第473回:流行り歌に寄せて No.268 「さよならをするために」~昭和47年(1972年)2月10日リリース
昭和47年(1972年)1月8日から4月8日まで放送されていた、日本テレビの土曜ドラマ『3丁目4番地』の主題歌である。この番組に主演した石坂浩二が作詞を手掛けたことで、当時はかなり話題になった。
『3丁目4番地』は、その前年の昭和46年1月2日から3月27日に放映された『2丁目3番地』の続編だった。前作と、出演者はほぼ同じだが、役柄などは変わっていて、主演の浅丘ルリ子と石坂浩二が『2丁目3番地』では夫婦役だったが、『3丁目4番地』では恋人役になっている。
実際の浅丘ルリ子と石坂浩二は『2丁目3番地』で夫婦役を演じた後、結婚をし、恋人役を演じた『3丁目4番地』では、すでに夫婦だった。余談だが、『2丁目3番地』で恋人役を演じた范文雀と寺尾聰も、この番組の後、実生活で結婚をしている。
『2丁目3番地』と『3丁目4番地』の脚本は、倉本聰を中心に、前者は向田邦子、後者は石堂淑朗などが加わった、今考えると大変贅沢なスタッフによって書かれていた。
主題歌は、『2丁目3番地』の方は、『目覚めた時には晴れていた』が使われ、この曲の作・編曲は『さよならをするために』と同じく坂田晃一だが、作詞は阿久悠によるものだった。
番組に使われた『目覚めた時には晴れていた』は、赤い鳥による歌唱だが、その後、昭和49年になってビリーバンバンもレコーディングしているのは面白い。他に、朝倉理恵、伝書鳩なども競作として発表している。
なお、『さよならをするために』が作られた時に面白いエピソードが残っている。
当時のフォークソングの演奏者には、シンガー・ソングライターが前提だと考えていた人が多かった。ビリーバンバンの弟の方の菅原進にもその傾向が強く、他人によって作られた曲を歌うのを不服とし、レコーディング当日にボイコットしたというものだ。
以前『白いブランコ』をご紹介したときも触れたが、弁舌爽やかで社交的な兄の孝に対し、口下手で一途な弟の進と、対照的な兄弟デュオだった。自分が作曲した『白いブランコ』のイントロに、勝手にトランペットを入れられ、製作者に真っ向抗議したという話もある。
それだけ、音楽に対する姿勢が直向きな人なのだろう。
「さよならをするために」 石坂浩二:作詞 坂田晃一:作・編曲 ビリーバンバン:歌
過ぎた日の微笑みを みんな君にあげる
ゆうべ枯れてた花が 今は咲いているよ
過ぎた日の悲しみも みんな君にあげる
あの日知らない人が 今はそばに眠る
*温かな昼下がり 通りすぎる雨に
濡れることを 夢に見るよ 風に吹かれて
胸に残る想い出と さよならをするために*
昇る朝陽のように 今は君と歩く
白い扉をしめて やさしい夜を招き
今のあなたにきっと 判るはずはないの
風に残した過去の さめた愛の言葉
(*くり返し)
作・編曲の坂田晃一は、多くの音楽シーンで活躍を続けている人である。作品は、上記2曲の他に、西田敏行の『もしもピアノが弾けたなら』、杉田かおるの『鳥の詩』、フォー・クローバーズの『冬物語』などが有名だが、実に多くの歌手に曲を提供して来た。
NHKで放映された橋田壽賀子脚本作品では、連続テレビ小説『おしん』をはじめ、大河ドラマ3作品『おんな太閤記』『いのち』『春日局』の音楽は、すべて彼の担当によるものである。各種の音楽監督も手掛けており、また、東京芸術大学器楽科のチェロ専攻で学んでおり、チェリストとしても活動をしている。
さて、作詞の石坂浩二、本業の俳優、タレントの他に、音楽、絵画、その他多方面の趣味を持つ、まさに才人である。その蘊蓄も凄まじいものだと聞く。
作詞を提供したものも、妻であった浅丘ルリ子をはじめ、かまやつひろし、佐良直美、沢田研二などがあり、安井かずみの『9月の終り』では作曲(作詞は安井かずみ、作曲はクニ河内)も手掛けているのである。
その石坂による、今回の『さよならをするために』の詞、その情景は、ある種絵画的であると思う。そして、難解である。何度読み返しても、口ずさんでも、その意味がわからない。つくづく、自分の読み解く力のなさを感じるわけだが、どなたかにご教示願いたいものである。
-…つづく
第474回:流行り歌に寄せて No.269 「太陽がくれた季節」~昭和47年(1972年)2月25日リリース
|