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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第76回:映画好きなイビセンコ

更新日2019/07/11

 

十余年イビサに住んでいた間、私はテレビを持たなかった。ステレオセットに付随しているラジオ、FM放送も聴いた記憶がない。ニュースはもっぱら新聞と雑誌から得ていた。と言っても、私のスペイン語は行間を読むどころか、本文さえどこまで理解していたか大いに疑問だ。だが、ともかく毎日、“Diario de IBIZA”(デアリオ・デ・イビサ;イビサ日日新聞)に“El País”(エル・パイス;スペイン国内では最も発行部数の多い全国紙)か、“La Vanguardia”(ラ・バングアルディア;バルセロナの新聞)などを買い、週刊誌は“Cambio 16”(カンビオ16;左翼系の政経誌)を買い求めていた。それに、お客さんが英語の新聞を店に置いていってくれるのが唯一のニュースソースだった。

冬場、イビサに早めに休暇から帰ってきた時や、どこにも出かけずに島に居残った時など、秋から冬の夜長にはよく映画を観に行った。私のスペイン語の能力ではとてもスペイン語の本を楽しむことなどできなかったからだ。映像付きの物語の方が微妙なニュアンスなど分からないにしても、スジくらいは分かるし、楽しめた。 

当時のスペインで上映される映画は、恐ろしく古いターザンか西部劇、古き良き時代の毒にも薬にもならないハリウッド映画が多く、それも日本のテレビ洋画のように吹き替えられたもの一本槍だった。だから、ジョン・ウエインもターザンも皆スペイン語をしゃべるのだ。それはまだよいとしても、吹き替え会社の都合なのか、皆メキシコ・スペイン語を話すのにはアキがくる。しかも、スペイン語の声優が限られているのだろう、またあいつだ、ゲーリー・クーパーもカーク・ダグラスも同じ声、同じ話し方をするのだった。

ハリウッド映画でも、『誰がために鐘はなる』のように少しでもスペイン市民戦争が絡んだ映画はもちろんご法度だった。アメリカ映画に対抗するように、凡そ日本では観ることのできないイタリア映画がごっそり入ってきていた。イタリア映画と言えばルキノ・ヴィスコンティ、ピエトロ・ジェルミ、フェデリコ・フェリーニなどを連想するが、スペインに入ってくるのは粗製乱造のセックス・コメディーか安手のローマ史劇ばかりだった。

セックス・コメディーは“18歳未満お断り”のように“S”レーティングとして、未成年の入場をコントロールしようとしていたが、“S”レーティングの映画は精気、性気あふれる十代のボーヤと爺さん連で満員の状態だった。考えてみるまでもないのだが、イタリアに何百とある弱小プロダクションが何千という映画を作り、そんな中から巨匠が出てくるのだろう。

cineserra
当時、一番大きな映画館だったCine Serra(シネセラ)

イビサには映画館が4軒あった。ヴァラ・デ・レイ通りにある“シネセラ”、ヴィア・プニカ通りにある“シネ・カルタゴ”、そして冬場だけ不定期に開いている“テアトロ・ペレイラ”、これは2階席がオペラハウスのように4、5席ずつ仕切られた小型のオペラハウス劇場だった。それに夏場だけ、子供のための野外映画館で、2メートルほどの塀を回し、木のベンチを並べただけのもので、通りから半分くらいのスクリーンが観え、安くて性能の悪いスピーカーが辺りに騒音を撒き散らしていた。子供向けの映画は別にして、上映は夜の9時か10時頃からの1回興行だった。

子供の頃、と言うことは戦後まもなくということになるが、夏、野外映画というのがあった。お寺の境内か原っぱに風で揺れ動くスクリーンと言うか、ただの白いシーツをつなぎ合わせただけのものを張り、白黒映画を投射し、われわれガキどもは早くからゴザを敷き、良い席を陣取り、今か今かと暗くなり映画が始まるのを待ったものだ。そして、スクリーンに数字が映し出されると、「ゴー、ヨン、サン、ニー、イチ」と大声で読み上げ、鞍馬天狗が馬を飛ばして火急の場を救いに来る場面では、大いに拍手喝采したものだった。

イビサの映画館ではその10倍くらい騒々しい。静かにひっそりと映画を楽しむのではなく、観客も画面に加わり、一体となって、嘆き、喜び、悲しみ、かつ危機感を体現するのだ。ターザンの背後から大蛇が迫ってくると、大声で「後ろに蛇がいるぞ! ふり向け、危ない…」と叫び、イタリア製のセックス・コメディー、“S”レーティングの18歳未満お断りの映画、もちろん観客の80%はティーンエイジャーの18歳以下の子供だが、ラブシーン、キスシーンになると、「ウォー、もっとヤレ、ヤレ」と嬌声が飛ぶのだった。だが、それとて長いキスを繰り返すだけで、裸のシーンなどは一切ないのだが…。

pipa 
ヒマワリの種、スペインではpipa(ピパ)と呼ばれるド定番スナック
口の中で前歯で殻を割り殻を吹き出す芸当は慣れていないと無理

ヒマワリの種を前歯で上手に割り、殻はペッと飛ばし、麦粒ほどの実を食べるのが当時の唯一のスナックだった。なんせ、口に入る実は小さから、大量に食べない限り腹が膨れるようなものではない。したがって、映画館の床はヒマワリの種の殻だらけになり、まるで穀物倉庫に足を踏み入れたように、殻を踏み潰す音と感覚が足から這い登ってくるのだ。座席にも飛ばし損ねたヒマワリの種の殻が撒き散らされていて、腰を下ろす前にそれらを払い落とすのが習慣になっていた。

イビセンコの友人と、時折ギュンターも誘って、週に2、3度は映画館に通いつめていたと思う。ペペと一緒に映画に行くと楽しみが倍になるとよく言っていたものだ。彼が人一倍、心底から楽しげに大声で笑うからだ。彼の笑い声は周囲に笑いの輪を広げ、スペイン的ジョーク
が分からないまま、こっちも吊られ笑ってしまう種のものだ。

終戦後の野外映画の延長にあるイビサで観た映画、いったい何を観たのかまるで記憶にないのだが、ペペの笑い声、それに共鳴するようなギュンターの低い笑い声は耳の奥に残っているのだ。

-…つづく

 

 

第77回:ヒッピー・キャロルのこと

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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