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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第33回:バッハの晩年は悠々自適だったか?

更新日2022/07/07

 

バッハはライプツィヒに来てから、一体幸せな時間を持ったと感じた時があっただろうかと思わせるほど、常時憤り、争っていた。家庭においても、ワンマン亭主関白の癇癪持ちで、それを容赦なく爆発させたことは間違いない。妻のアンナ・マグダレーナは、乳飲み子や腕白盛りの子供たちを、「お父さんが作曲に取り組んでいますよ、静かにして頂戴…」とばかり赤ん坊が泣き出したり、兄弟喧嘩をせぬよう抑えるのに心を砕いてたと伝えられているから、バッハは何度も爆弾を落としていたに違いない。

大学やライプツィヒ市の参事会、トーマス学校、教会の上層部との争いは、ザクセン宮廷作曲家という肩書き、お墨付きを与えられたから、すべてに超然とした態度で臨めたはずだ。宮廷作曲家の称号を得たのが1738年だから、それ以降、思う存分コラール、カンタータ、ミサ曲の作曲に専念できたはずだ。

ところが、作品の創作年月日をみると、バッハが死ぬまでの10年間の間、教会音楽の作曲が極端に少なく、毎週の礼拝は以前に書き、演奏したものにチョット手を加えたり、楽器の編成を変えたりして間に合わせていたようなのだ。教会関係者、市も癇癪持ちのバッハ、何をしでかすか分からないバッハを敬遠し、正面切って対立することを避けていたようにみえる。煙たがられる存在になっていたのだろうか。

バッハは50歳の坂を下りはじめ、創作はもっぱら器楽に偏り、『クラヴィア練習曲集』第三部を出版した。クラヴィア練習曲と銘打ってはいるが、大半がオルガンのために書かれている。第四部は1742年に出版された、前述した『ゴールドベルグ変奏曲』になる。そして、1744年に『平均律クラヴィア』の第二集が出版されている。この期間に、バッハはもっぱら器楽、主に鍵盤楽器の作曲をし、まるで教会音楽に背を向けているようにさえ思える。

我々にとってとてつもない恩恵なのは、この時期、具体的には1745年、死の5年前にバッハはマタイ受難曲に手を入れ、加筆補正している。そして、その清書された美しい楽譜が遺ることになった。現存するコラールの多くは、この時期に手を加えられたものらしい。

No.33-01
次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ

1747年に、バッハは“楽識協会”のメンバーになっているし、同年、プロイセンのフリードリッヒ大王の元でお抱え楽師を務めていた次男坊、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのツテを頼ってベルリンまで出かけ、演奏し、大王のフルートの伴奏を務めている。ライプツィヒに帰ってから、大王が示したテーマの変奏曲を書いた。これが『音楽の捧げもの』(Musikalisches Opfer)として後世に遺ることになる。ところが、フリードリッヒ大王がこのバッハの作品を演奏させた、堪能したという記録はないし、その楽譜を受け取ったという感謝状さえ残っていない。フリードリッヒ大王は宮廷音楽に関わってなどいられない程、外交政策、戦争に忙しくなっていたからだろう。

フリードリッヒ大王がいくら音楽好きだとはいえ、宮廷音楽などは所詮、暇な時のスサビごとだったのだ。ともかく、我々は『音楽の捧げもの』という遺産を持つことになるのだが…。

そして最後の作品『フーガの技法』(Die Kunst der Fuge)に到る。一体全体、一つの曲に、音楽に、これほど膨大な解説、宗教的、哲学的、あるいは作曲技術について書かれたことがあっただろうか。人はこの未完成の曲を、万年雪を頂く高峰にたとえ、そこに神の啓示を観、BACHというスペルの遊びを見、鏡を立てて映し出された楽譜の反転を観る。もうすでに、バッハには幾ばくの日も残されていなかったのだが…。

まったく私個人の思い入れだと承知の上で言うのだが、バッハの最晩年の10年ほど、無宗教の我々の心さえ打つミサ曲、コラール、カンタータを作曲していないのは、単にバッハの創作能力が衰えたせいだったのではないかと思う。器楽と合唱、独唱を組み合わせた壮大な曲を書くことができなくなったからだ思う。

その代わりに、『平均律クラヴィア全集』『ゴールドベルグ変奏曲』『音楽の捧げもの』、そして『フーガ技法』など、一人静かに聴く、私の場合は狭い四畳半の下宿で、アルバイトと大学から解放された週末の夜にレコードに針を落とす至福の時を与えてくれたのだが…。それは一つの清らかで透明な次元に私を導いてくれた。

それにしても、バッハが教会音楽から離れたのは、内的な創作エネルギーの変化と同時に外的要素も多分にあったように思える。

バッハの音楽は次第に時代遅れとなり、重々しく重厚過ぎて、信者の耳に快く響かない、彼のかもしだす曲、演奏は、複雑で暗く、時代の流れに沿わないと思われ始めたのだろう。耳からすんなり入ってくるモノフォニー(monophony;単旋律音楽;主旋律が明確で、それに様々な和声が絡むといっていいだろうか)の潮流に、ポリフォニー(polyphony;複旋律音楽)は流されてしまったと言っても良いだろうか。

おまけにロマン主義の波が襲った。十分に音楽を楽しみ、理解するには相当な素養が要求されるポリフォニーに比べ、モノフォニー音楽は、イタリアオペラのアリアのように涙が零れるほどの恍惚感、エクスタシーを容易に即体験できるのだ。それを安価なお涙頂戴的な感動だと言うのは易しい。しかし、人々はイタリア的モノフォニーにより群がった。

バッハも時代の子であることを免れなかった。若者の感覚に付いていけなかった、付いていく気が初めからなかったのだろうか。

新進音楽評論家のヨハン・アドルフ・シャイベ(Johann Adolph Scheibe)が主幹となって、『批判的音楽家』(口やかましい音楽家)という雑誌で、真正面からバッハ(初めはバッハと名前を挙げていないが、誰でも彼と判る書き方をしている)批判を展開し、大きな賛意を集めた。

バッハは当然シャイベの論評を読んだと思われるが、直接反論はしていない。そこへ若いバッハ弁護人が現れた。ヨハン・アブラハム・ビルンバウムという名の青年で、彼は19歳で学位を取り、自身クラヴィアを弾き、バッハに心酔している天才肌の青年だった。専門はドイツ語修辞学だったが、素人離れした音楽愛好家でもあった。

この二人、シャイベの悪意ある批判とビルンバウムのバッハ擁護の論争は、互いの個人的中傷にまで及んだ泥掛け試合の様相を呈してきた。ビルンバウムのバッハ弁護の弁は、バッハが頼んだとも、バッハはそんな争いの中に身を置かず超然としていたとも言われている。

私は、バッハが沈黙を守ったのだと思う。そして、バッハ自身がストーリーと詩を書き、曲をつけた『フォイボスとパンの争い』(フォイポス=アポロの異名、パンは羊飼い;別名「急げ、渦巻く風ども」)というカンタータを書き、音楽協会で上演した。この作品は暗にどころか露骨にシャイベの非難に真っ向から立ち向かったもので、シャイベの意見を戯画化し、もちろん最後は、バッハの音楽が勝利を収めるというオペレッタ風のカンタータだ。

ライプツィヒで、このカンタータはヤンヤの喝采を浴びたと伝えられている。私もこの作品を観た(聴いた)のだが、これほど自分がヨソ者だと思い知らされたことはない。ドイツ人の観衆は堰を切ったように大笑いし、翻って氷に浸かったような静けさでアリアに聴き入っているのだが、私は取り残された孤児のように、ポツネンとその場にいるだけだった。ドイツ語が分らないというのは、このカンタータにおいては、致命的なハンディだと思い知らされたのだ。

そして逆に、バッハがこんなものを書いて自分の立場を釈明したこと、しなければならなかったことを残念にさえ思った。相手を軽妙に誹謗し、パロディーにするのは、バッハの本質ではないと思ったのだ。


-…つづく

 

 

第34回:バッハの晩年とその死

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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