第549回:食は文化と呼べるか?
日本に行く楽しみの一つはなんといっても食べ物です。バラエティが豊富で、どこの国のどんな料理でも最高のモノを味わえるし(もっとも、それなりのお金を払えば…という条件付きですが)、何を食べても回転寿司クラスの私の舌を十分に堪能させてくれます。
飽食の時代と言われるようになってからもう久しくなります。日本でチョットした町なら、凝ったお料理を出すレストラン、料亭、料理屋さんが必ずあります。食の文化は豊かさの象徴なのでしょうね。
数年前、JRの外国人用パス、21日間乗り放題というのを使い、北海道から九州の南端まで駆け足で旅行したことがあります。気が抜けるほど驚いたのは、新幹線や特急が止まる駅前風景がどこもほとんど同じだということです。そして、歴史あるはずの名物や美味いものの代表がことごとく何とかラーメン、何とかそば、何とか饅頭の類だということです。鹿児島のラーメンを旭川のラーメンと取替えても、誰も気が付かないのではないかしら?
第一、全国どこに行っても、季節にかかわらず、いつでも同じメニューが食べられること自体がおかしいと思います。マクドナルドのハンバーガーのように、フロリダはキイウエストでも、厳寒のアラスカはアンカレッジでも、同じものが出されることが狂っていると思うのです。
地方性ということ、ある季節にその場所でしか食べられない食品がなくなってしまったのです。松茸なども、一昔前、四国、近畿地方の人だけが、今日のご飯におかずがないから、裏の山で松茸を採り、ご飯に混ぜて炊く程度のモノだったと…司馬遼太郎先生がどこかに書いていましたし、超高級食材のマツバカニ、ズワイガニも漁期に地元の人たちだけで食べていたものだったといいます。
旬にその土地でなければ食べることができないモノがなくなってきたのです。都会に住み、お金さえ出せば、世界中のどんな食べ物でも季節にかかわらず手に入り、食べることができるというのは一種の狂気のようにさえ思えます。とりわけ、地球上の半数以上の人が飢餓状態だといわれている現実を突き付けられるとき、食通でいることはほとんど恥ずかしいことのようにさえ思えるのです。実際には、自分のパンを半分に切って他人に与えるのは難しいことですが…。
食べ物の好みというのは、多分に子供の頃に刷り込まれた“お袋の味”が体内のどこかに残って嗜好を決めているようでもありますし、逆に戦後の食うや食わずで過ごした反動でグルメに走る人もいるようです。開高健、丸谷才一、邸永漢さんらの食通の本は読むだけでツバが沸きます。
逆に、司馬遼太郎、野坂昭如さんのように、戦中、戦後の食生活をそのまま引きずっているかのように、ソバ、カレーライス、ラーメンだけで十分満足という人もいますから、食通、グルメになる人と、反対のアンチ食通になる人がどうして分かれるのか、原因と結果になにも関係がないようにも思えます。
日本の男性と結婚したスペイン女性を数人知っていますが、日本の料理は何でもお醤油と味噌で、街中にその臭いが蔓延している…と言っていました。丁度その時に、彼女たちの一人はツワリでしたから、その醤油と味噌の匂いを嗅ぐと吐き気に襲われ、それ以来体がが醤油と味噌を受け付けなくなってしまったと愚痴り、味噌、醤油以外の味をつけた日本料理はないのか…と嘆いていました。
私の同僚、アメリカ人女性ですが、とても料理が上手で、ひと工夫したケーキ、クッキーなどを焼くことを得意としています。彼女は何度も日本を訪れたことがあるのですが、日本の甘いもの、お菓子、ケーキにとても点が辛く、日本の伝統的な甘いモノはすべて小豆だけがベースではないか、新鮮なクリームをふんだんに使ったケーキ、季節の果物の風味を生かしたケーキはないんじゃないかと言っていました。私にとって、日本は食の天国に近いと思っていましたから、こんなに180度異なる意見、感覚を持っている人がいることに驚いてしまいました。
そういえば、スペインに住んでいた時、昼食、夕食時になるとどこからともなくオリーブとニンニクの匂いが路地に漂ってきたものです。初めの頃、ムッとした匂いが鼻につき、胸が悪くなり、やり切れませんでしたが、2、3ヵ月も経ったころでしょうか、その香りが食欲を刺激するようになってきたのです。“ワー、良い香り! ヨシ、食べるぞ…”と感じるようになったのです。どうにも、食の絶対的な基準などは存在しないようなのです。少なくとも私の場合には…。
数年前、日本語の生徒さんを引き連れて日本ツアーを敢行したことがあります。その時、生徒さんの大多数が日本のマクドナルド・ハンバーガーを食べたい…と言い出したのには呆れ返ってしまいました。そこでわたし、築地近くの焼き魚定食屋さんに学生有志を連れて行き、また回転寿司も体験させたところ、「こりゃ、ハンバーガーと同じくらい美味しいもんだな~」とコメントしたのです。絶対的に味覚が欠如した人種が存在することを思い知らされました。
ところが、日本旅行に参加した有志がアメリカに帰ってから、この大学町にある日本の家庭料理屋さん、お寿司やさんに盛んに出入りするようになり、日本食体験のない他の生徒さんを引き連れ、ノウガキをたれるようになっているのを知り、さらに驚きました。
日本での日本食体験が彼らの舌を変えたのです。飢えを凌ぐためだけの食から(ハンバーガー)、文化と呼べる日本食へと、文化的な芽が生えてきた…と言えば言いすぎかしら。ある国や民族に近づき、知る第一歩はやはり、“食”だと…学生さんを観て実感させられたことです。
文化は喉越しに口から入るのが一番の近道なのです。
-…つづく
第550回:海外フェイク?情報の怪
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