第872回:ツーリスト・ゴー・ホーム運動に違和感
過去にアメリカ人が“ヤンキー・ゴー・ホーム!”と言われ続けた時代がありました。アメリカ人の振る舞い、アメリカの政策が嫌われるそれなりの理由があったのでしょう。ヤンキー・ゴー・ホーム!は昔強かったドルの札びらを切り、どこでもアメリカ語で押し通そうとする観光客に向けて言われたこともあるでしょうけど、主にアメリカの外交政策、それが軍事に結びついていたことが大きな理由だったように思います。
それが今、大きな観光都市で観光客はもういらない、来るなという“ツーリスト・ゴー・ホーム!”が市民運動にまでなっているようなのです。あまりに観光客が多すぎて市民が平穏な日常生活ができなくなっている、食料品をはじめ物価の値上がりが激しく、ホテルなどすべての宿泊施設がパンク状態で、仕事で出張するのにも支障をきたし、道路交通状態も最悪で、通勤、通学もスムーズに行かないというのです。
世界中、どこの国でも、どこの街でも、一人でも多くの観光客に来てもらおうと躍起になっていると信じていました。多くの国は、政府観光省の窓口をお金持ちの国の主要大都会に設けたり、中には一都市だけで観光局を展いているところも数多くあります。
観光産業はいわばイージー・マネーの虚業と見做されていました。それが巨大とも呼べる企業に膨れ上がって来たようなのです。地元の人にとって、観光客は外からパンを運んできてくれる貴重な存在、生活を支えるなくてはならない存在になっている町がたくさんあります。どこでもお金を落としてくれる訪問者は大歓迎だと思っていました。
ところが、物事には上限があるのでしょう、観光客はもういらない、来なくてもよい、ヤンキーならぬ“ツーリスト・ゴー・ホーム!”と叫ぶ町が続々と現れたのには本当に驚いてしまいました。
確かに、アメリカの国立公園で入場者を制限、限定するところが出てきました。ロッキー山脈のロッキー国立公園、グレイシャー(氷河)国立公園、イエローストーン国立公園など、前もって予約しなければなりません。広大な国立公園は各自の車で入園します。それが多すぎてロスアンジェルスのラシュアワーの以上の交通渋滞になってしまい、苦肉の策として入場制限を始めたことのようです。国の施設、機関ですから、入場料を大幅に値上げするようなことはしていませんが…。
混み過ぎている富士山でも入山料を取る、しかも4,000円という高額を徴収することにしたと聞いています。そのお金は山の清掃、山岳救援隊などの費用に回されるそうですが、入山料を払っても登りたい人が大勢いるのに驚かされます。
ところが、水の都ベニスでは、町に入る観光客一人ひとりから入園、入山ならぬ、入街料を徴収し始めたのです。町全体がまるで博物館、美術館のようなところですから、入園料ならぬ入街料を徴収しても良い、それが過剰になり、すでに対処できなくなっている観光客を制限することにもなる。おまけに一日当たり、巨額のお金が市に入ってくるのです。
そして、ベニスに倣えとばかり、町に入る観光客を制限しようという運動が盛んになってきました。それがベニスのようなこじんまりとした中世をそのまま残しているような町、クロアチアのドゥブロブニクやスプリト、ドイツのローテンブルグ、ポーランドのクラコウ、イタリアのフィレンツェなどなら観光客に占領されてしまったその町の住人の困惑は多少理解できるような気もしますが、大都会のバルセロナ、アムステルダム、プラハ、アテネにツーリスト・ゴー・ホーム運動が起こっていると聞くと、首を傾げたくなります。
バルセロナは人口160万人の大都会ですが、そこへ毎年3,200万人の観光客が詰めかけています。アテネの人口は65万人ですが、観光で訪れる人は800万人に及んでいます。近年、世界的に富裕層が増えたのでしょう、時間とお金のある人たちが旅行に出かけるようになりました。恒常的に満席の飛行機、クルーズシップ、ホテルは、コロナ前の倍額なのが当たり前になってしまったようなのです。アムステルダムでは、2,300万人もの訪問客一人ひとりから一泊12.5%のホテル税を徴収し始めています。
ツーリスト・ゴー・ホーム運動の盛り上がりを聞いて不思議に思うのは、もしツーリストが、その町にソッポを向いて誰も行かなくなったら、一体その町の経済はどうなるのだろうかということです。バルセロナのような大都会では、観光とは無関係の住民がたくさんいるのは分かりますが、観光客が落としてくれるお金が生命線になっているような町、ほとんど観光だけで成り立っている町が数多くあります。観光客サマ様の町、避暑地が無数にあり、どこも、どうぞ、どうか我が町に来てくださいとキャンペーンを張っているのです。
私もスペインの観光地イビサ島で、ウチのダンナさんに付き従う形で何年か過ごしたことがあります。イビサはその当時からちょっとユニークな避暑地として知られていました。島の人は何らかの形で100%近く観光客、避暑客に依存しているとみなされています。島の経済は観光客関連に大幅に依存しているのです。それが住民とって良いか悪いかは別の問題で、現実として、島、そして島の住人は観光客なくしては成り立ちません。
毎シーズンのことでしたが、ダンナさんは、シーズン終わりに今年の観光客の量と質を周囲の同業者とグチりあうのが恒例になっていました。人数は増えたけど、金を使わない貧乏客ばかりだったとか、ホテルが3食付きになったので外食しなくなったとか、分析?解釈?し合っていしまた。
打ち明けて言えば、ウチのダンナさん、そこで小さな中華料理屋をやっていたので、旧市街にあるレストランやバー、スナックの同業者とは随分懇意にしていました。彼らは旅行者の数は半分でいいから、もっとお金を落としてくれる人たちに来て貰いたいという、全く手前勝手な願望を抱いているのでした。でも、そんな都合のいいお客さんばかり来るワケがありません。
ツーリス・ゴー・ホーム運動には、地元住人のそんなエゴが見え隠れしているように思えてなりません。大量のツーリストを運んでくる航空機会社、旅行代理店、そして地元のホテル、レストラン、土産物屋さん、ディスコティック、バーなどは、ツーリストのおかげで盛大に潤っているのは間違いありません。それらに関連した雇用も膨大なものでしょう。ツーリス・ゴー・ホーム運動は、早く言えば贅沢な要求なのです。
たとえお仕着せのパッケージ・ツアー、大量輸送の極であるクルーズシップでも、未知の国、都市、場所に行き、自分が慣れ親しんだ習慣、文化とは全く異質のモノに触れることは人間を豊かにすると信じています。
ツーリスト・ゴー・ホームのデモ行進を現地で観るのも、とても良い観光になるのではないかしら。「ツーリスト・ゴー・ホームのデモ行進を観るツアー」と銘打っては、とても集客できなでしょうけど…。
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