第646回:文化遺産を元の国に返還する運動について
ウチのダンナさんに引きずられるようにして、相当いろいろな国を回ってきました。今でこそ、ゴッホやマネ、モネ、ルノアールの絵が、お金持ちの国の美術館やプライベート・コレクションに収まっていても、誰も不思議に思いません。ただ、またクリスティーズ(Christie's)やザザビーズ(Sotheby's)などのオークション会社を通じて、大金を払って手に入れただけのことだと、受け入れてしまいます。
イギリスでは、大英帝国華やかなりし頃に、植民地から広く集めた遺物、当事国の民族遺産を大量に持ち帰り、大英博物館、民俗学博物館に展示しています。それは一見の価値がある素晴らしいコレクションです。エジプトからピラミッドに埋葬されていた王族のミイラ、エルギン・マーブル(Elgin Marbles)と呼ばれているギリシャのパンテオンのレリーフなど、よくぞこんな重いものを運んできたものだと感心する一方、スフィンクスやピラミッドを丸ごと運んでこなかったのが不思議なほど、大掛かりなものです。
ドイツも負けてはいません。ベルリンのペルガモン博物館(Pergamonmuseum;トルコ語ではベルガマと発音されるのが原音に近そうです)も、大掛かりな文化の一端を見せてくれます。ここもギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム、そしてイスラムの遺産のオンパレードです。
中でも「ミレトゥスの市場門」やバビロニアの「イシュタール門」、圧巻の「ゼウスの大祭壇」などは100メートルの長さに及びます。それを現在はイラクですが、現地から運び出し、もう一度再構築しています。ナチスドイツが戦争に負けた時、ソビエトは一種の戦利品として、それを丸ごと持ち去っているのです。しかしさすがに、ソビエトは気が引けたのかどうか、1957年になって共産主義国家の、出来の良い息子に返すように東ドイツに返却しています。
昔から、植民地から略奪するように持ち去った遺品、遺跡の数々を陳列した博物館を、口の悪い人は“泥棒博物館”と呼んでいます。アンドレ・マルロー(André Malraux)の小説『王道』(La Voie Royale)は、カンボジアからレリーフを盗み、ヨーロッパで売りさばく盗掘者たちのことを描いたものですが、たぶんに自叙伝的な作品で、アンドレ・マルロー自身も盗掘でカンボジアで3年の禁固刑の判決を受けています。
現在、ヨーロッパやアメリカの博物館で展示されている旧植民地からの遺物、遺跡の何倍かの遺物が大金で取引され、民間の金満家のコレクションになっていると言われています。
最近のイラク、シリア、ヨルダンの闘争中に、実に多くの貴重な博物、遺物が盗まれたり、破壊されました。確かに、大英博物館やペルガモン博物館が所蔵、管理せずに、そのまま元の国に置いてきたなら、今のような保存は望めなかった…と言えます。とっくに破壊されたり、分断され、売られていたことでしょう。西欧の植民地主義を憎みますが、こと文化遺産に関しては、十分役割を果たしてきたと思います。
今、それらの文化遺産を元の国返す運動が広がっています。
ヨーロッパの国々では、それらの文化遺産の元の国が政治的に安定し、遺産、遺物、美術工芸品を保存、展示できる体制が整い次第返却する…と声明を出してはいますが、何を持って政治的な安定とするのか、曖昧でヨーロッパの国々のエゴばかりが、前面に出てきています。
フランスのマクロン大統領は、植民地時代にフランスが持ち出した文化遺産、民芸品、芸術品などはすべて元の国に返還すると声明を出しました。慌てたのはイギリスです。ナイジェリアのベニン文化の芸術品を1890年代から大量に持ち帰り(租借という形で持ち出したものもたくさんありますが…)、それらをヨーロッパ全土に売り、オイシイ商売をしていたからです。
ベニンのブロンズレリーフや塑像は見事なもので、彼らの造詣能力の高さ、豊かさを表しています。一部が大英博物館に展示されているものを見ただけですが、それは見事なもので、像が脈打ち、今にも動き出し、踊り始めるのではないかと思わせます。古くは13世紀のベニン族の生活を知ることができる貴重なものです。大英博物館にはとても及びませんが、ナイジェリアのベニンに小さな博物館が建てられ、そんなブロンズの像のいくつかが収まっています。
それらの文化遺産を、受け入れ態勢が整ったら返すなどとケチなことを言わず、イギリス、フランス、ドイツは立派な博物館を建ててあげるべきでしょう。ヨーロッパの国にしてみれば、そんな出費は問題にならないくらい僅かなものです。そして、その後の管理一切、当事国に任せるべきだと信じています。万が一、それらの遺産、遺品が西欧の基準から見て完璧に保存、展示されていないとしても、それは彼らが決めるべきことです。元々略奪するように持ち去ったモノなのですから、ともかく返却しなければなりません。
ベニン市の特別展示館の長であるオモンクア(Ikuhuehi Omonkhua)さんは、「ヨーロッパに散らばっているベニンの文化遺産は、単なる芸術品ではない。いわば、それらはベニンの先祖を人質に取られているようなものです」と述べています。
-…つづく
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