サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 8 歌 騎士たちとアンジェリーナのその後
第 4 話: 不思議な島の話
前回は、絶世の美女アンジェリーカが、老呪術師が淫らな欲望を果たすために用いた呪術で辺鄙な岩場で眠らされてしまったところまではお話しいたしました。
しかしこれからの話の展開のために、どうしても話しておかなくてはならないのが、アンジェリーカが横たわる場所から近いところにある世にも不思議な島のこと。
島に住む人間は今はほんのわずか。しかしその島には昔、たくさんの人が住んでいて、一人の傲慢な王が島を治めておりました。その王には一人の実に美しい娘がおりましたが、ある日、島の近くを通りかかったプロテウスが、たまたま浜辺にいた姫の姿に心を奪われ、燃え上がる恋の炎が命じるままに強引に砂浜で姫を抱きしめて情を交わしたのだった。いったい人間の娘がどうして神に逆らえましょう。
たちまち姫は懐妊し、それを知った王は怒り狂い、その怒りをあろうことか、プロテウスのような海の怪物に体を許した娘に向け、事情も何も聞かずに、うら若き娘の首を刎ね、胎児の命もろとも、まるで汚らわしいものを海に捨て去るかのように葬ってしまったのだった。
それを知ったプロテウスは、原因が自分にあることなどすっかり忘れ、あまりにも乱暴で無慈悲な王の仕打ちに忿怒の塊となって、海の怪物たちに命じて王と王に従う島の人間たちを襲わせたのだった。
プロテウスの配下の怪物たちは人間だけではなく牛や羊などの家畜も襲い、城壁に囲まれた街を包囲し、一斉に奇怪な声をあげて朝に夜にと脅し続けたものだから、人々はたまらずこっそりと街を抜け出し、わずかな人々を残してみんな何処かに行ってしまったのだった。
このプロテウスの人間に対する仕打ちは、父親の海の神ネプチューンが彼に与えた権限をはるかに越えたものだったが、しかし、仮にネプチューンが制止したとしても、それでも仕返しをやめなかったと思われるほどにプロテウスは怒りで理性を失ってしまったのだった。
連日連夜の脅しに人々は怯え、彼らの神に、どうかこの災いを止める方法を教えてくださいと祈ったところ、神が言うにはその方法はただ一つ、それはプロテウスが恋した姫と同じくらい綺麗な乙女を、プロテウスによくわかるよう海に向かって切り立つ崖の中腹に、全裸にして縛り付け、プロテウスがその乙女を、姫を忘れるほどに気にいるかどうかお伺いをたてるしかないとのこと。
もし気に入って乙女を奪い去ればそれでよし、脅しも仕打ちも直ちに止むであろうし、もし気に入らなければ乙女はそのまま崖に吊るされ、シャチやサメや海の怪獣たちに食べられてしまうことになるが、そうなればまた新たな乙女をお供えしてご機嫌伺を続けるしかないとのお告げ。
とはいうものの島人は少なく、姫ほどにも美しい乙女はさらにさらに少なく、仕方なく人々は、手分けをして海に出て、どこか別の人里から美しい乙女をさらってきて、怪物たちに捧げ続けているのだとのこと。
ここまで言えば、お察しの早いみなさんはもうお分かりでしょう。そう、私の心配は、浜辺で眠る絶世の美女アンジェリーカを、その人さらいたちがもし見つけてしまったらということ。こんなアンジェリーカの窮地を、彼女に心を奪われた騎士たちが知れば何をおいても駆けつけるに違いないのですけれども、しかし悲しいことに、こんなところで麗しのアンジェリーカが無防備で深い眠りについていることなど、誰一人として知るはずもありません。
嗚呼アンジェリーカの運命やいかに……
それはそれとして、サラセンの若き王アグラマンテに攻め込まれたシャルル大帝は、その後どうなったのか、そしてどこへ行ったのかもわからぬ比類なき勇者オルランドは一体全体何をしているのか、とおっしゃるのであれば、しばしアンジェリーカのことはさておいて、まずはそのことについてお話しいたしましょう。
実は大帝は敗退に敗退を重ねて、とうとうサラセン軍にパリに追い詰められ、都に火まで放たれて、今まさにパリの都は燃え落ちてこの世から消滅する寸前のところで、シャルル大帝の必死の祈りが神に届いたのか急に大雨が降り、パリはすんでのところで救われたのでした。
そして我らがオルランドといえば情けないことに、遠くアジアの彼方からせっかく連れてきた麗しのアンジェリーカが、ちょっと目を離した途端に行方不明。自分のあまりの不甲斐なさに、日々ただ悶々と悩みに悩んでいたのでありましたが、そんなある日、夢の中でアンジェリーカが助けを求める姿を見て我に帰り、それと同時に、攻め込まれっぱなしの自軍の状態にも気がついて、単騎、敵軍の中に攻め入るべく、というより実は、サラセン軍に連れ去られたアンジェリーカを探すために、城と外部とをつなぐ跳ね橋を降ろさせ、サラセン軍が包囲する外に単身躍り出たのだった。
さてこの続きは第9歌にて。
-…つづく