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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第129回:アパートの隣人、這い這いハリソン

更新日2020/08/06

 

ハリソン(Harison)は、当時、イビサ、フォルメンテーラにたくさんいたベトナム帰りのアメリカ人で、私が『カサ・デ・バンブー』を借りる前、そこを住居にして住んでいた隣人だった。老ボクサー犬、アリストも彼が世話をしていた。

私のアパートは、日本風に言えば4階建ての2階にあり、その建物の南側に4、5メートルの幅の人が通り抜けることができる岩の坂道、道とまで言えないような岩場があった。私たちゴメスアパートの住人は、アパートの西側にある幅の広い緩やかな階段を使わず、その崖の上を渡り歩いて出入りしていた。

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ロスモリーノスの海岸に繋がるトンネル

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ゴメスアパートと崖の小道? 1階のブロック塀が見える

と言うのは、イビサの町からロスモリーノスのアパートに帰るには二通りの道があり、相当急な丘に登り、その天辺からなだらかな坂を降りるか、その丘の下をくり抜いたトンネルを抜けて、陸軍病院の脇を通り、一旦海岸に出て、それからまたゴメスアパートの下の崖を登るか、そのどちらかだった。

陸軍病院のためのトンネンルが開通する前は、丘越えが唯一の道だったが、50メートルあるかないかのトンネルができてからは、丘を登らなくて済むので、ゴメスアパートの住人はトンネルを抜け、少し危ない通り抜けだと分かっていても、崖の上の渡り道を使うようになったのだ。 

夜、月明かりに反射する海をテラスから眺めていた時、アパートとずり落ちている崖の間に人がツンノメッテいるように倒れているのを見つけ、階下に住んでいたキャロルを呼び、懐中電灯を持って、倒れている御仁のところに行ったのだ。それが隣人のハリソンだった。彼が相当飲んでいたことは、酒臭い息、ロレツの回らない口調からも明らかだった。ほとんど泥酔状態だった。

ハリソンは、「お前ら、何しに来たんだ?」と、表情、仕草で、俺には助けなんぞ要らない…とばかり、ヨロヨロと立ち上がり、危うい足取りで1階のキャロルの庭を水平に保つために積み上げられたコンクリートブロックに寄りかかるように坂を登って行ったのだった。これがほとんど毎晩繰り返されるハリソンの綱渡り、這い這い渡りだった。キャロルはHarrison crawl (ハリソン・クロール;ハリソンのハイハイ、四足歩き)と呼んでいた。

アメリカ人が中心になっていたソフトボールの試合に加わるようになって、イビサに永住しているアメリカ人が意外にたくさんいることを知った。その一つのグループが、ベトナム戦争の退役軍人組で、20名はいたと思う。もっとも、モビリティーの高いアメリカ人のことだから、出入りが激しいし、彼らはベトナム時代の同胞を呼び寄せるのだろう、毎年、ニューフェイスが訪れ、ある者はそのまま居座った。

ハリソンも海兵隊の退役軍人で、イギリス人女性が経営する英語学校『ザ・イングリッシュ・センター』で英語教師をやっていた。英語圏以外の国で自分が偶然英語で育ち、しゃべれるというだけで教えることができ、それだけで食べていけるのは大変な特権、役得だ。もちろん、彼らは外国人に英語を教えるノウハウを持っていないし、英語教師の資格も持っていない。が、それでも地元の人は高い授業料を払い、ネイティブスピーカーと言うだけの彼らの元に集まるのだ。

外国に住む英語遣いにとって、資格、ライセンスも要求されない英語塾の講師は、最も安易な仕事なのだ。ハリソンは徴兵される前に、高校卒業と同時に志願して軍に入り、ベトナムに送られた。退役したのは、負傷し、P.T.S.D.(Post Traumatich Syndrome Disorder;戦争による精神、心理的ダメージ)と診断されたからで、補償金が毎月懐に入ってくる身分だった。アメリカ本国で生活するには足りないかも知れないが、スペインで暮らすには十分以上の金を貰っていた。

カリフォルニア出身のキャロルに言わせると、ハリソンの英語は東海岸の下町英語で、彼の生徒は皆、ブルックリン、ブロンクス訛りを話すようになるのではないかと笑っていた。

年金と英語学校からの給料はすべて酒に費やされていたと思う。私は何度か老舗のバル『タベルナ』や『フィエスタ』、『ラ・フィンカ』でハリソンに出会っただけだが、下戸の私から見ると、ハリソンの飲み方はまるで底なしバケツにリキュールを流し込むようだった。顔や手、腕にいつも傷を作っているのは、酔った末に転んだからに違いない。大酒を食らっても、彼は人にカラムとか暴力的になるわけでなく、タダひたすら呑んでいるのだった。

何度か、キャロル、ハリソン、ギュンターも加えて、庭でコーヒーを飲みながら話をする機会があった。『カサ・デ・バンブー』を開店する前の年のことだ。キャロルは、ヒッピーを地で行く反戦主義のフラワーチャイルドで、ベトナム帰りのハリソンを軽蔑していることを隠そうともしなかった。ある時、キャロルがハリソンに、「アンタは何のためにベトナムに行ったの? ベトナムで何をしてきたの?」と際どく詰め寄ったことがあった。

ハリソンは焦点の合わない淀んだ目で海を見つめながら、「そうなんだよな~、ヘリコプターの上からロケット砲を撃ち込み、機銃掃射を盲滅法繰り返す時、地上に人間がいるという意識や実際に人を殺しているということなど考えないもんだ…」と言うのだ。そして、「捕虜として縛り上げ、ヘリコプターに乗せたベトナム人らに、彼らの基地の所在を吐かせるのに、見せしめとして、彼らを順に上空から突き落としたものだ…」と言うのだった。

私は何度かベトナム帰りから戦場の話を聞く機会を持った。彼らは自分がいかに絶体絶命の窮地を切り抜け、生き延びてきたかを自慢げに語るのだが、ハリソンのように、どのようにベトナム人を殺してきたかを耳にしたのは初めてだった。キャロルは顔が蒼白になり、こんな人殺しと一緒にいるのさえ耐えられない様子で、今にもコーヒーをハリソンの顔に掛けかねないほどショックを受けていた。マグカップを持つ手が震えていた。

ハリソンは戦場のことを思い浮かべたのか、朦朧とした表情で、目の前にいる私たちがまるで見えない、網膜に幕が架かった濁ったアル中とも二日酔いともつかない目のまま、ユラユラと立ち上がり、彼のアパートの方に立ち去ったのだった。キャロルの激しい怒りをよそに、私はハリソンの傷つきやすい、むしろ素直で弱い人間性を見たような気がした。 

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ロスモリーノスからの海岸の眺め

老犬アリストが私のところに居付くようになって2、3ヵ月も経ってからだろうか、ハリソンの姿を見なくなり、『タベルナ』での噂では、戦友が来てハリソンをアメリカに連れ帰り、精神病院だかアル中治療院に入れたということだった。

私は即、大家のゴメスさんのところに行き、ハリソンが住んでいた、『カサ・デ・バンブー』になる広いテラスと大きな台所のある地所を借りたいと申し出たのだった。その時、ゴメスさんは、「あのアル中のジャンキー(スペイン語でヤンキー、アメリカ人ことをそう呼ぶ)は、私が追い出した。全くとんでもないグリンゴ(やはり米兵をそう呼んでいた)だった…」と、二つ返事でそこを貸してくれたのだった。

私にはハリソンを哀れむ気持ちはあったが、不思議と憎しみは沸かなかった。『カサ・デ・バンブー』になる場所を引き継ぎ、汚し放題に汚れ切った内部の大掃除をしなければならなかったにしろ、彼が崩れたおかげで…というのもオカシイが、『カサ・デ・バンブー』を開くことになったのだし、私によくなついた老犬アリストと数年良い時を過ごすことができたのだ。

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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