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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第43回:無料のコンサートとみんなで唄おう

更新日2022/09/15

 

バッハ音楽祭の期間中、ライプツィヒの町は音楽で溢れる。ストリート・ミュージシャンだけでなくエンターテイナーと言うのだろうか、ハプニングショーを見せてくれる。これも時代が反映し、ここに通い始めた当初は、本物かどうか判断のしようもないが、旧ソビエトの軍服を着て、アコーディオン、バラライカの伴奏で赤軍合唱団風なのが大変な声量で歌っていたり、大きなグランドピアノを一体どうやって運んできたのか、巧みにバッハを弾いていたりする。純然たる日本的容貌の持ち主である私を目にし、“さくら さくら“や“すき焼きソング”(上を向いて歩こうの海外用のタイトル)を弾き、喜捨を媚びるのはツヤ消しだが…。ジプシーが悲哀の篭った唄を通りに響かせていたものだ。もちろん、バイオリン独奏、弦楽四重奏、管楽アンサンブルなど、本格的なものまで登場していた。

最近、日本人も進出してきて、簡単な着物モドキを着て、お琴、三味線を披露する勇敢なナデシコも現れるようになった。彼らの前に置いてある、箱や楽器のケースを覗くと、地元の人、あるいは音楽祭に来た人の耳が肥えているのだろう、そこに入っているお金の量は、彼らが演奏する音楽のレベルに如実に比例していることに気がついた。二十数年に渡りストリート・ミュージシャンを続けている横笛吹きのおじさんは、老いてお爺さんになったが、ブランデンブルグ協奏曲、管弦楽組曲を巧みに吹いている。

ほかにも無料で聴ける音楽がたくさんある。
筆頭は旧市庁舎前のマーケット広場での演奏で、大きく立派な特設ステージを設け、スピーカーを幾つも重ね、おまけに巨大なスクリーンに演奏者を大写しにするロックコンサート並みの仕掛けで、広場は観衆で埋まる。もちろんバッハの曲が演奏されるが、バッハだけではない。ゲバントハウスも登場し、バッハのポピュラーなお触りを聞かせてくれたりする。現代的にアレンジしたバッハ・ジャズバンドも登場する。嬉しいのは、広場を囲むように生ビールの店、ソーセージ屋、軽食屋が立ち並ぶことだ。これは下戸の私でも、杯を重ねることになる。

No.43-01
マーケット広場で開かれるオープン・エア・コンサートのプログラム(2017年版)

ライプツィヒの中央駅にも赤ら顔のバッハの顔の巨大な幕が垂れ下がり、バッハ音楽祭を盛り上げる。この駅は地上面積でヨーロッパ最大と言われる巨大な構築物で(但し、地下のプラットホームはない)、駅の地下に大きなショッピングモールを抱え込んでいる。ブティックや喫茶、軽食レストラン、大型スーパーマーケットなどが吹き抜けの地下2階まで回廊のように並んでいる。その吹き抜けの長い空間に特設舞台を設け、様々なグループが(アマチュアの団体や周辺の小中学校の小グループ)が演奏する。

一度、この駅のモールが身動きできないほどの観客で埋まったことがある。地下1階、地上階からも手摺りから身を乗り出すようにギッシリと、まるでラッシュ時の新宿駅のホーム並みに混んだことがある。と言うのは、バロック時代のダンスを披露する“バロックダンス保存会”のような団体の踊り子(女性です)が、その時代の衣装、ドレスはどういう仕掛け?になっていたのか、膨らんだドレスを脱ぎ、その下のフレーム(当時は鯨の髭などを使っていたようだが…)を見せ、それを外し、胴を締め付けているコールセットの背中のヒモを男性のダンサーのアシスタントが解き、ふんわりとしたキュロット、股引き、上は緩い下着シャツだけになり、ストリップショーをコミカルに演じたからだ。

胸に小さなマイクを付け、その女性ダンサーが面白おかしく解説しているのだろうか、突然爆笑の渦に包まれたり、ピタリと静まり返り、彼女の動きに集中したりしているのだ。彼女が靴、靴下を外した時には、観衆の誰かが、「もっと最後まで脱げ…!」とでも叫んだのだろう、和するように「そうだ~ヤレヤレ!」と応援のダミ声が上がった。それに対し、ダンサーの女性、「私はこのまま脱ぎ続けて一向に構わないけど、ここじゃ、そんなこと許されないからね~~」とでも軽く切り返していた、と想像するだけなのだが……観客も彼女の挨拶、言い訳に納得したように、パラパラと拍手が起こり、あれだけいた観衆が汐を引くように消えたのだった。ドイツ人もスキなのだ。

駅の正面には大ホールがあり、そこでも小中学生のアンサンブルが演奏する。こちらの方は幅の広い階段があり、大人数の演奏家を並べることができるので、小さなオーケストラ並みの、あるいは大人数の少年少女合唱団が演奏する。


私が、トマナコアー(聖トーマス教会少年合唱団)と一緒に、しかもカウンターテナーの第一人者アンドレアス・ショル(Andreas Scholl)を独唱者に、指揮はゲオルク・クリストフ・ビラー(Georg Christoph Biller)という要人で歌った、歌わされた経験があるのだ……と自慢しても、ウソにはならないと思う。

その日、ドイツ語が分からないまま、旧市街の環状道路の外のヨハネス公園沿いのルター教会に覗き見趣味で出かけたところ、その入口で如何にもガリ版印刷したような楽譜を渡され、お前はテナーかバスかと振り分けられ、連れ合いはアルトへ、私はバスの席につかされたのだ。正面にはチェンバロが置かれていた。

No.43-03
バロック音楽専門のカウンターテナー、アンドレアス・ショル

私は楽譜が全く読めない訳ではないが、楽譜通りの音程を喉から出すような奇術的な芸は全くできない。見ると歌詞はドイツ語ではないか。その楽譜を失くしてしまったことは、返すがえすも残念なことだ…。それはクリストフ・ビラーの作曲になるものだったから…。

まず、トマナコアーとアンドレアス・ショル、指揮・伴奏はビラーのチェンバロで模範演奏があり、それから各パート毎に歌唱指導があり、そのパートと一緒にトマナコアーとアンドレアス・ショルが付き添うように歌い、いよいよバスの番になり、立たされたところ、テナー、アルト、ソプラノは十数人づつの大人数なのに、バスは5人しかいないのだ。これでは口パクで隠れ、ごまかしようもないではないか…。

私の隣にはいかにも労働者風の汗臭いおじさん、臭くて嫌だなと思っていたところ、彼には音楽の素養があり、普段から歌いつけているのだろうか、実に朗々たる幅が広く奥行きのある声量で、音程も確かに歌い出したのだ。私はモノマネというのか、簡単なメロディーなら、一度聴くとそのままそれをどうにか辿れる特技というか、能力があると自認している。しかし、ドイツ語の歌詞の方はそうはいかない。しかもバスのパート練習の時、ビラーさん、ショル、トマナコアーそして他の全パートの面々がこちらを注視しているではないか。私はひたすら汗臭いおじさんに頼り、意味が全く分からないまま、引き延ばすところだけは精一杯声を出し、ゴマカシタのだった。

もちろん、こんな歌唱指導的な集まりに正統的バッハファン、ミサ曲やカンタータ、オルガンを目当てに来ている外国からの純正バッハファンたちは誰も行かない。入場料が高くてコンサートに行けないと愚痴っているような地元の人ばかりだったと思う。

このような歌唱指導、皆なで歌おう的な集まり、ともかくバッハを楽しむ、親しむ行事もバッハ音楽祭の行事の一つとして行われている。それにしても、世界的なカウンターテナーのアンドレアス・ショルや、大指揮者のクリストフ・ビラー、トマナコアーが気楽に素人の歌唱指導に関わっていることに驚かずにいられない。本当に実力のある人は彼らの能力の何分の一を気軽に使うものだ。あのヨーヨー・マが気楽に世界中の民族音楽家と共演するように…。

集会、合唱が終わり、正門から出ると、クリストフ・ビラーとアンドレアス・ショルは地元の参会者といかにも気楽ににこやかに立ち話をしてた。トマナコアーの少年たちは、歓声を上げながら、ルター教会の裏に隣接しているヨハネス公園へとサッカーボールを蹴りながら、走って行った。

No.43-02
聖トーマス教会第16代カントルを務めたゲオルク・クリストフ・ビラー
2022年01月27日没(66歳)、R.I.P.


-…つづく

 

 

第44回:いざ、コンサートに挑まん…

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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バックナンバー

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第2回:ライプツィヒという町 その1
第3回:ライプツィヒという町 その2
第4回:ライプツィヒという町 その3
第5回:ライプツィヒという町 その4
第6回:ライプツィヒという町 その5
第7回:バッハの顔 その1
第8回:バッハの顔 その2
第9回:バッハの顔 その3
第10回:バッハの顔 その4
第11回:バッハを聴く資格 その1
第12回:バッハを聴く資格 その2
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