梅雨入りしてしばらくは涼しかった。しかし今日は晴天で蒸し暑い。仕事も一段落したことだし、アイスキャンデーでも食べに行こうと街へ出かけた。駅のそばまで近づいて、こんな日は冷房の効いた電車に乗ったら気持ちいいだろうなと思った。そういえば3ヵ月前から東急大井町線で急行運転が始まった。私にとって大井町線は故郷だ。小学生の時に踏破したし、中学時代から高校時代にかけては生活路線でもあった。急行用に新車も走り始めたと聞く。見物に行ってみよう。
京浜東北線の大井町駅を降りて東口改札を出ると正面に東急大井町線の改札があり、その向こうに見慣れぬ赤い電車が佇んでいる。待たずに新型に出会えるとは幸先がよい。私が暮らしていた頃は平べったい弁当箱のような電車ばかりだったが、新型の6000系は立体的な顔つきをしている。連結器回りの排障器が大きい。踏切の多い路線だからだろうか。横顔はスピード感のあるくさび形。塗装も派手だ。
大井町線の新車6000系。迫力ある顔。
発車のアナウンスに促されて車内に入ると扉が閉まり、グイグイと動き出した。かなり強い加速力だ。各駅停車だけでのんびりと走っていたイメージを払拭する。女性車掌による停車駅案内を聴きながら先頭車に向かった。6両編成の車内はまだ新車の匂いがする。クーラーも効いていて心地よい。私が先頭車にたどり着く前、車内放送も終わらぬうちに下神明駅を通過した。これはかなり速いぞ、と感心する。下神明駅は眼下に横須賀線が走り、頭上に新幹線が走る。鉄道好きには楽しみな景色だ。しかしそれを見る余裕すらなかった。
戸越公園を通過。都営地下鉄浅草線と接続する中延も通過、次の荏原町を通過する前に「次は旗の台です」とアナウンスが始まった。電車が速いので車内放送も早めに始まる。前方に待避設備付きホーム2面、線路4本の大きな駅が現れた。左側の側線には私が乗っている急行を待避する各駅停車がいた。時計を見て驚く。大井町駅を発車してから3分しか経っていない。私がこの辺りに住んでいた頃は10分くらいかかったような気がする。速いな、と思わずつぶやきそうになる。大きなドーム状の屋根の下に我が急行は滑り込んだ。
改良された旗の台駅。
この旗の台が23年前まで実家の最寄り駅だった。当時の駅は対向式ホームの2面2線。壁も屋根も木造で、雨の日は黴くさい香りが漂った。短いホームだったが、列車の編成が長くなるたびに大井町方面に継ぎ足して、そこだけが新しい建材で眩しかった。それが今や鉄筋コンクリートの立派な構えになっている。付近に住宅もあって、いったいどこにこれだけ拡張する余地があったのかと思う。立ち退いた家もあったに違いない。そして、実家にいちばん近かった小さな北口と、そこにつながるホーム北側の踏切は跡形もない。それが降りて散策する気分を押しとどめた。ここはもう私の知らない街だ。
各駅停車から大勢の客が移った。旗の台を出てすぐ左の車窓に、かつて実家だった小さなマンションがあるはずだ。しかし私はそれを忘れていた。旗の台駅のあまりの変容は、自分に縁のあるものを忘れさせるには充分だった。久しぶりに乗ったこともあり、前方の車窓すら初めて見る景色のようだ。北千束を通過。たしか、タレントの黒柳徹子さんがこどもの時代を過ごした辺りである。当時ベストセラーだったエッセイ『窓際のトットちゃん』にもこの駅は登場する。
次は大岡山駅。電車は地下に潜り、東急目黒線の上下線に挟まれる。私が高校通学で通っていた頃は太陽が降り注ぐ地上駅で、東工大に植えられた木々が季節を感じさせてくれたものだった。この駅の変容もすごいが、こうなったのはもう10年前である。目黒と蒲田を結んだ東急目蒲線が多摩川駅で分断され、目黒線が地下鉄と相互乗り入れし、東横線に合流するようになってから8年経つ。その様子も見たくなった。乗り換えようと思ったけれど、大井町線の急行を終点まで乗り通してから戻ってこようと思う。隣のホームから埼玉高速鉄道の電車が出発した。相互乗り入れが進み、いろいろな電車がやってくる。
大岡山駅。
左の電車は目黒線に直通してきた埼玉高速鉄道の電車。
大岡山を出た電車は勾配をグングン登って緑が丘を通過。この駅の佇まいはさほど変わっていない。高校通学時代、駅のホームから見える民家に「おことの教室」という看板があって、初めて見たときは「おとこの教室」だと勘違いした。今でもあるかと見やったが、すでに通り過ぎてしまった。スピードが景色を変えてしまったようだ。
次は自由が丘である。東横線と接続する駅だ。隣に田園調布駅があるせいか、昔から流行誌に度々登場し、オシャレな駅として賑わっている。しかし私にとっては「オモチャのマミー」にプラモデルを買いに行くための駅だった。お小遣いを節約するために滅多に電車に乗らず、自転車で通った街である。街は変わっただろうか。こんなに賑やかな街だと、ビルが増えたり店子が変わったくらいでは違いを感じにくい。変わったと言えば、二子玉川方面の左側にあった留置線が廃止され、ポイントが撤去されている。留置線には錆びたレールが残っているが、保線車両用の設備の他はそのうちに撤去されるようだ。かつての留置線の横に小さなショッピングモールができている。
自由が丘駅。引き込み線は撤去。保線車の留置線が残る。
自由が丘駅はたくさんのお客がいたけれど、急行には乗らない。ここで降りるお客さんも多く車内は空いた。急行はこの先、終点の二子玉川まで停まらない。待っていた人々は途中で通過する4つの駅に用があるらしい。その4駅周辺は閑静な住宅街という印象がある。大井町線にとっては上得意客のはずだ。しかし急行はあっけなく通過してしまう。それは、今回の急行運転が必ずしも大井町線のために実施された計画ではなく、東急線全体の改良計画の要だったからだ。
東急田園都市線沿線のベッドタウン化が進み、渋谷へ向かう乗客が集中して過密になった。そこで大井町線を高速化し、都心へ向かう客の何割かを大井町経由、東横線渋谷駅経由、目黒線目黒経由に誘導する必要があった。大井町線の急行運転は沿線の人々よりも、通過するお客さんのため、という目的が大きい。この計画では等々力駅を地下化して急行待避設備を作ろうとしている。しかし、沿線の人々は反対している。大井町線には急行は不要だし、等々力渓谷の自然を破壊すると主張する。彼らにとっては当然の主張だ。でも、待避設備が多いほど列車の本数は増やせるから、結果的に便利になるとも思う。等々力渓谷の自然問題を持ち出したことで話がややこしくなった。
自由が丘を出ると地平をほぼ真っ直ぐに進んでいく。複線の周囲は戸建ての家が多く空が広い。次は難読駅名として知られる久品仏駅。その次の尾山台を過ぎれば問題の等々力駅だ。等々力駅を通過してすぐ左側にちらりと等々力渓谷が見える。大井町線で唯一の緑豊かな眺めである。便利になるのはいいが、地下化によってこの景色がなくなるのは寂しい。鉄道乗りにとってもなかなか悩ましい問題ではある。次の上野毛駅は上り線だけ通過線がある。これは等々力駅の計画が停滞しているために作られた線路だ。帰りはこっちを通ってみよう。
二子玉川駅へ向かう"線路スパイラル"。
自由が丘を出て6分で終点の二子玉川だ。これも速い。さすがに4駅を通過しただけのことはある。今まで平地だった線路は高架になり、幾何学模様のように線路が行き交う。眼下には田園都市線が見えている。その下り線をまたぎ、二子玉川駅の2面4線の中央に入った。ホームに降り立つと涼しい風が吹き抜けた。ここはホームの下り先端が多摩川と接している。真夏のような暑さだが、風は春の爽やかさを残している。岸辺で水遊びする親子がいる。私が乗ってきた電車は多摩川の上の留置線に止まり、折返しを待っている。その隣を田園都市線の電車が走り抜けた。ふと、複々線の工事現場を見物したくなった。次の田園都市線の電車で、さらに西へ行こうと思う。
ホームから見た多摩川。
田園都市線と大井町線の留置線。
-…つづく
第245回~の行程図
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