サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 10 歌 ルッジェロの大冒険
第 3 話: 小舟に乗った翁
さて、第8歌の第1話でお話しましたように、ひとまず邪悪な魔女アルチーナの醜い正体を見て魔法から覚め、焼け付く砂浜を水も持たずに、善き愛の清らかな乙女ロジスティーラのもとへと急いだルッジェロだったが、その朦朧とした目に、なぜか岸辺の砂地の上にたった一本だけ、豊かに木の葉を茂らせた大木がつくる木陰の下で、豪華なペルシャ絨毯を敷いて涼しげに憩う三人の女の姿が映った。
絨毯の上にはワインはもちろん豪華な器に盛られたあらゆる珍味。岸辺には女たちを乗せてきたと思われる船が一艘。それを見たルッジェロは、これは空腹と喉の乾きと疲れによる幻覚かと思ったが、しかし女たちが淫靡な笑みを浮かべて手招きするその怪しげな振る舞いに、きっとこれらは邪悪な魔女アルチーナのさしがねに違いないと見て取った。
無視して行き過ぎようとするルッジェロを、女たちはこれ見よがしに水晶のグラスに薄桃色のシャンペンを注ぎ、こちらにいらっしゃいと誘う。思わず足が向きかけたが、今もありありと脳裏に残るアルチーナの醜い正体や、偽りの美貌に誘われて生気を吸い取られ銀梅花に姿を変えられたアストルフォのことなども思い出し、こんなところで足を休めては、正体を見破られた屈辱で怒り心頭のアルチーナの思う壺、必死でルッジェロを追っているに違いない魔女に捕まってしまってはと、決意も新たに女たちを振り切って先へと進んだ。
するとその時、海の方から一艘の小舟に乗った翁《おきな》の姿が目に入った。まっすぐルッジェロを見つめるその眼差しの優しさに、これは味方に違いない、もしかしたら清らかな乙女ロジスティーラの使いかもしれぬと感じたルッジェロが船の方に向かうと、老人もまた岸辺に船をよせ、ルッジェロさま、さあ善き乙女ロジスティーラさまのもとに参りましょうと言ったのだった。
どうやらロジスティーラの城は、この島とは別の島にあるらしい。喜んで老人の小舟に乗り込んだルッジェロだったが、一難去ってまた一難。後ろを振り返れば邪悪な魔女アルチーナに率いられた無数の兵士を乗せた船団がルッジェロの乗る小舟を追いかけてくるのが見えた。
船団の先頭に立つアルチーナの形相は凄まじく、赤茶けた髪が天をついてまるで忿怒に燃え盛る炎のよう。たちまち小舟は船団に取り囲まれてしまった。
陸の上ならまだしも、大きな船に体当たりされただけで小舟はたちまち木っ端微塵。海の中に放り出されてしまっては、いくら凛々しき騎士ルッジェロといえど、船団から雨霰《あられ》と降り注ぐ無数の槍や剣から身を守る手立てがない。これが最後かと覚悟を決め、それでも小舟の上に立ってアルチーナを睨みつけたその時、翁がルッジェロに言った。
ルッジェロ殿、今こそあなたがお持ちの
かの魔法の盾を使うべき時。
そう言われて初めてルッジェロは妖術使いの老人、アトランテから愛するブラダマンテが譲り受けた魔法の盾のことを思い出し、翁と二人でブラダマンテから託されたあらゆる魔法から身を守る指輪を翁と二人で握りしめ、盾の覆いをとった。たちまち鋭い閃光が光の矢のようにあたりに飛び散り、追っ手の兵士たちの目を射った。ことごとく視界を失った船団は互いにぶつかりあって海の底へと沈み、先頭を走っていたアルチーナの船だけが残った。
しかしアルチーナも船上の兵士たちも視力を失って何もできず、ルッジェロと翁はそのすきにロジスティーラの城のある島へと向かい、ようやくロジスティーラに派遣された兵士たちが待ち受ける岸辺にたどり着いたルッジェロが、ひらりと船から飛び降りて後ろを見ると、視力が回復し始めたアルチーナの船がなおも追いすがってくる。それをめがけて岸辺から無数の矢が射かけられるのを見て、さすがの邪悪な魔女アルチーナも、もはやこれまでと観念して船を返した。
さてこの続きは、第10歌 第4話にて。
-…つづく