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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第46回:終曲 その2 【最終回】

更新日2022/10/13


No.46-03
Johann Sebastian Bach 《1685-1750》

一体、バッハの何が感動をもたらすのだろう。私にバッハもどき、パクリを聞き分ける能力などないと思う。巧みなまがいもの、類似品を聞かされても判別できないだろう。それでいながら、ミサ曲などを聴くたびに、鳥肌の立つような、全身が痺れるような感動に襲われるのはナゼなのなのだろう。鋭い爪を持った野獣に全神経を握られ、揺さぶられたような、あるいは全身が透明になったような恍惚感に襲われるのだ。

世にゲージュツと言われているコト、モノは絵画、文学、建築、陶芸などなど数あるが、音の芸術ほど、体内に染み込むものは他にない…と、少なくとも私の場合はそう思うのだ。


私は結構美術館、展覧会に足を運んでいる方だろう。主にヨーロッパでだが、足繁く美術館で時間を潰す。オッと立ち止まり、絵や彫刻の前で立ち尽くすこともある。とても釘付けとまではいかないにしろ、超人的な凄いモノだということは分かる。

だが、ある美術評論家、愛好家などが書くように絵画、彫刻の前で呆然と立ち尽くし、陶酔したことはない。彼らの感情、感覚が自己肥大し、大袈裟に語っているとは思わない。彼らはホントウにそう感じ、それを率直に表現していると思う。ただ、私の方が絵画などの視覚的ゲージュツにそのような陶然をもたらす審美感を持ち合わせていないのだろうか。

No.46-02
フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」

私の姉は、オランダでゴッホの絵、『星月夜』を前に目眩がして、その場に倒れるところだったと語っているし、知り合いはエル・グレコを観て、その場で神の啓示に打ちのめされたかのように跪き、涙が止まらなかったと語っている。人間を見る目が鋭く、理詰めで本性を見抜くことに長けたサマセット・モームですら、カイロ郊外の寂れたモスクに足を踏み入れた時に、宇宙からの何モノかを受けたかのような感覚に襲われたことを記しているではないか(サマセット・モーム『サミング・アップ』)。

それは一種の法悦の瞬間で、“宇宙の力と価値を感じて圧倒され、さらに宇宙と交流しているような親密さで揺さぶられるような感覚に襲われた”と語り、イグナチオ・デ・ロヨラがマンレサ村の川のほとりで突然恍惚となったことを引き合いに出している。私自身、絵画、彫刻にそれほどまで引き込まれたことはない。

絵画、彫刻は見る目の訓練をいうのか、ある種の蓄積が必要なのだろうか。それに対し、音楽の方は童謡に始まり歌謡曲、演歌、ポップス、ロック、ジャズともっぱら感性に訴える比重が大きく、いきなり人をエクスタシーに陥れる種類のゲージュツなのだろうか。 

多分にミーハー的にポップ、ロックコンサートに行くこともある。全盛期のマイケル・ジャクソンのコンサートにも行った。彼のショーマンぶりに感嘆するが、私の興味はむしろ熱狂する観客を観ることにあったような気がする。あの熱狂はどのようにして生まれるのだろうか、マイケル・ジャクソンが観衆に向かい、指を差し“I love you”と言うとき、何万という観衆の誰しもが、自分を指差し、彼が自分に向かって直接呼びかけていると思い込んでいるかのようなのだ。これがフォークやブルースになると、聴衆は熱狂はするが、演奏家、歌手よりも曲、演奏そのものに感動し、共鳴しているように見受けられる。そしてジャズの場合、聴き手はより内向的になっているような気がする。

義理の妹ローリーは、近年、新興宗教的なキリスト教一派に凝っていて、その手のメガチャーチに通っている。そして、教会内を覆う熱狂的な興奮を、体験しなければ分からないと語っている。それは一種の集団催眠にも似たトランス状態が、教会内を支配しているようなのだ。そして曰く、全く新しい体験をした、目を開かされたと言うのだ。

私がバッハに感動し、酔い痴れるように陶酔するのと、マイケル・ジャクソンを絶叫しながら聴く少女たちの感覚との間に差はない。私の知り得ない宗教的体験、ローリーが体験し、語る宗派の説教がもたらす言葉の体験などは想像外のことで、そんな経験も有り得るだろうと、想像するだけだ。ただ、どこかヒットラーの演説に熱狂するドイツ人に共通するのではないかと言う危惧はある。

盛んに読み散らしている本にしても、乱読という呼び方がピッタリ当てはまるほどで、感銘を受けるどころか、ただの時間潰しになっていることが多い。外国に住んでいることもあって、手に入る日本語の本は極めて限られてくる。ちっぽけな本棚二つ分くらいの日本語の蔵書の中から、多いもので5回から7回も読んだ本もある。そして気が付いたのだが、私には言葉に対する感性、詩を味わう言語感が欠けているらしいのだ。一度だけ、スペインにいた時、偶然車のラジオから流れてきた詩の朗読を耳にした。その時、深みのある太い声で詩を詠むのを聞き、“アア、詩とはこんなものなのか…”と聞き入ったことがある。が、それはそんな世界があると知っただけのことで、字面から韻やリズムの美しさを感じ取れるようにはならなかった。

私自身の感動する幅が狭いのだろうか。しかし、生身の人間としての私は、私自身でしかあり得ず、人工的、意図的に感動することはできない。

しかし、こういうことは言えそうだ。絵画、彫刻はそれらの製作者が直接ジカに描き、削りでき上がった作品を目にすることができる。アルタミラ、ラスコーの洞窟の壁画にしろ、ミケランジェロ、ダヴィンチ、ゴッホの作品にしろ、彼らが描き、創作したそのものを目にすることができる。が、音楽の場合、残された譜面を元に現代の演奏家が音にして初めて鑑賞できる性格のものだ。言ってみれば、バッハ自身の演奏を我々は聴くことができないのだ。楽譜をいかに深読みし、バッハの時代の楽器を総動員した古楽器で演奏しようと、演奏家の解釈が付いて回ることになる宿命にある。そして、そんな音楽は時空の中に消えていく運命にある。それを永遠の至福ととるか、一回性だからこそ持ちうる不死につながるものだととるかは、聴く側、あるいは演奏する側の感性によるのだろう。

私は自分がバッハの音楽を理解していると思ったことはない。それでいながら、豊かな感動をもたらしてくれるバッハとの出会いがなければ、どれだけ味気ない人生だったことだろうという思いはある。バッハが与えてくれた恍惚、陶酔がどこから来るのだろうか。私の乏しい体験からだが、バッハは他の芸術、美術、宗教、詩、文学では得られなかった全身が痺れるような霊的体験を与えてくれたと言い切ることができる。

No.46-01
ヨハネ受難曲 終曲楽譜

現在、後期高齢者に分類されている私には、いつまでバッハ詣でができるだろうか。ドイツ語が分からず、宗教心もないまま、私の葬式の音楽は『ヨハネ受難曲の終曲』にしてくれと連れ合いに注文を出している。連れ合いの方は、どんな曲をかけようが棺桶の中では何も聞こえないでしょうに…と至ってロマンチシズムに欠けたナマ返事をしているのだが…。

  【完 】


 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第4回:ライプツィヒという町 その3
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