第136回:“イエルバス・イビセンカ”のこと
前回、イビサのワイン、“ヴィノ・パジェッス”(vino payés)は瓶に詰めて売り物になるような代物ではないと書いたが、リキュールの方は珍しくもあり、日持ちするので土産物程度ではあるが、島の外に持ち出されている。この甘ったるいリキュールを“イエルバス・イビセンカ”(hierbas ibicencas;ハーブ・リキュール、薬用酒)という。代表的であり、ほぼ独占的にイエルバス・イビセンカを牛耳っているのは『マリ・マヤン』(Marí Mayans)というブランドで、1880年にホアン・マリ・マヤン(Juan Marí Mayans)が18種類のイビサに生えている野草、薬草(これをイエルバ=hierbaと呼ぶ)をホームリカー、アルコールに浸し、砂糖を加え甘くし、寝かせたものを云わば養命酒か卵酒のような薬用酒として、近隣、郎党一族に分け与えていたところから始まった。
Marí Mayansリキュール(左側がHierrbas Ibicencas)
マリ・マヤンは今では洒落た瓶に詰められ、薬草そのものが瓶の中に浮いている様子が眺められる仕掛けになっていて、味の方も激甘から、そうそう甘、薬草の香りの違い、強さなどで何種類もの商品に展開されている。
私が『カサ・デ・バンブー』をオープンした時、マリ・マヤンはロスモリーノスからトンネルを抜け、坂を下り、右手にそびえる城壁の下に、鄙びた小さなパルケ(parque;公園)と呼ばれていた広場の脇にボデガ(bodega;酒屋)を構えていた。マリ・マヤンの酒造所はサンタ・ヘルツーデス街道にあったが、それではあまりにイビサの町まで遠すぎるとのことだろうか、イビサの町中に貯蔵、販売出張所を設けたのだろう。坂を降り、その界隈に差し掛かると、甘いリキュールの香りが漂ってくるのだった。
酒屋は暗い酒造庫そのもののような構えで、看板もなく、緑の縁取りをしたガラス戸を開けて入ると、大きな樽が幾つも積み上げられ並んでおり、ムッとするほどアルコールの匂いがたちこめているのだった。
当時ワインやリキュールに使われていたガラッファ(garrafa)
ベトついた分厚い木のカウンターに、家からぶら下げてきたガラッファ(garrafa;コモを巻いた大きな瓶)を置き、注文するのだ。当時は量り売りが原則で、持参の瓶に詰めてもらうだけで、すでに瓶に詰められエチケタ(etiqueta;ラベル)を張ったようなシャレタものではなかった。価格はドが付くほど安く、一体元のリキュール、アルコールはいくらで仕入れているんだと疑いたくなるほどだった。確か1リットル100円しなかったと記憶している。アルコールの度数は26%から35%ほどだから、ウォッカほどきつくはない。
イエルバス・イビセンカはヨーロッパ中どこにでもあるアブサン系のリキュールで、薄緑の“ウゾー”、黄色の“リカルド”、透明な“アニス”などと同系列で、ぶどう酒を醸造したブランデー、コニャックが高級志向とすれば、こちらは労働者向けと言って良いだろうか、デザート代わりに食後に一杯引っ掛けるものだ。ところが呑み助は、グラスに氷をたくさん入れ、これらのリキュールを4分の1ほど注ぎ、水で割る飲み方を見出し、夏の暑い日差しの下で、これをヤルことが無上のものであることを発見したのだ。
ウイスキーの水割りは日本独特の飲み方だと思っていたところ、こちらでもリキュールのロック、水割りが夏の主流だった。水を注ぐとそれらのリキュールはサッと白濁する。確かにこの冷たく濁った飲料は口に入れた瞬間、独特の香りが口内に拡がり、ベトツク甘さが和らげられ、爽やかな感じがする。しかしながら、これは私のような下戸には危険で、いくら水割りでも元のアルコールの含有量が減るわけでもなし、グラス一杯飲むと、私のような下戸は茹蛸になり、全く用がなさなくなる…ほど強い飲み物なのだ。
水で割ると白濁して爽やかな飲み物になる
私の連れ合いの従兄ジェリーが大学の同級生エースと私のところに長逗留したことがあった。アメリカ中西部から出てきて、もともとその手の嗅覚があったのだろう、私にマリファナの販売事情を聞く前に、すぐにどこからか買い求めてきた。初日からイエルバス・イビセンカ漬けにしたのは私だった。
『カサ・デ・バンブー』では、食後にサービスとして、イエルバス・イビセンカをコニャック用の小さな風船グラスに一杯供していた。彼らにも食事の後で、「好きなだけ呑みな…」とばかり3リットルのガラッファをデンと置いたところ、二人でその瓶を空けてしまったのだ。テーブルに出されたモノは自分が注文したワイン同様、空にすべしと思い違いしていたのだろう。さすがに次の日は二日酔いで動けなかった。
二人とも小柄なスペイン人の間にあってはゴリアテ並みの体格で遠目でもアッ、グリンゴー(gringo;アメリカ人)だと分かる風体だった。彼らはすっかりイエルバス・イビセンカのファンになり、何度も乾杯するたびに「イエルバス!」と叫んでいたものだ。
彼らがイビサを去る時、マリ・マヤンの瓶入りを2本づつ土産として持たせた。その2、3年後、カンサス州のトピカ(Topeka)にクダンの従兄ジェリーを訪ねたことがある。新婚の奥さんはメキシコ系アメリカ人で、メキシコ料理でもてなしてくれた。食前酒は当然“マルガリータ”だった。その時、食堂の棚に何種類かのリキュール、ワインと並んで“イエルバス・マリ・マヤン”が2本、1本は全く手付かずのまま、もう1本も3分の1しか減っていないのが目に留まったのだ。
ジェリーは、イビサでカンカンに照り付ける太陽の木陰で飲んだ時ほど、湿気の多いカンサスで飲むイエルバス・イビセンカは美味しくない、まるで瓶の中身が変わってしまったかのようだ、今はスコッチの方が良いと言うのだった。私のアパートや『カサ・デ・バンブー』から素っ裸の女性を見ながら飲んでいたから、一体何が口に入っていたのかも分からなかったんだろうと私は混ぜっ返した。
だが、ジェリーの言うことは確かに当たっていると思うことがある。“ヴィノ・パジェッス”同様、イエルバス・イビセンカも島から持ち出して飲むものではなさそうなのだ。あの甘ったるいマリ・マヤンに氷をたっぶり入れ、水割りで飲むには、眼下に地中海が広がり、燦々と降り注ぐ太陽が不可欠なような気がするのだ。そして、ビーチに裸が幾つか転がっていれば、イエルバス・イベセンカの味もグンと増すと云うものだろう。
当時の懐かしいボトル
-…つづく
第137回:サリーナス裸一掃検挙事件
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