第388回:流行り歌に寄せて No.188 「恋の季節」~昭和43年(1968年)
グループ名の『ピンキーとキラーズ』は、アメリカ合衆国のバンド “Spanky and Our Gang”を捩ったもので、作曲家のいずみたくによる命名とのこと。そのバンド名は、当時よく聞いていたが、そこからとられていたのは、今回初めて知った事実だった。
また、最初の女性ヴォーカル候補には、あの篠ひろ子の名前が上がっていたそうで、キラーズのメンバーが「篠ひろ子さんだったらな~」とこぼすと、今陽子は「キラーズのメンバーがジャニーズ系(そんな言葉が当時あったかどうかは不明)だったらな~」と返していたという。一昨年の『サワコの朝』で今が述懐していた。
今回調べてみたが、キラーズのメンバーがどのような形で結成されたかは、わからなかった。ピンキーとキラーズのために寄り集められたメンバーか、それとも以前にも組んで音楽活動をしていたのか。
ジョージ浜野 リーダー ギター担当(昭和16年生まれ)
エンディ山口 ギター担当(昭和20年生まれ)
ルイス高野 ベース担当(昭和22年生まれ)
パンチョ加賀美 ドラムス担当(昭和19年生まれ、平成30年没)
全員が口髭ないしは、あご鬚をはやし、山高帽にステッキ姿という出で立ちだった。
ピンキーこと今陽子(本名今津陽子)は、昭和26年生まれ。名古屋随一のお嬢さん学校である金城学院中学に通っていたが、昭和41年、中学2年生の時にスカウトされて上京することになった。いずみたくに師事をして、翌昭和41年の15歳でビクターレコードから『甘ったれたいの』でデビューを果たすが、全く売れなかったようだ。
下積み修行を続け、昭和43年にキングレコードに移籍し、そこでピンキーとキラーズが結成され、今回の『恋の季節』が240万枚という、とんでもないヒット曲となった。この年から始まったオリコン・チャートで17週第1位の記録を樹立し、この記録は今日なお破られていないという。
「恋の季節」 岩谷時子:作詞 いずみたく:作・編曲 ピンキーとキラーズ:歌
忘れられないの あの人が好きよ
青いシャツ着てさ 海を見てたわ
私ははだしで 小さな貝の舟
浮かべて泣いたの わけもないのに
恋は 私の恋は
空を染めて 燃えたよ
死ぬまで私を ひとりにしないと
あの人が云った 恋の季節よ
ルルル・・・
恋は 私の恋は
空を染めて 燃えたよ
夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
あの人が云った 恋の季節よ
恋は 私の恋は
空を染めて 燃えたよ
夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
あの人が云った 恋の季節よ
恋の季節よ 恋の季節よ
彼らのことを思い出すときに、まず出てくるのがテレビドラマ『青空にとび出せ!』である。昭和44年3月30日から9月28日までの半年間、TBSで毎週日曜日の19時30分から20時までのゴールデンタイムに放映されていた。
ピンキラのメンバーが、『ピンキングカー』という派手なデコレーションで、フロントには目玉のヘッドライトにピンクの唇が書かれたキャンピングカーに乗り、自分たち5人の理想の国家建設のために長い旅を続けるという、荒唐無稽なストーリーだった。
今回調べると、その脚本は松木ひろし、鎌田敏夫、市川森一らの名だたるライターが名を連ねている。
ドラマは、主題曲である『青空にとび出せ!』を始め、『恋の季節』『涙の季節』『七色のしあわせ』など、岩谷時子、いずみたくのゴールデンコンビによるヒット曲が次々と歌われて、ファンの心をしっかりと掴んでいた。当時中学1年生だった私と家族は、毎週欠かさずこの番組を観ていたのである。
さて『恋の季節』の話に戻るが、歌詞の中の「夜明けのコーヒー」という大人の雰囲気を持つ詞は、当時越路吹雪のマネージャーでもあった岩谷時子が、二人でパリを旅行している間に思いついたフレーズだということである。いかにもお洒落な岩谷さんらしいエピソードである。
この曲で、この年の『第10回日本レコード大賞』の新人賞を獲得したが、その披露の際のオーケストラの指揮者がいずみたくで、ピンキーは感極まって涙声になった。これは私も観ていた。
また、この年の『第19回NHK紅白歌合戦』では、紅白が始まって最初の男女混合グループの出演ということで、どちらの組にするか議論があったようだが、ピンキーがメインヴォーカルということで、紅組からの出場となった。このことも私には記憶がある。もう半世紀以上も前の話なのに、本当にこういうことに関してのみは、よく覚えているものである。
最後に、少し蛇足気味の話であるが…。これも40年以上前の話であるが、私が中目黒に住んでいた時代、パンチョ加賀美さんが中目黒駅の近くで、その名も『パンチョ』というパブを経営されていた。私は一度だけ、やはり飲食業を営んでいる先輩ご夫妻に、この店に連れて行っていただいたことがある。
前述の通り、一昨年メンバーの中で唯一故人となったパンチョさんだが、この頃は本当にお元気で、楽しく明るいお話で、みなを和ませてくださっていた。この店のマネージャーだった方が、実はゲイであって、なぜか私に言い寄って来られて困惑したことを覚えている。私は女性にしか興味がないのですと、しきりにお誘いを断ったものだった。
-…つづく
第389回:流行り歌に寄せて No.189 「好きになった人」~昭和43年(1968年)
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