第477回:流行り歌に寄せて No.272 「赤色エレジー」~昭和47年(1972年)4月25日リリース
「同棲」という言葉に憧れていた。とてもロマンティックで、そして淫靡な響きがあった。
林静一の漫画『赤色エレジー』は、雑誌『ガロ』に昭和45年(1970年)1月号から1年間、上村一夫の『同棲時代』は、雑誌『漫画アクション』に昭和47年3月2日号から1年8ヵ月にわたり掲載されていた。
上村一夫の画も妖婉で魅惑的だが、林静一の画は儚い叙情性を帯びていた。
『赤色エレジー』は幸子と一郎、『同棲時代』は今日子と次郎。幸子はトレーサーで、一郎はアニメーター。今日子は広告会社勤務で、次郎はイラストレーター。カッコいいカタカナ職業に就ている二人が甘く淫靡な生活を送り、そして哀切な別れ方をする。当時高校2年生だった私は「高校を出たら、絶対に東京に行く。そして・・・」という想いに駆られたものだ。
さて、今回の曲は、あがた森魚が、漫画『赤色エレジー』を読んで、強く心を動かされて作った作品だという。
あがた森魚は、函館ラ・サール高校在学中に、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聴いて衝撃を受け、作詞、作曲を始めた。そして、その後家族とともに横浜に転居して来て、一浪の末に明治大学に入った。
そのうちに、あるきっかけで、昭和44年12月、日本で最初のインディーズ・レーベルとも言われるアングラ・レコード・クラブ(URC)の事務所で歌う機会を得た。そこで彼の歌唱を聴いていた早川義夫の薦めで、年が明けた昭和45年1月にインターナショナル・フォーク・キャラバン(IFC)で初めてステージに立った。
その後、鈴木慶一と出会い、バンド「あがた森魚と蜂蜜ぱい」を結成、昭和46年8月「第3回全日本(中津川)フォーク・ジャンボリー」のステージに立ち、『赤色エレジー』を披露した。これを聴いていたキングレコードのディレクター、三浦光紀が、同レコード内に三浦自らが設立した「ベルウッド・レーベル」の第1弾のアーティストとして『赤色エレジー』であがたをメジャー・デビューさせたのである。
ところが、この曲が八州秀章・作曲の『あざみの歌』に似ているということから問題となり、発売直前になって、作曲者名を八州秀章に変更している。これには、あがたも「八州さんの歌を聴いて作ったのではない」と否定し、抗議もしているが、まずはレコードを出そうという会社側の意向もあり、そのような形になった。
私は、何回聴いても、全く別の曲だと感じるのだが…。
「赤色エレジー」 あがた森魚:作詞 八州秀章:作曲 あがた森魚:編曲 あがた森魚:歌
愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は 何処にある
男一郎 ままよとて
昭和余年は 春も宵
桜吹雪けば 情も舞う
さみしかったわ どうしたの
お母さまの 夢みたね
おふとんもひとつ ほしいよね
いえいえ こうしていられたら
あなたの口から サヨナラは
言えないことと 想ってた
裸電燈 舞踏会
踊りし日々は 走馬燈
幸子の幸は 何処にある
愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は 何処にある
男一郎 ままよとて
幸子と一郎の 物語
お涙ちょうだい ありがとう
実は、この曲はメジャー・デビューをした前年の、昭和46年のクリスマスの日に、自主制作でシングル版を作っているのである。それは『うた絵本 赤色エレジー』として、林静一の書き下ろしの絵本付きで、幻燈社から出されている。
このクレジットは、詞曲唄:あがた森魚/演奏:南部菜食バンドとされており、八州秀章の名は出ていない。
さて、私が、高校2年生で初めて『赤色エレジー』を聴いたとき、何か、大変おどろおどろしい曲だという印象を持った。ピアノが奏でる短調の伴奏が不気味だった記憶がある。子どもだったのだ、きっと。その後何回か聴いているが、聴くたびに、本当に秀曲だなと感じ入ってしまうのである。
あがた森魚で最も印象に残っているのが、NHKドラマ『夢千代日記』の湯里ヌード劇場の照明係、アンちゃんこと安藤役である。緑魔子演じるストリッパー・アサ子の踊りに淫靡な照明を当てていたが、これがハマり役だった。
このドラマの中でも『赤色エレジー』は流れていたが、緑魔子とのデュエット『昭和柔侠伝の唄(最后のダンス・ホール)』も使われていた。
これは昭和49年4月に発売されたシングル曲で、それなりのヒットを飛ばした歌だが、それを7年後のNHKドラマが、その二人をそのままキャストにして歌わせてしまったのである。NHKは、いつでも、ずるいことをサラッとしてしまう。
-…つづく
第478回:流行り歌に寄せて No.273 「恋の町札幌」~昭和47年(1972年)5月リリース
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