家に仲良し従妹たちが、夏休み、泊りがけで遊びに来ており、テレビで何やらとても長ったらしい前置き、どのようにアポロ宇宙計画が進められ、キャプテンのアームストロングの人物紹介などが続いていたのに飽きて、外で遊んでいる時、またお母さんが、「早く来て! 宇宙船が月に着くわよ…!」と、私たちを呼び入れました。そして、あの有名な名言(たぶん誰かスクリプトライターが準備したのでしょうけど…)、「この小さな一歩は人類にとっての偉大な一歩である」と、古い短波ラジオで聞くようなアームストロングの声が聞こえてきたのでした。
私たちは、またすぐに外に出て、ほとんど満月に近い月を…、ここの部分の記憶がかなりぼやけてしまっていて、半月だったかもしれませんが、おそらく夕方で丁度月が昇り始めていたのを、「あそこに、人が歩いているのが見えた。アレ、あっちの方よ…」「イヤ、上の方でアメリカの旗を振っている…」と、ふざけて言い合ったのでした。
宇宙へ人工衛星を飛ばすソビエトとアメリカの競争は、当初、ソビエトの方がアメリカを大きく引き離し、人工衛星スプートニク(ロシア語で「衛星」の意)を成功させ、その後、犬、ユーリイ・ガガーリン、ワレンチナ・テレシコワさんと、すでに人間まで宇宙に送り込んでいました。アメリカとしては、何としてでもソビエトより先に月に人間を送り込まなければなりませんでした。ケネディー大統領のお声掛かりで、膨大な予算が組まれ、ニール・アームスロングを月に送り込むことにやっと成功したのですが、それだけに、国民に強くアピールする必要があったのでしょう。
アメリカだけではないでしょうが、宇宙計画のような国家的大事業でプロパンガンの効果を最大限に上げるには、個人的な英雄を表面に押し出すことです。人は英雄像に憧れるものです。たとえそれが作られたイメージであっても…。
冷静に考えれば、いや、それほど真剣に考えなくても、ニール・アームストロングがアポロ宇宙計画をゼロから作り上げたわけでないことは誰でも知っています。宇宙局の職員何万人もが関わり、作り上げた作品の最終ドライバーにアームストロングは選ばれただけなのです。もっとも、何百人もの候補者の中から選ばれたのですから、彼が優秀なパイロットであることは間違いないでしょう。それにしても、アームストロングの個人の意思、企画力、統率力はアポロ計画では全く問題にされず、優れたオペレーター、運転手としての能力だけがすべてだったと言い切って良いでしょう。
アムンゼン、ナンセン、スコット、マジェラン、コロンブス、リヴィングストンなど、彼らの個性、意思がそのまま航跡になっている先駆的な冒険者とは全く次元が違うのです。宇宙計画はすでにそのような個人の意思で動かせるモノゴトではなくなっており、お金と組織力がすべての冒険なのです。
極言すれば、ニール・アームストロングは何万人といるアメリカ航空宇宙局の職員の一人というだけのことです。それをテレビ時代に乗っ取ったマスコミが、国の後押しを受けて英雄としてのイメージを作り上げたのです。彼が如何に家庭的な父親であったとか、良き夫であった、良きキリスト教徒であったかなどは、英雄を飾るための枝葉のことです。
月面歩行で有名になり、素晴らしい年金を貰い、自伝を書き、それで儲け、その上、1979年にはシャキッとしたスーツに身を固め、車のCMでクライスラーのコルドバ、ル・バロンに乗り、いかにこの車が素晴らしいものであるか、宇宙のイメージをチラつかせながら宣伝に努めているのです。
このテレビ時代に、虚像的英雄を作り上げることの滑稽さと危険性があります。アメリカの選挙、州知事から大統領まで、テレビでイメージをいかに作り上げるかが、成功の鍵になってしまったのです。それを、ニール・アームストロングは、半世紀以上前に示していたのです。
-…つづく
第588回:個人が戦争を始めた話 “Good Time Charlie”
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