東横線日吉駅は様変わりしていた。地下駅になったように見えるけれど、私の見立てでは線路の上に大きな駅舎を建てたと思う。新しく作られた地上に出るとショッピングセンターの入り口があり、地上だと思った場所は吹き抜けで、まだ建物の中である。出入り口は大きな吹き抜けだ。ふと凱旋門の真下に立った景色を思い出す。ここは自由通路になっており、片方の出口は道路を隔てて慶応大学のキャンパスに通じている。巨大な絵のような銀杏並木の美しさにしばらく立ち止まる。
日吉駅。慶応大学方向を見る。
駅の反対側は昔ながらの日吉の町だった。日吉といえば慶応大学が有名だ。しかしここは歴史ゲームファンなら誰もが知っているコーエーの本社がある。創業社長夫妻は慶応大学出身で、KOEIという会社名はKEIOを並べ替えたものという話を聞いた。私がゲーム雑誌の営業担当だった頃に何度も訪れたところだ。コーエーの本社は慶応大学に並んでいるが、広告を担当する部署は駅の反対側、商店街の奥にあった。懐かしいが、現在はどうかわからないし、当時の担当者ももういない。
3ヵ月ほど前に、ここ日吉と横浜線の中山駅を結ぶ地下鉄が開業した。横浜市営地下鉄グリーンラインという。総延長は13キロ。港北ニュータウンを貫き、途中のセンター北駅とセンター南駅で先に開通した市営地下鉄ブルーラインと接続する。アイスキャンデーを食べようと出かけて、冷房の効いた電車に乗り、なんとなく日吉に足を向けた理由は、この地下鉄に乗ろうと思ったからだ。ちょっとした放浪である。まだアイスキャンデーを食べていないが、気持ちは電車に向いている。
地下鉄の入り口は小さい。
地下鉄の入り口は控えめで、自由通路のわき道の奥にあった。長きにわたって東急が君臨した土地だから遠慮しているのだろうか。階段を降り、蟻の巣のような通路を進むと、しかしそこには大きな地下コンコースがあった。なるほど、東急のホームから地上に出ようとせず、下に降りたらここに出たわけだ。乗り換える客にとっては地上など関係ない。横浜市営地下鉄が地上で存在感を示さない理由は、乗り換え客の需要を主に見ているからだろう。日吉に住む人にとって地下鉄と言う選択肢はなさそうである。東横線で渋谷にも横浜にも出られるからだ。
地下鉄グリーンラインが計画された理由は、横浜市北部の住民にとって、横浜市中心部へのアクセスが不便だからである。しかし、私の実家もそうであったけれど、不便だと感じることはなかった。横浜市北部の東急東横線と田園都市線のエリアに住む人々は、渋谷を拠点とした東京経済圏の人々である。横浜市に住みながら横浜市街とは無関係な暮らし。そんな人々を"横浜都民"と呼んだり、当時の横浜市緑区を"東京都緑区"と揶揄したり。住民たちもそれをよしとしていた。
乗り換えコンコースは広かった。
それを危惧したのは横浜市の行政側である。市として一体感がなく、いわば横浜市の南北問題であった。それがブルーラインの田園都市線あざみ野駅延伸とグリーンライン計画に繋がった。ブルーラインを縦糸、グリーンラインを横糸にして、横浜を中心とした交通体系を作る。横浜市としては郊外の核となるセンター北駅とセンター南駅でグリーンラインからブルーラインに乗り換えて、横浜駅に来てほしい。ところが横糸のグリーンラインができて見ると、全線通しで見れば横浜線北部から東横線への短絡ルートに見える。グリーンラインは東急田園都市線の混雑を緩和するための副ルートとまで報じられてしまう。それだけ田園都市線の混雑問題は深刻だ。交通政策とは難しいものである。
地下鉄のホームは新しい建物の匂いがする。新築の家に招かれたような楽しい気持ちになる。ホームは1面。線路は2本。4両編成の小柄な電車が扉を開けて待っていた。トンネル断面を小さくし、建設費を抑えるために、グリーンラインは鉄輪式リニアモーター方式が採用された。都営地下鉄大江戸線や福岡市交通局の七隈線と同様である。人が乗るには充分な高さがあるけれど、このタイプの電車に乗ると、なんとなく首をすくめてしまう。車内に立てば天井に手が届く。窮屈だが、窓は大きくて開放感がある。しかし、景色が見える区間は少ないと聞いている。
小さな電車が待っていた。
ホームドアと電車のドアが同時に閉まり、電車が動き出す。心地よい加速である。地下鉄だから景色がない。その退屈を思いやるかのように、扉の両側にモニターテレビがあって、地下鉄の紹介やマナーを呼びかけるビデオを流している。音は出ない。そういえば新しいビルのエレベータも、液晶モニターが付いている。ビルのエレベーターも横方向に融通を利かせたら、縦坑の数より多い箱を運転できるのに、と思う。
車内は年寄りと高校生が多い。4両編成の乗車率は5割ほど。座席が埋まり、立つ人が少々いる。平日の昼下がりにしては上出来な客の入りだと思うけれど、当初の見込みよりは少なく、このままでは大赤字と報道されたばかりだ。もっとも、新路線の成績とはそういうもので、地下鉄大江戸線もゆりかもめも当初の不調を報じられたことがあった。今ではどちらも大繁盛である。大江戸線などは深すぎて不便で、東京都の大荷物と言われたけれど、昨年度は都営地下鉄の黒字化に貢献したという。グリーンラインもきっとそうだ。そうあってほしい。
メタリックなデザインの電車。
電車は先ほど駅から眺めた"昔ながらの日吉の町の下"を走っている。最近の地下鉄はシールド工法を使い、地上から掘削しないので、街の景観が保たれる。開腹せずに腹腔鏡で手術するようなものだ。最初の停車駅は日吉本町。降りる人ばかりである。きっと住宅地なのだろう。その次が高田。地図を眺めると、かつて私がクルマでよく走った道だ。私の実家は国道246号線の北側にあり、この道路は第三京浜国道や、国道1号線、川崎方面に下りて行くときに利用した。だから地上の風景も思い出せる。バスのおかげでいつも渋滞していた道である。
なるほど、これは便利だ。しかし、お金がかかる地下鉄にしないで、新交通システムにしてもよかったのではないかとも思う。つい先日、日暮里・舎人ライナーに乗ったせいでもあるのだが。新交通システムのほうが景色が見えるから楽しいのだ。地下鉄グリーンラインの構想が明らかになったときは、日吉から東横線、あるいは目黒線に乗り入れると思っていた。しかし、もともとその予定がなかったのか、工賃節約でリニアモーター式にしたせいか、直通はしなかった。乗り入れをしないなら地下鉄にこだわらなくてもよかったような気がする。
車内の大型モニター。
次の東山田は第三京浜の入り口へ向かう交差点の駅だ。ああそうか、新交通システムの場合、第三京浜の高架道路との交差が問題だ。第三京浜を越えるとなると、かなり高いところを走ることになる。景色はいいが、駅まで高くなると乗りにくい。やっぱり地下鉄が便利らしい。
北山田から女学生がたくさん乗ってきた。何人か、はっとするような背の高い色白の美少女がいる。夏服の白いブラウス姿がまぶしい。彼女たちはいままでバスで通学していたのだろう。地下鉄なら紫外線にさらされなくて済むな、と思う。バス通学の女の子は小麦色のスポーツタイプ。地下鉄沿線の女の子は色白美人が多いという仮説はどうか。地下鉄は景色が見えないけれど、車内で美少女を鑑賞できるなら悪くない。あと20歳ほど若返ったら、と思うのはこんな時だ。しかし窓ガラスに映る私は、このくらいの娘がいてもおかしくない中年であった。
-…つづく
第245回~の行程図
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