第496回:ファッショナブルな刺青
うちのダンナさんの影響ではないと思うのですが、私の身内、友人に日本ファンがたくさんいます。妹のダンナさんはスェーデン系のアメリカ人ですが、日本の建築、日本庭園、果ては禅にまで凝り、日本に住んだこともあり、もうすでに10回くらいは日本を訪れていると思います。
甥っ子の一人は、今も山形県の田舎町に3年越しで住んでいます。その彼の同級生がアメリカからやってきて、日本を案内して回った時、温泉で入浴を拒否されてしまいました。彼の友達が腕に刺青をしていたからです。日本文化体験として、カプセルホテルに興味本位で泊まろうとした時も、チラリと刺青が見えたのでしょうか、断られたと言っていました。
日本では、刺青はヤクザ屋さんの専門分野で、反社会的な人間、自らはっきりと自分は通常の社会人ではないと宣言し、その覚悟で入れるもののようです。その覚悟があるなら、それはそれで良いと思うのですが…。
私の親類にも刺青、タツーを入れている人がたくさんいます。二人の従弟、一人は中学校の校長先生です。彼はかなり盛大に胸や腕に入れています。従姉の一人も胸のかなりきわどいところに入れていますし、エリート大学の教授であり、高名な牧師である叔母さんも入れています。
私の生徒さんの半数は刺青を入れているでしょう。アメリカの刺青に反社会的な要素は全くなく、ファッショナブルな感覚だけで気軽に入れているのが現実です。第一、ショッピングモールの中に刺青屋さんがあるくらいですから。
でも、アメリカでここまで刺青が盛大に広がり、ファッションとして公認されたのは70年代に入ってからのことです。それまで、60年代には水夫とか兵隊さん、GIが腕に海外の記念に入れてくる程度だったようなのです。本格的なマフィアではなく、青少年、ツッパリギャングたちがメンバー登録のように刺青をして(主に牢獄で拡散)いましたが、まだ多くの州では刺青屋さんは違法でした。
今では信じられませんが、60年代にニューヨークで開業していた刺青屋さんは罰金刑を食らっています。でも違法としたのも、肉体に針を刺す(アメリカのは電動ですが)ので伝染病、衛生の立場からで、刺青が反社会的な象徴であるという考えは全くありませんでした。
70年代に入ってから、刺青は俄然広がり出しました。監獄の中で刺青を入れる行為は禁止されていますが、法令で禁止しただけではとても押さえきれないくらい流行り出し、監獄内で針を束ねてブツブツ刺す、原始的な方法で満足できない囚人が出所後、色鮮やかでボカシまで入ったゲージュツ的な色鮮やかな図柄の刺青をするようになったのです。
奇妙なことに、当時のハヤリはキリスト関係で、装飾的な十字架、苦悶の表情を浮かべたキリスト、優しさあふれるマリア像などでした。まだ、自分の信仰を固めるとか、多少はシャーマニズムの感覚があり、刺青によって自分を守る意味合いがあったのでしょう。
ところが、アメリカの刺青屋さんは勉強熱心で、日本に刺青の優れた伝統、技術があり、また身体全体をキャンバスに見立てた、ゲージュツ性豊かな作品?を描いていることを知り、日本に出かけ、ツブサに学んだのです。
日本がアメリカに進出しているのはなにも、ソニー、トヨタ、ホンダだけではないのです。組織を作り、運営することが得意なアメリカ人は1977年にネヴァダ州のレノで第1回刺青会議、見本市を開催したのです。腕自慢の刺青師が350人も店を開き、絵の具屋さん(というのかしら、黒ばかりでないから墨とも呼べないでしょうけど)、最新技術刺青電動機械屋さん、世界中の図案を集めた原画屋さん、刺青消し屋さんなどが軒を並べ、最終日には作品、刺青のコンテストがあり、刺青自慢が100名ほどステージを賑わしました。
刺青屋さんも刺青の市民権を取ろうと、それなりの努力をしているのです。このレノのコンヴェンション(総会)が契機になり、妙な病気を移されることなく、安全で衛生基準をクリアした、あまり痛くない(程度の問題でしょうけど)、ファッショナブルな刺青がカルフォルニアから全米へと広がりました。
今では80~90%のプロスポーツの選手が刺青をしています。もしプロスポーツで、たとえば腕を出し、短パン姿のバスケット、NBAで刺青禁止令を強いたら、外国人選手しか残らなくなってしまいます。他の人に迷惑をかけるわけでもなく、ただひたすら自分の美意識で行うことですから、本人がよければそれで良いのでしょう。
レノの刺青コンヴェンションで全米チャンピオンになった女性は、白肌の全身を埋め尽くす鮮やかな図柄を入れ、見事なものでしたが、お婆さんになり、シナビて、シワクチャになったら、どうなるのかしら…と思わずにいられませんでした。
でもそんなことを考える人は、初めから刺青なんか入れないのでしょうね。
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