サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 2 話:騎士アルガリアの亡霊
さて、森の奥へと消えたアンジェリーカを探すべく、サラセンの騎士フェラウとシャルル大帝陣営のリナルド、共に絶世の美女に心を奪われた者同士、仲良くフェラウの馬の背に乗ってアンジェリーカの後を追った二人だったが、やがて行く手が二手に分かれた場所に出た。
不思議なことに、どちらの道にも馬の蹄の跡。ここは運を天に任せるしかないと考えた二人、リナルドは馬から降りて右へと向かい、フェラウは左へと馬を進めた。しかしフェラウは、どうやら道に迷い、気がつけば、もといた小川のほとり。麗しの姫を追うのは諦めて、小川に落とした自らの兜をもう一度探すことにして、川の方を見て驚いた。なんと川の中にこちらを見据えてすっくと立つ一人の騎士の姿。手には探せど探せど見つからなかった水の中に落としたフェラウの兜。その騎士の顔はと見れば、なんとそれはかつて剣を交えた末に討ち取ったはずの、とうの昔に命尽きたはずの騎士アルガリア。そのアルガリアが大きな声でこう言った。

騎士がひとたび為した約束は
岩山よりも重いはずではなかったかフェラウ。
それを破ったお前に、もはや騎士を名乗る資格などない。
この兜、もとは拙者の頭にあった兜。
打ち負かされた騎士の最後の望みだと
死にゆく声でお主に頼んだはず。
幾多の戦いで拙者の身を護り続けてきた剣や鎧や盾
そしてこの兜を
拙者の屍《しかばね》と共に川に沈めてくれと言ったはず。
そしておぬしは
その願い、しかと承知したと言ったはず。
なのにお前はどうしたか。
拙者の見事な兜に目がくらみ
拙者の兜を持ち去り自分のものとしてしまった。
このこと断じて許せぬ。
だから死んでもなお、あの世に行くこともできずに
葬られたこの川の中で
お前が来るのを待っていた。
運命の采配でこの通り、兜は拙者のもとに戻った。
なのにおぬしは、かつての騎士の約束を思い出しさえせず
いまだに拙者の兜に執着する始末。
恥じるがよいフェラウ。
そんなに他人《ひと》の兜が欲しければ
オルランドと勝負して彼の兜を取るがいい。
亡霊からなじられて、かつての経緯を思い出したフェラウ。確かに亡霊の言うことはもっとも。恥ずかしいやら怖いやら、もはや兜もアンジェリーカも諦めて、亡霊の言う通り、比類なき勇者オルランドと勝負すべくその場を去った。
一方、麗しのアンジェリーカと逃げた愛馬バイアルドの両方を見つけるべく、別の道を進んだリナルドだったが、必死に逃げて森の奥深くにまで行ってしまったアンジェリーカが見つかるはずもない。
そのアンジェリーカ、馬を進ませるうちに、やがて木の葉が小さな洞窟のように生い茂り、隠れ場所にはぴったりの場所を見つけた。どっと疲れを覚えたアンジェリーカは、これ幸いと馬を降り、疲れを癒そうと草の上に横になるなり眠りに落ちた。
そんなアンジェリーカだったが、夢の中に近づいてくる騎馬の蹄の音がして目が覚めた。まさかリナルドがと、気配を消して茂みの中から伺えば、確かに一人の騎士がこちらにやってくるのが見えたが、木々もまばらな陽だまりで馬から降りたが、その場所にそのまま座り込んでなぜか大きな溜息をつき、じっと下を向いてうなだれたまま動かない。

不思議に思ったアンジェリーカが目を凝らしてよく見れば、憂いの海に沈む騎士はなんと東の果てのコーカサスの若き王、純情無比のサクリパンテ。これもまた一眼見てアンジェリーカに心奪われた一人。オルランドと共に姿を消した麗しの姫を追って西の果てまでやってきたけれど、想い姫の操はもはや西の国の蛮勇に奪われてしまったに違いないと思えば、決死の旅の甲斐も無い。もはやできることといえば、ただただ嘆き悲むことばかり。
その姿を見たアンジェリーカ、あの純情なサクリパンテなら、護衛の騎士にはうってつけと、素早く算段を巡らせて駆け寄れば、傷心のどん底で思いがけず想い姫の姿を眼にしたサクリパンテ、たちまち正気を取り戻す。すかさず純情王に抱きついて助けを乞うアンジェリーカ。
サクリパンテさま
いろんなことはありましたけれど
それでも私の体はまだ清らかなままでございます。
だからどうか私を守ってくださいませ。
いかにも悲しげながら、しかしあくまでも艶やかな声音《こわね》でそう言いながらサクリパンテに駆け寄ったアンジェリーカ、いきなり抱きつき、サクリパンテ首にすがって涙ながらに訴えた。
それをすっかり信じた純情王サクリパンテ、我輩こそがこの姫をと勇気百倍精気横溢。故郷を遠く離れた西の果てのこの森で、さあ今こそ姫への想い遂げようと、アンジェリーカを抱き返したその時、森の中から蹄の音も高らかに近づいてくる、真っ白の鎧兜を身につけた白馬の騎士。
早くも出番がやってきたとばかりサクリパンテ、素早く剣を手にして馬に跨り白い騎士めがけて突進したのはいいけれど、どうやら双方の馬の力が桁違い。白い騎士はさらに勢いを増してサクリパンテめがけてまっしぐら。両者は真正面からぶつかり合ったがしかし、ぶつかり合ったその瞬間、サクリパンテの馬が弾き飛ばされてどうと倒れた。もちろんサクリパンテも、あっという間に地面に放り出されてしまった。
いやはや、守るどころか、想い姫の面前でたちまち晒してしまった醜態。叩きつけられた地面の上で、このまま消え入りたい気分になってしまったサクリパンテだったが、ちらりと姫の方を見れば、不思議なことにアンジェリーカが心配そうな表情で駆け寄ってくる。どうやら無様な自分を、まだ見限ってはいない様子。その証拠にアンジェリーカが、倒れたサクリパンテに覆いかぶさるようにしてこう言った。
こんな風にあなたが
大地に横たわる羽目になってしまったのは馬のせい。
でも勝ったのはあなたよ。
だって、相手が地面に降りたのなら
自分も馬から降りて互いに剣を手にして戦うべきなのに、
相手はほら、決闘の場から逃げ去ってしまいましたもの。

そんな奇妙な言葉で慰められたサクリパンテだったが、さすが若き純情王、その言葉を真に受けて、姫の心はまだ我輩にあると勘違い。あっという間の敗北の痛手からすっかり立ち直ってしまった。
それどころかサクリパンテ、抱き起こされたその姿勢のまま、よし、できればこのまま草むらへ二人で倒れこんで……
などと不埒なことを考えた途端、またまた聞こえてきた蹄の音。今度は早馬の伝令。近づくやいなや、お二人にお尋ね申す、白い盾を持ち、白い鎧兜に白い羽根飾りをつけた白馬の騎士をお見かけしませんでしたか? と息を切らせて言う。
せっかくのいいところを邪魔されて気分を害したサクリパンテが、そ奴なら向こうに逃げ去っていったわ、といえば言えば伝令は、かたじけない、ではさらば、と走り去る。慌ててあの騎士の名は? と問えば、ブラダマンテさまでございまする、との声を残して伝令は森の中に駆け去った。

一体、白馬の騎士ブラダマンテとは何者か? 純情王サクリパンテはアンジェリーカへの想いを遂げることができるのか?
さてこの続きは第3話にて。
-…つづく