第799回:ミケランジェロは猥褻なのか?
高校生の時、全米から選ばれて(私も少女時代には少しは優秀だったのです)『ピープル・トゥ・ピープル』(People to people)というヨーロッパ・ホームステイ6週間の旅をしたことがあります。アメリカ全土から集まった高校生をバス何台かに乗せ、3ヵ国のホームステイ、7ヵ国を回る旅でした。
フランスで私たちを受け入れたエージェントが、市内観光の一環として、ルーブル美術館はもちろんですが、夜のツアーでムーラン・ルージュに連れて行ってくれたのです。スタイル抜群の美女群がオッパイ丸出しでかっこいい足を振り上げて踊るは私のような田舎の高校生にとってショックでした。男子生徒はとても喜んでいましたが…。
オマケにそれまで一度も口にしたことがなかったアルコール(安物のシャンペンだったと思います)が出され、何でも出されたモノは残さずきれいに食べ、飲むと躾られていましたから、泡立ったアルコール入りの飲料水を飲んだのです。後で、少しは世間を知っているらしい生徒に、アレはシャンペンというもので葡萄酒並かそれ以上のアルコールを含んでいると教えられ、両親、お爺さん、お婆さんにどう報告しようかと悩んだくらいです。
フランスで裸踊りとアルコールの洗礼を受け、イタリアに向かいました。ここでも定石通りローマ、ヴァチカンではミケランジェロの天地創造、フィレンツェではダヴィデ像を観ました。いずれもフルチンオンパレードの圧倒的な肉体群に威圧されっぱなしでした。ダヴィデ像はバカに手が大きい割にオチンチンが小さいな〜(これは男子生徒のご意見です…)という芸術的観点からかけ離れた印象でした。
ヴァチカンはシスティナ礼拝堂の天井画、壁画はミケランジェロが描いた時から賛否両論が渦巻き、反対派は礼拝堂に裸はふさわしくないと言い、ゲージュツの多少わかる人たちはイヤイヤこれこそ力強い人間賛美だとミケランジェロを援護したりしたようですが、結局、一時期、ミケランジェロの裸群像の上に腰巻きを描き、オチンチン、女性の前を隠したりしたこともあったようです。今では、腰巻きを剥がし、原画の裸を見ることができるようになりましたが…。
フロリダの小中学校で、ミケランジェロのダヴィデ像の写真を見せ、美術、絵画史、ついては聖書に関連した美術を教えた先生が、辞めさせられました。キリスト教系の私立の学校タラハシー・クラシカル小中学校でのことです。11歳から12歳の生徒いる教室でした。一人の生徒が、親に学校で裸の彫像(ダヴィデの写真ですが)を観せられたと告げ、その親の方が他の親に連絡し、どうも学校で子供たちにポルノを見せているらしいと理事会にクレームをつけたのです。
それが旧約聖書にあるダヴィデの像、しかもミケランジェロの彫像の写真だとすぐに分かったのですが、たとえミケランジェロの不朽の名作であっても、子供たちに見せて良いものと悪いものがある、とそんな不埒な教育を私の子供にして欲しくない、ミケランジェロのダヴィデ像を見せた先生をクビにすべきだということになり、実際にその先生、実は生徒にも父兄にも人気のある校長先生でしたが、ホープ・カラスクライ先生は辞任に追い込まれたのです。
それを聞いたフィレンツェ市のアカデミア美術館長セシリー・ホルベルグ館長は、実際のダヴィデの本物を鑑賞してもらおうとホープ先生と生徒たちをフィレンツェに招待したのです。どうにも役者が違いすぎます。大人と子供のようです。フィレンツェ市は何という心の広い大人の態度でしょう。マー、多少フィレンツェの街の宣伝にはなるという下心があったにしろ、それに比べ、フロリダ州のキリスト教、偏狭な教義に凝り固まったタラハシーの学校の理事、親たちと何という違いでしょう。
フィレンツェの市長ダリオ・ナルディラは、「芸術と猥褻ポルノと混同するのはバカげている、こんなことが21世紀の西欧社会で起こったことに驚いている」と言明しています。
今時、小学生でも赤ちゃんがどうして、どこから生まれてくるのか、セックスは何を意味するのか、どういう行為であるか、良く知っていると思います。少しませた子ならインターネットでその様なことを親に隠れて検索するでしょうし、更にもっと怪しげなサイトを熱心に観ていることでしょう。
全米だけでなく世界的に話題になってしまったタラハシー・クラシカル小中学校の理事長バーシー・ビショップは、「すべてに適切な年齢というものがある、ダヴィデ像を(写真ですが)見せても良い年齢はこれから検討する」と、なんとも中世の禁書、焚書時代のような意見を述べています。
ちなみに、このタラハシー・クラシカル小中学校は2020年に子供たちに純粋なキリスト教精神を教え、外界の悪い影響から守る志向で設立されたばかりで、現在まで3人の校長先生を更迭していました。
保守的キリスト教の醜いモノは隠せ、目を瞑れという考え、彼らが期待している理想の子供のイメージから外れるモノは、例え事実であっても隠せという狭小な思想が表われているように思います。アメリカの保守キリスト教系学校の図書館では、当たり前のように検閲があり、黒人奴隷の歴史、ホロコースト関係の本、進化論系の本などは置いていません。
ミケランジェロのダヴィデ像を猥褻と取る親、理事会員の心の方が余程猥褻な欲求不満に渦巻いているのでしょう。ロダンの“接吻”を彼らに見せたら、腰を抜かすか、銅像打ちこわし運動を始めるのではないかしら。
ダヴィデ像を見せてはならないと、見せた先生を更迭するような偏狭な思想に凝り固まった人たちに、おおらかに肉体を賛美したミケランジェロの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです。
第800回:銃撃事件はなぜ止まらないのか?
|