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第447回:流行り歌に寄せて No.247 「知床旅情」~昭和45年(1970年)11月1日リリース

更新日2022/11/17



私は、昭和45年9月、中学3年生の2学期になって間もなく、愛知県名古屋市にある港南中学校から、同じ県内ではあるが、春日井市にある高蔵寺中学校に転校した。

転校当日、何の行き違いがあったのか、予め転校先と指定されていた東部中学校に出向き、教室でクラスメイトに紹介されようとしたときに、血相を変えて走ってきたこの中学の教頭の「K君はうちの中学と違う、隣の地域の高蔵寺中学だったわ」の声で、いきなりタクシーに乗せられ、高蔵寺中学校に運ばれたという珍事があった。

いきなり波乱含みの転校生生活であったが、今まで友だちも作れず、理不尽な暴力の脅威に心を砕き、暗い生活を送ってきた私にとって、坊主頭にならなくてはならないというリスクはあったものの(当時、愛知県内のほとんどの中学校は男子生徒に坊主頭が強要されており、長髪が認められていた転校前の港南中学校は稀なケースであった)、少しはましな日々になるだろうという期待は持てたのである。

そして、周りと少しずつ打ち解けて話すことができ、今まで完全にモノクロだった学校生活に、わずかながら色彩がつき始めた頃、世間で大きなヒットとなり、クラスでも話題になったのが、この『知床旅情』だった。私も何回か聴くうちに、大のお気に入りの曲になった。

ラジオからテープレコーダーに録ったカセットテープを、文字通り擦り切れるまで聴いていたので、見兼ねた父が、ドーナツ盤のレコードを買ってきてくれたほどである。

歌詞の内容は別にして、私はこの曲の温かみのあるイントロに、これからの自分の生活が少しでも好転していくような兆しを感じていた。

ところで、この曲の由来は…。森繁久彌が、自身のプロダクションで制作した映画『地の涯に生きるもの』の撮影で、昭和35年に知床半島の羅臼村に長期滞在をした。そして、その村を後にする際、先に作られていた自作曲『オホーツクの舟歌』の詞を変えて『さらばラウスよ』という曲名で、地元の人々の前で披露したのが始まりとされている。

その後、森繁さんが、昭和38年に『オホーツクの舟唄』をレコーディングした際、この曲をザ・エコーズというグループの歌唱でB面に入れた。そして、昭和40年にはシングルレコード『しれとこ旅情』を森繁さんがセルフカヴァーして再発売したのである。

加藤登紀子は、昭和43年、後の夫となる藤本俊夫との初デートの別れの際、彼からこの曲を初めて聴いたと語っている。

 

「知床旅情」  森繁久彌:作詞・作曲  竹村次郎:編曲  加藤登紀子:歌

 
知床の岬に はまなすの咲くころ

思い出しておくれ 俺たちの事を

飲んで騒いで 丘にのぼれば

はるかクナシリに 白夜は明ける

 

旅の情けか 飲むほどにさまよい

浜に出てみれば 月は照る波の上

今宵こそ君を 抱きしめんと

岩かげに寄れば ピリカが笑う

 

別れの日は来た ラウスの村〈A〉にも

君は出てゆく 峠をこえて

忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん

私を泣かすな 白いカモメよ

白いカモメよ

 

その初デートから2年経った後に、加藤登紀子はこの曲のレコーディングをした。森繁久彌への挨拶もしっかり行なわないで吹き込んでしまい、後になって新幹線で遭遇した森繁さんに改めて挨拶をし直したというエピソードが残っている。

しかし、いくつかオリジナルの『さらばラウスよ』と加藤登紀子の『知床旅情』には、違った歌詞の箇所がある。

酔うほどに     飲むほどに

波のえ       波の上

君を今宵こそ    今宵こそ君を

気まぐれガラスさん    気まぐれカラスさん

白いカモメを    白いカモメよ

お登紀さんは、藤本俊夫から聴いた歌詞をそのまま、大胆にも原曲との照合をしないでレコーディングしてしまったらしい。随分と、乱暴な話である。からについては、微妙なマイナーチェンジと言っても良いが、の違いは、大きいものがある。

そして、この曲は実のところ「俺」「君」「私」が何を指しているのか、また「カラス」「カモメ」も何を指しているのか、私にはよくわからない。

例えば、「俺」「私」「カモメ」が羅臼にいる村人の男性、「君」「カラス」が羅臼に旅で訪れていた女性だと想像すれば、オリジナル版の「白いカモメを」という歌詞であれば何とか辻褄が合う。

加藤版のように「白いカモメよ」に歌ってしまえば、カモメはカラスと同じ人物か、あるいは単に空飛ぶカモメに語りかけていることになる。

ところが、後に、お登紀さんは森繁さんから、カモメとは知床に残された人々のことを指しているので「よ」ではなく「を」で歌って欲しいと指摘を受けたそうである。

そして、「カラス」は知床を後にする森繁さんということになるそうだが、そうであれば抱きしめられる「君」は誰のことなのだろうか。何とも不可解である。

(余談だが、〈A〉「ラウスの村」という箇所は、森繁さんが『しれとこ旅情』をレコーディングする際は、映画のロケ地が知床半島全体にわたっていたところから、配慮をし「知床の村」と歌詞を変えて歌った)

けれども、あまり歌詞に出てくる人称などの関係性を細かく追求しないで、中学生時代の自分のように、そのままこの曲の良さを感じながら聴くことの方が、肝要なのではないかという気もする。

この『知床旅情』は、森繁さんへの遠慮もあってか、最初は『西武門哀歌』(にしんじょうあいか)のB面としてリリースされた。ところが『知床旅情』の方が大きな人気となったため、A、B面をひっくり返して再び売り出している。レコード業界では、よくある話である。

この『西武門哀歌』は、沖縄の久米町にある西武門(にしんじょう)の古い民謡『西武門節』を元に、川田松夫という人が作った曲である。

中学時代の私には、何かうら哀しい歌という印象しかなかったが、大人になって聴いてみると、何とも心に沁みてくる。これは、まさに情歌と呼べる曲だと思う。

久し振りに、レコードのA、B面で、この2曲を聴きたくなった。実家に帰れば、押入れのどこかにあのドーナツ盤が眠っているだろう。しかし、それをするには、まず適当なターンテーブルを購入しなくてはならない。

 


第448回:流行り歌に寄せて No.248 「傷だらけの人生」~昭和45年(1970年)12月25日 リリース


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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