第494回:手作りの博物館 - 三岐鉄道 北勢線 3 -
三岐鉄道楚原駅。「そはら」と読む。所在地は三重県いなべ市員弁町楚原。三重県で最も北にある市である。全国の鉄道に乗ろうと思わなければ、まず辿り着かない土地だ。いなべ市は員弁町ほか3つの自治体が合併して、2003年に発足した。いなべの名の由来は平安時代に猪名部族という貴族の拠点だったからという。鈴鹿山系から発する員弁川の恩恵を受けた農産地域だ。伊勢湾沿岸の産業へ勤務する人々も多いだろう。
楚原神社。「1538年に誉田別命を祀る」とあった。誉田別命は応神天皇とのこと
北勢線は開業当時は好成績だったらしい。しかし現在は廃線の危機である。クルマ社会も理由のひとつ。そして、員弁川の対岸に平行する三岐線との競争も理由のひとつ。三岐線は国鉄在来線規格であり、電車も大きく、輸送量も多い。列車の冷房化や高速化などを積極的に実施した。北勢線は近鉄傘下になるまで、この勢いについていけなかった。
その後、近鉄が赤字を理由に北勢線廃止を表明した。三岐鉄道にとってはライバルが消える。そう安堵したところに、地元自治体の要請があって北勢線を引き受けた。かつてのライバルが同僚になった。奇妙な関係である。似たような話は阪神と阪急にも言えるけれど、沿線人口や商売の規模が違う。仲間になったからには、共同で地域の交通を担っていかなくてはいけない。皮肉にもその効果は三岐線の何度かの輸送障害で発揮されている。
国道沿いにある廃レストラン? 北勢線を応援するメッセージで埋められていた
楚原駅を出て、正面の楚原神社にお参りし、あてどなく道を歩く。次の列車まで30分の待ち時間だから、10分ほど歩いて引き返すつもりである。何かあれば10分ほど滞在できるし、何もなくても軽い運動になる。鉄道の旅は距離を稼ぐ割に身体を使わない。運動は苦手だけど、少しは身体を動かしたくなる。
静かな住宅街の細い道を進むと、広い通りが横切っていた。国道421号線である。道路の向こう側は右にコンビニと和菓子屋、左にファミリーレストランだったと思わしき建物。平屋建てで、屋根に「乗って残そう北勢線」「なくならないで北勢線」という看板が立つ。シャッターには電車と子供たちが描かれている。その気持ちは伝わってくるけれど、ファミリーレストランが潰れるようなところで……とも思う。和菓子屋に惹かれる。しかし食事制限の身だと思い直して引き返す。
楚原から電車の旅を再開。対向列車待ち。湘南顔の車両が来た。元三重交通の200系
楚原から阿下喜行きの電車に乗った。1時間に1本の貴重な列車だ。しかし乗客は4両編成で数名。昼下がりだから少ないとはいえ、電気代がもったいないと思う。日中は全線を通じて2両編成でも良さそうだ。分割したり連結したりという手間がかけられないのだろうか。
住宅と田んぼを眺めつつ電車に揺られる。左手の車窓は田んぼの向こうに鈴鹿山脈が見える。右手は養老山地が始まった。次の麻生田駅までの駅間は長い。2006年までは途中に上笠田駅があったそうだ。しかしその痕跡は気づかなかった。三岐鉄道に経営移管した2003年以降、北勢線は七つの駅を廃止し、三つの駅を新設した。スピートアップと利便性向上のため、かなり手を入れたあとが伺える。ここまでやって、10年の契約満了で廃止はないだろうと思う。
鈴鹿山脈を望む
麻生田駅からおばあさんが一人乗ってきた。終点の阿下喜駅は旧北勢町の中心地である。たったひと駅、1時間に1本の電車。お客さんはちゃんといる。電車は林の中を駆け抜けた。北勢線でもっとも大きな車窓の変化だった。この辺りでもっとも員弁川に近づくようだ。しかし川面は見えない。少し離れた低いところを流れているらしい。
線路はゆるやかに左へカーブする。その先に町が見える。あそこが阿下喜駅だ。北勢線は当初からここまでの計画で、この先の山を超える意志はなかった。旅客輸送と農産物の輸送が目的だったようだ。
林を通り抜けてラストスパート
線路脇に電信柱が増える。駅に到着する直前、プレハブの小屋と煉瓦色の電車が現れ、その周囲に小さな電車が走っていた。これが軽便鉄道博物館である。訪問したいと思っていた場所にやっと到着した。改札を出て、しばらく駅前を見渡し、いそいそと線路脇を逆向きにたどっていく。黄色い帽子の人々が世話人さんたちだろうか。
軽便鉄道博物館は公営でも民間企業でもない。地元有志が運営している。イギリスの市民鉄道のような方式だ。運営母体のASITAは、近鉄が北勢線の廃止を表明し、存続が危ぶまれた時に結成された「阿下喜駅を残す会」と「北勢軽便鉄道をよみがえらせる会」を継承したグループだ。有志の組織だから、負担のかからないように、月に2回、毎月第一日曜日と第三日曜日の開館となっている。入場は無料。会員や来場者のカンパが運営資金になっている。
阿下喜駅到着。車窓から軽便博物館が見えた。北勢線のミニチュア電車が走っている
こんにちは! と元気よく挨拶する。なにしろ無料でいろいろ見せてくれるわけで、お互いに気持ちよく過ごしたい。
「どちらからいらっしゃいましたか」
初老の男性と話した。
「東京です」
「ええっ、東京から」
そんなに驚かれるとは思わなかった。もっとも、あたりを見渡すと、ご近所の親子連れが遊びに来ているといった雰囲気である。地域のリクリエーション活動といったところか。遠方の客は珍しいかもしれない。
「今日は貨物(鉄道博物館)のほうもオープンですし、自分の休みと重ねると今日がぴったりだったんですよ」と、説明する。
「わざわざここのために! お泊りで?」
「今日は四日市に泊まって、明日は内部線と八王子線に乗ろうかと」
おっと、余計なことを言ってしまった気がする。
「ああ、あちらさんもたいへんのようで……」
彼らが2000年から手がけた存続運動を思い出したのだろうか。内部線と八王子線の沿線の人々は、北勢線と同じ経験をするだろう。
こちらは実物の保存車両226形。いまにも走り出しそうだ
北勢線は存続した。しかし、廃線の危機が完全に去ったわけではない。内部線と八王子線はどうなるだろう。それを存続運動経験者から聞いてみたい気もする。でも、私が彼の立場なら、うかつに余計なことは言えない、とも思う。
「どうぞ、ゆっくり見てってください」と彼は手を広げた。歓迎していただけたようだ。
展示用の小屋の手前に煉瓦色の電車が佇んでいる。226という番号が入っている。1931年に北勢鉄道が導入した電車で、1977年まで活躍した。その後、近鉄によって北勢線に新型車両が導入されると、内部線・八王子線に移籍。1983年まで使用された後に廃車、静態保存となった。2008年にこの地に移された。車内外が復元され、きれいな姿だ。青空に車体の赤色が映え、下回りは新車のように明るいグレー。今にも走り出しそうだ。そして車内も見学できる。車体は鋼鉄、内装は木製。肘掛けに彫り物もある。贅沢な作りであった。
226形の室内。美麗に整備されている
その奥の展示小屋には、壁いっぱいに写真や説明ポスターが並んでいた。目を下ろせば信号てこ、電車の模型、軽便鉄道時代の筆書きの書類などが並んでいる。見入っていると、いつのまにか別の黄色い帽子の男性がそばに居て、挨拶をするといろいろと説明してくれた。ありがたいことであるし、彼も嬉しそうな様子であった。
226号電車と展示小屋を周回するように線路が敷かれており、小型の電車が子供たちを載せて集会していた。楽しそうだなあと眺めていたら、いかがですかと薦められた。ものすごく乗りたい。でも、子供たちがたくさんいる。辞退しつつ、ちょっとだけ車両を見せていただいた。バッテリーカーかと思ったら、運転台に「エンジンスイッチ」「クラッチ」の文字がある。走行音は静かだったと思う。しかしこれはディーゼルカーのようだ。
展示小屋の中に資料がいっぱい
帰りがけに挨拶をしようと、黄色い帽子の人々が集まるあたりに立ち寄った。テーブルの上に大きなガラスボトル。小銭が入っている。私は映画のロードショー1本分ほどの金額をボトルに入れた。無料は嬉しいけれど、彼らの活動に些少ながら応えたかった。
226形のミニチュアも走る
-…つづく
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