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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第38回:ライプツィヒという町 その1

更新日2022/08/11

 

音楽祭に足を運ぶのは、老齢の私にとってさえ心はずむ喜びだ。今住んでいるコロラド州の高原台地にあっては、クラシックを聴くチャンスは非常に限られてくる。大学生を中心にしたオーケストラ、合唱団の定期演奏会があり、大学の音楽学部の先生らのリサイタルがある。ここはアメリカ中西部の小さな大学町で、最近になって、天候の良さを売りにして老人ホームが続々と増え、それに従い、この街に不似合いなほど大きな病院があるだけだ。全米に知られた音楽祭、クラシックではなく、カントリーウエスタンの大きなフェスティバルが広々とした荒野で開催されているから、音楽不在とは言えないのだが…。

クラシックは、隣町のモアブ音楽祭、夏場のスキー場を利用したアスペン音楽祭、ヴェイル音楽祭、テリュライド音楽祭があり、相当有名高名な演奏家、オーケストラを呼び、入場券も即完売になる。近くの山や谷にテントを張り、キャンプしながら会場に通うのは独特の愉楽だ。演奏する方も聴く方もどこかリラックスしていて、屋外の芝に腰を下ろし、地元のワインやビールを片手に音楽に浸るのは、また別種の遊興、酒興的な喜びがある。もっとも私自身、救いようのない下戸だから、酒興に耽るわけにはいかないのだが…。

大きな街で開かれる音楽祭、音響の優れた大ホール、演奏家も選りすぐった、人気絶頂で今が旬のソリストを迎えての演奏は、そこで、その時でなければ聴くことができない類いのもので、当然演奏にも熱が入り、記念碑的なコンサートになることがママある。それにしても、その演奏一つのために、私たちのような田舎住まいの人間が駆けつけるのは余程のことだ。

プラハの春音楽祭、モンテヴェルディのクレモナ音楽祭、ショパン音楽祭、ラフマニノフが晩年を過ごしたフィラデルフィアでのラフマニノフ音楽祭、ロンドン、パリ、ニューヨークの音楽祭と行きたい音楽祭はたくさんある。たっぷり時間とお金がありさえすれば、街の中心のホテルに陣取り、そのコンサートのためだけにそこへ出かけることができるのだろうが、私たちの財力では不可能なことだ。

様々あるコンサートシリーズ、コンクールなどに行きたいとは思うのだが、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールなどは3週間から1ヵ月の期間で行われる。演奏会場が一箇所なのは救われるが、大都会の音楽祭は大方、金土日に開かれ、それが1ヵ月間続く。週日は手持ち無沙汰の空きになる。そこへ行くとバッハ音楽祭は違う。10日間、毎日5~8ものコンサートがあり、逆にどこに行くのか迷わされるほどギッシリとプログラムが詰まっているのだ。

もう一つ、大都会のコンサートホールは互いに離れていて、一日に、とても二つ三つの会場を歩いて行くことなどできない相談だ。ロンドンのテムズ川沿いにあるクイーンエリザベスホールから、ローヤルアルバートホールへはとても歩ける距離ではなく、地下鉄を利用しなくてならない。マドリッドのオペラハウスとコンサートホールも相当離れている、ベルリン、パリ、バルセローナ然りだ。

そこへいくと、我がライプツィヒはすべてが歩ける範囲にあるのだ。ゲヴァントハウスからオペラハウスはアウグスツス広場を挟んで目の前、大学の聖ポール教会は電車通りを渡ったところにあり、聖ニコライ教会は5分、トマス教会までは10分も歩けば行ける。従って、1日に3~5ものコンサートを渡り歩くことも可能なのだ。ホテル、宿を旧市内に取っているなら、ちょっとホテルに帰って一休みできる。こんなことはロンドン、パリなどの大都会では不可能だ。

どこの会場、教会へも歩いて行けるのは、ライプツィヒの非常に大きな特権、特徴だと思う。夜遅くのリサイタルでも、夜道を音楽にほてった頭を冷やしながらブラブラ歩いてホテルに帰ることができるのは一種無常の喜びだ。最終電車、地下鉄の時間を気にしたり、我先にタクシーを捕まえようとするのとは雲泥の違いがある…と私などは思うのだ。

No.38-01
ゲヴァントハウス(Gewandhaus)、ライプツィヒのコンサートホール
すり鉢型のホールの走りで、音響がとても良いとの評判だ。

No.38-02
アウグスツス広場を挟んで互いに顔を見合わせるように
建っているオペラハウス(Opernhaus Leipzig)
両方とも戦後建てられた。絢爛豪華なパリやミラノのオペラハウスに
比べることはできないが、機能的な現代オペラハウスの見本になっている。

私たちは随分マメに会場を渡り歩いた方だと思うが、ライプツィヒでタクシーに乗ったことはない。初回、宿を郊外に取ってしまい、チンチン電車に乗って旧市街へ通ったことはある。これは宿のロケーションを誤ったためだ。その後、駅界隈か旧市街、リンクの内側に宿を取るようにしている。

バッハ音楽祭に通い始めた当初、時間が許す限り、会場、教会を駆けずり回ったものだ。連れ合いの記録では1日に七つだ(講演も含めてだが)。だが、これはヤリすぎで、じきに何をどこで聴いたのか分からなくなってしまい、感動が薄れることに気がつき、日に三つ程度に抑えることにした。

No.38-03
ライプツィヒ中央駅
地下二階が吹き抜けのショッピングモールになっていて、スーパーマーケットが二つある。
正面のホールと吹き抜けの地下もバッハ音楽祭の会場になる。
こちらの方は、近くの町の小中学生の演奏、地元有志のバロックダンス保存会、
バッハ的な(少しは バッハに触発されたらしい)若者たちのエレキバンドの演奏がある。

ライプツィヒの特殊性というのは、このように音楽会の会場がほとんど歩ける距離にあること、そして比較的戦災に会わずに済んだので、旧市街が中世そのまま残っていること、交通の便が良く、ハーレー・ライプツィヒ空港まで15キロ内外、直結している電車で中央駅、もしくは旧市街のド真ん中マルクト広場の地下まで6、7分で行けること、日本からの航空便はフランクフルト着が多いが、フランクフルト空港駅からインターシティー列車でライプツィヒ中央駅に入れることなど、人口60万人足らずの町(2020年で597,493人)にしては驚くほど、足の便が良いこと、そして、宿、ホテルが多く(これは市で開かれる見本市のためなのだが)、バッハ音楽祭の期間中でも比較的容易に予約が取れること…など、良いことずくめの中で、さらに日本食レストランが4軒もオープンした。行ったことがないので味、内容は不明だが、いつも賑わっているようだ。

ただ観るだけの観光には物足りないかもしれない。ドレスデンにあるような王宮、建物自体が記念碑的なゼンパーオペラハウスのような記念碑的建築物は少ない。ライプツィヒはやはり音楽の町だと思う。バッハ博物館、シューマンの家、メンデルスゾーンの家、楽器博物館(Grassimuseum)、そして、美術館に一度足を運ぶと、後は何もないなどと言うと、地元の人に叱られそうだが…。

-…つづく

 

 

第39回:ライプツィヒという町 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第2回:ライプツィヒという町 その1
第3回:ライプツィヒという町 その2
第4回:ライプツィヒという町 その3
第5回:ライプツィヒという町 その4
第6回:ライプツィヒという町 その5
第7回:バッハの顔 その1
第8回:バッハの顔 その2
第9回:バッハの顔 その3
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